やりたいこと探しが目的になっていてはやりたいことは見つからない

やりたいこと探しが目的になっていてはやりたいことは見つからない

「これをやりたい!」と即答できる人も実はごく少数だったりする。

希望に満ち溢れている20代の若者も、折り返し地点に差し掛かっている40代の人たちも、人生を謳歌しようとしている70代以上の方々でさえも本当に本当にやりたいことはこれなのだ、とハッキリ言いきれる人は相違ないと思います。

それはなぜか?「やりたいこと」の正体は、実は「情報が9割」だから。

仕入れた情報を通して「頭で考えて」導くのが、「やりいこと」の正体です。実際、あなたも、「やりたいこと」と聞かれて、頭で「う〜ん」と考えたでしょう。

逆に言うと「やりたいこと」は情報として入らないと思いつかないのです。かっこいい、儲かりそう、周りからみとめられそう、楽しそうなど、実際に情報を得た時の感情をもとに、「やりたいこと」かどうかを考えるキッカケになっている。

まさまそんなことはない、と思ってしまいそうですが、これはごく自然なことで、何も間違ってはいません。

子供の頃、将来は、「サッカー選手になりたい」「化学者になりたい」「プリキュアになりたい」と思ったことと似ています。人は情報と感情をセットにして、「やりたい」と思う生き物であるはず。

残念ながら、人は年を重ねれば重ねるほど、大人になればなるほど頭をよぎるものが多くなります。

そう、「経験から学ぶ」ということです。

50歳を過ぎてからスポーツの世界大会で金メダルを目指そうとは思わないのが普通です。

人は成功と失敗から学び、賢くなればなるほど現実的な「妥当な解」を出すようになります。

ゆえに、やりたいことを「頭」で考え続けると、逆に見えなくなってしまうため、やりたいことが最初からわかるはずがない。何でもいいから手当たり次第に挑戦してみるしかない。という決断に至る。

確かに、その通りです。やってみなければ、本当にやりたいことはわからないもの。

ただ、実際はまず頭で考える人の方が多いものです。大企業の経営者や幹部、その候補の方々でも、希望通りの職場に配属される、やりたいことを持ちその通りに進んだという人はごく少数です。

子供の頃の夢をその通りに大人になってかなえた恵まれた人が少ないのと一緒です。

では、普通の人は「やりたいこと」を諦めなくてはいけないのか。

そうではありません。「やりたいこと」が例えばホテルマンだとします。

しかし、その夢もかないそうにない現実にさらされたとき、ホテルマンというやりたいことを諦めたことになるだろうか?

そもそも「やりたいこと」とは何ですか?

ホテルマン?サッカー選手?お笑い芸人?

やりたいことは何ですかと尋ねると、誰もが「何者か」になりたいといいます。

確かに、医者や先生、プロゴルファーとという職業名を用いるとわかりやすい。

ですが、「やりたいこと」はもう一つの側面があることに気づいているだろうか。

やりたいことは目的ではなく「手段」なのです。

やりたいことは目的であり手段ではない

子供たちが将来なりたいことに「ユーチューバー」がここ最近になってよくいってるようです。

おそらく、楽しそうに見えるのでしょう。それは素直な気持ちをそのままいってるだけなのでピュアです。

ですが、あくまでユーチューバーは目的ではなく「手段」です。

本当にやりたいことというのは、手段ではなく、その根底にある「目的」にあるのです。

例えばユーチューバーなら、もともと自分をアピールすることが好きで、テレビにでて視聴者に楽しんでもらいたい、喜んでもらいたかった、という「やりたい目的」があって、その「やれる手段」がたまたまユーチューブだったのです。

ユーチューブという「道具」を使ってみたら楽しかった、はまった、やっぱり向いていた。視聴者を楽しませるという「やりたい目的」が叶った。ということ。

だから、ユーチューバーとして毎日視聴者が喜んでくれる動画をつくり配信し続けられるのです。

目的が人を楽しませることだというなら、俳優でも、ユーチューバーでも、ミュージカルでも、漫才でも、歌舞伎でも、手段は思いつかないくらいさまざまです。

金持ちになりたいというのが一番の目的だというなら、とりあえず収入がもらえる職ならなんでもOKってことになります。

その目的を叶えるための手段をどう選ぶのか?

