「小事は大事」のことわざがありまして。

「小事は大事」のことわざがありまして。

「小事は大事」ということわざがあります。

意味としては、小さい事もやがては大きな事に なってしまうから、たとえ小さな事でもおろそかにしてはいけない。ということです。

例えば、仕事での小さなミスをないがしろにして、そのまま放置して改善しないままでいると、やがては大きなトラブルを招く事になる。

こう言う事はよくあることで、「小事は大事」を「大事の前の小事」ともいったりします。

「まぁいいか」と、そのまま放置していても多くの場合では問題がないかもしれないが、もしかすると後々大きなトラブルを引き起こすケースも出てくるでしょう。

したがって、あらかじめ全ての小さなミスはきちんと解決したり処理しておく、すなわち「小事は大事」(「大事の前の小事」)であると心得ておくことが大切になるわけです。

ですが、この「小事は大事」ということわざは、どちらかというと、戒め的なこととして使われることがほとんどですが、捉えかたによっては、全く違ってくる。

例えば単純に、「たとえ小さな事でも、大きな事につながる可能性はある」と考えたとき、「小さい事」は何を意味するのか?

小さなミスは絶好のチャンスであり、大きな成果を上げるためのいい機会なのだ。という意味になったりする。

仕事上の小さなミスは、ないがしろにしてしまうと大きなトラブルになる、という捉え方ではなく、失敗を減らすための「ヒント」を得られることであり、その積み重ねが大きな成果に繋がる。という考え方です。

特に新入社員の方にしてみれば、なれない仕事をすれば、当然ミスばかりで、会社を辞めたいという気持ちになってしまう方も多くいることでしょう。

失敗やミスをして落ち込む気持ちもわかるが、嘆いているだけでは何も解決しない。

よくあるのが、仕事でミスがあったとき、それを言い出せずに気づかれないように「隠してしまう」ことだ。

だが、上司に報告しなかったことで重大なトラブルに発展し、あとから大きな問題に発展してしまったという経験はあるはず。

失敗やミスを減らすには、その原因を分析し、改善策を考え、同じ失敗を繰り返さないようにする事です。

どうしても小さなミスは、別に「報告するまでもない」かもしれないが、必ずしもそのミスを今後一切しないという自信は持てないはずです。

というのも、なぜミスをしてしまうのか、同じミスをしないようにするにはどうすればいいのか、という「ミスしないための対策」を自分ではわかっていないからだ。

小さなミスを「たまたま」とか、「ついうっかり」だと思っていても、実はそれが大きなトラブルの引き金となっていることに、自分は気づかない。

自分では気づきにくいことであるからこそ、隠したりしないで、勇気をもって、先輩や友人に相談するのもひとつの方法。

すると以外な「なるほどー!」っていう、いい方法を教えてくれたりするもの。先輩、上司は経験がある上に、客観的な見方をしてくれるので、失敗を減らすための「ヒント」がもらえる可能性は大。

つまり、自分は「小さなミス」だと思っている事でも、それを単なる小さな失敗だからスルーしてしまうか、小さなミスは絶好のチャンスだと捉えるかの違いです。

さて、「小事は大事」ということわざの話から、若干はみ出してしまいましたが、ようは、何事もどう捉えるかによって、僕たちの考え方も行動も変化していく。

そこで必要になるのが、「視点」です。

状況は「視点」を変えることで全てが変わる

誰にでも日常の中で「小さな変化」くらいは起きていると思います。

日常の中に紛れてしまうほど「小さな変化」でも、そこから小さな「流れ」が生まれ、やがて人生観が変わってしまうほどの未来が訪れることさえあると思う。

そこで重要になってくるのが、自分の「視点」。

最近、家に「引きこもる」大人が増えているというニュースを良く見かけます。

なぜ引きこもりになってしまったのかその原因や対策をここで僕があーだこーだという資格はありませんが、「引きこもり」を対象にした周りの人達(僕も含め)の視点がどうも、偏り過ぎてはいないかといいたいのです。

