つい「誘惑」に負けてしまう原因と効果的なストレス発散

お前も少しは「進歩」したじゃねーか。
会社なら上司に、学生なら先輩に、こんなことを言われたことはあると思います。
進歩したな。といわれるとうれしいもので、「そっすか、あざーっす」「いえいえ、まだまだっすよ」とはいいつつも、やはり、つい有頂天気味になってしまうこともあるわけ。
よく考えてみると、目指すべき「目的」に達成したわけではなく、ほんの少しだけ「進歩」しただけなのに、人はすでに「できた」「成果を挙げた」「目的を達成した」と勘違いをしてしまう。
他人にいわれることでその勘違いに陥りやすい事もあるが、自ら錯覚してしまうこともあるようです。
少しの「進歩」にばかり注目してしまうと、人はかえって目標や目的達成から遠ざかる行為をしてしまうことがあるという。
まさかとは思うが、人は少しの「進歩」を確信すると、おのずと「努力をやめてもいい理由」を探してしまい、「ワザと」誘惑に負けてしまうのである。
進歩すること自体は決してよくないことではない。何も問題もないし、努力なしに進歩はしない。
問題なのは、進歩が与える「気分」による影響がやっかいなんです。
実際、進歩することでやる気が出たり、自己肯定感がさらに向上することもあります。
だが、そのためには、自分が進歩したのは、目標や目的に向かって真摯(しんし)に努力してきた証、つまり「努力した姿勢」であると認識しないといけない。
自分のやってきたことを振り返り、目標や目的をあらためて心に深く刻み、それに向かってより一層努力できるように仕向けないといけません。
ですから、少しの進歩で有頂天になってしまうことなく、その先の目的達成から目をそらさなければ問題はないわけである。
しかし、少しの「進歩」に注目してしまうと、何が起きるかというと、先ほども少し触れましたが、「努力をやめてもいい理由」を探してしまい、「ワザと」誘惑に負けてしまうのです。
「努力をやめてもいい理由」を探す心理のワナ
まず、「努力をやめてもいい理由」を探してしまうということについてですが、例えば、こんな事例がわかりやすいかもしれません。
「新年の目標を立てただけで満足をしてしまう」「やりたいことリストを作成しただけでやった気になってしまう」「セミナーに参加していい話を聞いただけで何かを成し遂げたと思い込んでしまう」
どうでしょうか。メチャクチャ思い当たるでしょう。
これは、心理学では、「モラル・ライセンシング効果」といって、人は何か良いことをすると、いい気分になり、そのせいで自分の衝動を信用しがちになる。
新年の目標を立てたことで、いい気分になってしまい、実際それを実行する前に満足してしまうことがある。
やりたいことリストを作成しただけで、いい気分になり、そのやりたい事を実現させるための具体的な行動に移せないまま満足してしまうことがある。
セミナーに参加した当日は、モチベーションも上がり、いい気分になるが、翌日になると、あわただしい元の生活に戻ってしまっている。つまり、セミナーに参加し、話を聞いただけで満足してしまうのです。
少しの「進歩」を確信すると、おのずと「努力をやめてもいい理由」を探してしまうのは、この「モラル・ライセンシング効果」という心理の仕業なのである。
「モラル・ライセンシング効果」についての内容に関しては、次のページでも綴っておりますので、よろしければご覧ください。
「新年の目標」を忘れ去ってしまう心理と失敗に終わる理由ですが、この「モラル・ライセンシング効果」のやっかいな点は、「努力をやめてもいい理由」を探してしまうだけでなく、自分から「ワザと」誘惑に負けてしまうところにあるのです。
たとえば、先ほどの少しの「進歩」を確信してしまうと、「目標や目的に向かって努力をする姿勢」を忘れがちになり、
「がんばったんだから、少しくらいは気晴らしたっていいだろう」などと思ってしまうのです。
例えば、勉強をしている最中に、気づけばゲームをしてしまっていたり、仕事のあいまに、SNSをちょこちょこ何度もチェックしてしまったり、あげくの果ては、動画をみてしまってそのままネットの世界へと気持ちが移ろってしなうとか。
このような、目先の誘惑に負けてしまうことは、あなたにもあるはずです。
目先の利益(誘惑)が優先され、ずっと先の目的達成による利益を阻害してしまうのは、少しはやった、自分はがんばっているとばかりに、少し進歩したからといって、「ワザと」誘惑に負けてしまうのです。
いやまてと。確かについついゲームをしてしまったり、SNSとかネットサーフィンなど「誘惑」に負けてしまう事はあるかもしれないが、ワザとそうしているわけじゃない。
つい、そうなってしまう事もあるが、ある種の気晴らしだったりもする。それに、目的達成に向けての努力をやめていいなんて、ぜんぜん思ってないし、少しの進歩に満足なんてしていない。
なるほど、確かにそうかもしれません。誰にだって「つい誘惑に負けてしまう」ことはあるし、「気晴らしは必要」であることは否定できません。
ですが、「誘惑」に負けてしまうということは、目的や目標に反する行為だと認めているわけで、できればその誘惑に負けないようにしたいはずです。
そもそもなぜ、できれば避けたい誘惑に人は踊らされてしまうのでしょうか。
また、その誘惑は「気晴らし」だというが、気晴らしをするのは、気分転換だったり、ストレス発散が目的のはずです。はたして、あなたの気晴らしは「いい気晴らし」になっているだろうか?