それは、「向いているかどうか」です。

要は、好きかどうかで手段を選ぶよりも、得意とすることが生かせる手段を選ぶのは妥当ではないでしょうか。

やれメルマガだ、やれブログだ、と手段を替えても、自分にとって向いていなければ能力を発揮することはできないし、そもそもつまらないし長続きできそうにありません。

なので、子どもの頃は「やりたいこと」に夢を抱き、成人になった方は、「向いていること」に可能性を抱くこと必要なのです。

誰もが子供のあこがれの夢を叶えているかも

子供に将来なりたいことは何かと尋ねると、大抵その対象は「あこがれ」です。

かっこいい、楽しそう、誰だって自分がいつかはヒーロー(ヒロイン)になりたいと思ているはずです。

だけど、大人になってみると、現実はずいぶんと違っていて、かつての夢見たヒーロー像は儚く消し去ってゆかねばならない。

最近では子供たちの多くが、将来ユーチューバーになりたいとは言いますが、たとえユーチューバーになったとしても、ヒーローになれるとは限らない。用意された椅子取りゲームの椅子の数は限られているからです。

それに、未来にユーチューバーという働き方の存在そのものがまだあるとは限らないのも大いにありえるかもしれません。

ですが、それは、大人になって「手段」が変わるだけのことです。

子どもの頃はユーチューバーというあこがれでしかないかもしれないが、もしかすると、本当に人を楽しませたいと思っているかもしれません。

そんな子がやがては大人になって、何かしらの理由でユーチューバーになれなかったとしても、人を楽しませたいという「目的」を失うことはありません。

子供のころは目立っているユーチューバーという働き方でしかやりたいことができないと思ってしまう(情報量が少ないから)が、大人になると違います。

人を楽しませたいという「目的」を叶えるための情報取得の量は然り、選べる手段は限りなくありそうです。

つまり、子どもの頃の夢(目的)を諦めたわけではなく、むしろ手段の選択肢は増え、さらに自分に向いていることを選べるようになるのである。

そして、子どもの頃からずっと夢見てきた目的こそが、大人になったあなたの「向いていること」ではないでしょうか。

あこがれだった夢を諦めたわけではなく、その根底にあった目的を叶えるために、向いている手段を選びなおしただけなんですよ。きっと。

もしかすると、あなたが今働いている職に対し、「まさかこんな職に就くとは思っていなかった」とはいっても、じつは、子どもの頃からずっと夢見ていた本当の目的は一切ブレてはいないのかもしれませんね。

いえ、きっとそうです。

弘法筆を選ばず

では、向いていることは何か、という話になるわけですが、初めから向いていることにヒットすることはできないでしょう。

というのも、何が向いていて向いていないかなんてほんとのところ分からないことの方が多いからです。

すごく大雑把な解釈で申し訳ないのですが、どんな仕事でも、「人にどう貢献できるか」というのが共通の目的ではないかと思うのです。

そのための手段はたくさんあって、その中で自分に向いていることを見つけるには、向いていないことをどれだけ多く経験するかで、向いていることを絞っていくしかないと思います。

それは、あれこれ職を転々とするのではなく、手段ばかりを探そうとしても永久に見つかりはしない。

手段を選んでも、その手段の中に、向いている要素もあれば向いていない要素もあり、向いているところだけを求めようとしても実際はそんなものはなかったりする。

なので、本当にやりたいことの「目的」をまずはしっかりと持ち続けることがとても大切です。

なぜなら、その目的を叶えるための手段選びに走ってしまうと、あなたのやりたいことは、「手段選び」が目的になってしまうからです。

「弘法筆を選ばず」ということわざがありますが、達筆で知られる弘法大師(空海)ならばどのような筆でも素晴らしい書が書ける、転じて優れた技量を持つ者は道具の優劣に左右されないという意味です。