誘惑にさらされてしまうことも気晴らしだというが、本当に「効果的な気晴らし」になっているのでしょうか。
効果的な「気晴らし」とは
まず、「気晴らしは必要」だという点に関しては、その通りだと思います。
休みもなく永遠としたままではかえって非効率で、気晴らしはあえて強制的に取り入れるべきでしょう。
問題なのは、ゲームとか、ネットサーフィンにはまる、SNSチェックばかりしてしまう、お菓子を食べてしまう、という選択は、「効率的な気晴らし」だといえるだろうかという話です。
先ほども言いましたが、そもそも気晴らしというのは、再び努力を継続させるための「気分転換」や「ストレス発散」であるはず。
ですが、ゲームやネットサーフィン、SNSをしてしまうのは、気晴らしではなく、完全に「誘惑」からの欲望むきだしであり、本来の目的達成のための「気晴らし」ではないはずです。
いい方を変えてみると、これはある種のよく頑張った「自分への報酬」であり、金銭を伴わない「ごほうび」のようなもので、目的達成に向けて走り出すための「乗車切符」とはいえないのではないだろうか。
もしかりに、気晴らしをするというなら、目指すべき目的を達成するための「やる気」を継続させることができる「効果的な気晴らし」をしたほうがいいはずです。
目的とは全然関係のないことに無駄な時間を費やすことを「気晴らし」にしてしまうのは、どうももったいないし、非効率だと思います。
では、その「効率的な気晴らし」とはいったい、どういうものなのでしょう。
米国心理学会の調査によると、効果的な気晴らしに、「エアロビクスや散歩など軽めの運動をする」「瞑想やヨガをする」「礼拝に出席をする」「読書や音楽を楽しむ」「家族と過ごす」「マッサージを受ける」などが挙げられています。
いかにも「よさげなこと」ばかりがズラリと並びましたが、なぜこれらが、気晴らしにいいのでしょうか。さらにいうと、ストレス発散効果もあるといいます。
まず、ゲームをする、ネットサーフィンにはまる、SNSチェックばかりしてしまう、という行為は、その場ですぐに得られる「快楽」は大きくを感じ、「快感という名の目先の利益」もすぐに得られます。
一方で、運動や、瞑想、読書などの行為は、その場ですぐに「快楽」を感じるも、それほど大きなものではないし、もっと先の未来に「効果」が得られ、利益をその場で得ることはできません。
運動をしたからといってすぐに効果はでません、瞑想を1日や2日したからといってすぐにその効果を得ることもできません。
だけど、そういった類のモノは塵も積もればなんとやら、だったりするよね。
あなたが、気晴らしをしようとするとき、すぐにでも大きな瞬間的な「快楽」を得られることを選択するか、さほど「快楽」を感じないことの、どちらを選ぶだろうか。
ネットサーフィンやSNSは、すぐにでも「快楽」を得られます。だが、散歩をしたからといって、それほど歩くことに「快楽」はあまり感じにくく、しかもその効果はすぐにはでない。
いわずもがな、あなたはその場で「すぐに得られる快楽」を気晴らしとして選択するであろう。
「誘惑に負けてしまう」こんな原因
随分と遠回しな言い方になってしまいましたが、するつもりもない「誘惑」に負け、その場限りの快に引き寄せられてしまうのは、結局は、その場ですぐに「快楽」を得ることができるかどうかに左右されてしまうということです。
ネットサーフィンやSNSのような、瞬間的な快楽を感じる時、脳内から「ドーパミン」という神経伝達物質が分泌されます。
ドーパミンは、主に快感を得たときに活躍する神経で、ドーパミンを分泌させることは興奮している状態でもあるのです。
この「ドーパミン」は、瞬間的に気分を高揚させる効果はあるのですが、気晴らしをする、ストレスを発散させる効果はさほど得られないとされています。
なぜなら、ドーパミンが分泌されるのは、快楽を得られるその前、つまり、「今から快楽を得られすぞ」という快楽の行為を行う前に分泌されるからです。
ネットサーフィンや、SNSにすぐに手をつけてしまうのは、その行為をする直前に、ドバっとドーパミンが一気に分泌され、瞬間的な興奮状態になるからである。
いざ、ネットサーフィンやSNSといった行為をやっている最中は、既にドーパミンの分泌は瞬く間に減り始めるので、ネットサーフィンやSNSをして快楽を得ているとおもってしまうが、じつは興奮状態ではないといえるのです。
あなたも経験はあるはずです。ついやってしまうその直前はすごく興奮しているが、いざその行為をしてみると、それほど快楽を感じないし、そのあと気分転換になったとは思えない。ということがあるはずです。
じつは、人が「誘惑」に負けてしまうのは、この気分が高揚し興奮状態になるドーパミンの「快楽の予感」が原因だとされている。
僕たちが、ついしてしまう、ネットサーフィンやSNSは、実はそれそのものに快楽を得ているのではなく、その直前に「快楽」を感じているのです。
ドーパミンによる「快楽の予感」が大きくなるものは、すぐにでも得られる利益が大きければ大きいほど、より多く分泌される。
つまり、ネットサーフィンや、SNS、ゲーム、お菓子を食べるといった行為は、すぐにでも快感という目先の利益を得ることができるので、こちらを選択してしまうのです。
これが、ついつい「誘惑に負けてしまう」原因だったりするのである。
では、少し話を戻して、なせ、気晴らしやストレス発散に、運動や瞑想がいいのかを説明します。
運動や瞑想はそれをする直前に、すごくワクワクしたり、したいしたいと興奮してしまうなんてことはあまりないでしょう?
つまり、「快楽の予感」を司るドーパミンの分泌はほどんどなく、運動や瞑想などを行ったその直後から、「セロトニン」「オキシトシン」といった気分を高揚させる脳内化学物質のホルモンが放出される。
この、セロトニンやオキトシンといったホルモンの分泌は、脳のストレス反応をシャットダウンし、体内のストレスホルモンを減らし、弛緩(リラクゼーション)効果を得るとされています。
なので、気晴らしやストレス発散には、「エアロビクスや散歩など軽めの運動をする」「瞑想やヨガをする」「礼拝に出席をする」「読書や音楽を楽しむ」「家族と過ごす」「マッサージを受ける」など、一見「よさげなこと」を並べただけのようですが、ちゃんとした理由が証明されているのです。
もう一度まとめると、人がつい、ネットサーフィンやSNS、ゲームをする、漫画を読んでしまう、などの「誘惑」に負けてしまうのは、それをする「直前に気分が高揚してしまう」からであり、すぐに快感という目先の利益を得ることができるから。
しかし、その快感は、あくまで直前までであり、その行為をしている最中は、快感ではなかったりする。
なので、効率的な気晴らしをするのなら、運動や瞑想、読書、音楽といった、直前の気分の高揚を期待させることではなく、その行為をし始めた直後に「快楽」を得ることで、ストレス発散効果による「いい気晴らし」ができるということです。
このような気晴らしや、ストレス発散法は、ドーパミンが放出されたときのように、「快楽の予感に興奮したりしない」ため、どれだけ気分転換ができたか、はっきりとはきづかないことが多い。
したがって、僕たちがこのこうな効果的な気晴らしや、ストレス発散法を忘れがちなのは、目先のすぐに得られる快感が先行し、本当の効果について判断ができないからです。
そのため僕たちは、確実に気分転換ができる方法を選べないことが多い。
こんど息抜きをしようと思った時、あなたは、どちらを選択するでしょうか。
ネットサーフィンやSNSなどの直前の快楽で気分転換した気になるか、それとも、散歩とか、瞑想とか、音楽を聞くとか、別にしてもしなくてもよさ気な事をして、効率的な気分転換をするか。
一概に、ネットサーフィンやSNSが「悪い」行為で、運動や瞑想が「良い」行為だということではありません。あくまで事例の一種です。
僕だって、めちゃんこネットサーフィンもするし、たまには運動もしたりもする。瞑想はしないけど(寝てまうから)。
「意志力」はコントロールできる
今回ご紹介した、少しの「進歩」を確信すると、努力をやめてもいいと思ってしまう「モラル・ライセンシング効果」の心理。
つい、ゲームをしちゃう、ネットサーフィンにはまる、SNSチェックばかりしてしまう、動画をみてしまう、漫画を読んでしまうなどの「誘惑」に負けてしまう事は、ごく普通にある事です。
ですが、ごく普通にあることが、当たり前だと思い込み、それを僕たちは、「意志が弱い」と勘違いをしてしまっていると思うんです。
だけど、自分の意志は、訓練次第でいかようにもコントロールできる。
今回は、「誘惑を撃退をするには」的なことを執筆しましたが、もし、自分が「誘惑」に負けることが「意志が弱いから」だと思ってしまっているのなら、まずは、「なぜ」と自分に問いかけてみて下さい。
どうして「なぜ」を考えることが大切かといいすと、どうすれば自分の「進歩」に注目をするのではなく、「努力の姿勢」に意識をもてるようになるか。という解決に繋がるはずです。
「なぜ」という理由を思い出すのが効果的なのは、それによって自分を甘やかすような「すぐに得られる快感」や「目先の利益」についての感じ方が変わってくるからです。
いわゆる「ごほうび」が目的達成の妨げる脅威のように思えてきて、誘惑に負けて好きな事をするのが、それほど楽しそうに思えなくなったりもするのです。
また、「なぜ」という理由を思い出すことにより、目的に少しでも近づくための「チャンス」を見逃さず、明日の目標を確実に行なう事は然り、目指すべき目的達成へ向けて行動できるようにもなるはずです。
がんばったから少しくらいごほうびをもらっていいよね、と思っている自分に気がついたら、ちょっとだけ立ち止まって、「なぜ」自分は、がんばっているのだろうという理由を思い出してみましょう。