引きこもりの意味を調べてみると、「自宅にひきこもって、社会的参加をしない状態が6カ月以上持続しており、精神障害がその第一の原因と考えにくいもの」と定義されています。

あきらかに、引きこもりは、ただ単に家の中で引きこもって自信失いがちになりかけた「かわいそうな人」人だと、僕を始め多くの人達がそう思ってしまってはいる。

だが、引きこもりになってしまっている人を、「かわいそうな人」にしてしまっているのは、結局は周りの人ではないか。

「かわいそうに」「めげずに頑張れよ」「早く復帰できたらいいのにね」

こういった慰めの言葉は、一見は思いやりのように聞こえるが、かえって本人を「かわいそうな引きこもりの人」だということを認めてしまっている。そういう目で見てしまっている。

「かわいそう、かわいそう」と刷り込むように言われまくる本人にしてみれば、「自分は本当に、かわいそうなやつなんだ」と思い込んでしまい、ますます自己嫌悪になってしまいかねません。

引きこもりは何も特別な人ではないはずなのに、本人にしてみれば、「かわいそうな人の目で見られる」ことが嫌で、内向的な状態になっているのではないだろうか。

だけど、僕は、引きこもり状態にある人すべてが、辛く苦しい状態でいるとは思えない。

引きこもりを「絶交のチャンス」にしてしまっている人も必ずいるはずだと思うんです。

そもそも引きこもりは、決して良くはないだろうが、「悪いこと」ではないはずだし、それなりのメリットもある。

僕も一時引きこもりになりがちな時期はあったが、その時の経験は、「小さな変化」であり、そこから「流れ」が生まれ、その後の人生において、大きく影響を与えたことは記憶に新しい。

その当時は、やはり気落ちはするし、無職、無収入で自分はいったいなにしているんだろう、と嘆いてばかりではあった。

だけど、その辛い期間は、余るほどの「時間」を与えてくれていたんです。

時間があるから、資格の勉強もした、部屋の掃除や整理がどれだけ心を落ち着かせるかどうかも知った、無収入でもとりあえずは食べていけるだけの食事と、住まいがある「気づきにくいありがたみ」に感謝もした。

なによりも、働き盛りの年齢だったので、「仕事があるということのありがたみ」を痛感したことが一番の気づきだった。

引きこもりに対する「誤解」をしてないか

僕のことはさておきですが、引きこもりになることは、必ずしも、悪いことではない。

と言いのも、今になって気づいたことではあるのですが、「時間だけは余裕があった」からです。

確かに引きこもりになってしまうの、良くはないことですで、すぐにでも社会復帰するべきだと思います。

しかし、少し「視点」を変えることで、その捉えかたも考え方も違ってくるし、引きこもる事で得られる「時間があたえられる」という優れている点に着目できるのだ。

確かに外に働きに出ればお金を稼げますので生活は守られる。

しかし、それと引き換えに多くの時間を提供しなければなりません。サラリーマンの年間休日の平均日数は120日と言われていますので、ざっくり、一年の中で35%の時間しか自由に使えないという事になります。長時間労働を強いられている人は35%すらありません。

実際、私が昔勤めていた職場は、いわゆるブラック企業で、休みなんて月に1日でもとれたら良い方でした。公に出ていないだけで、そんな人は数年前に遡ると、山ほどいました。

どちらにしても、生活の為とは言え、自分の時間の半分以上を、他の者に支配されるのには、いささか問題があります。

というのも、思考そのものが「仕事に占領」されてしまうからです。

それもそのはず、自分の時間の半分以上を仕事に捧げている訳だから、日々の思考のベースが仕事になるのは当たり前かもしれない。人生で起きるあらゆる物事を、仕事を軸にして考えてしまうのです。

「旅行に行きたい→でも仕事が忙しいから行けない」

「取りたい資格がある→でも時間がないからできない」

・・・など、ある意味このような、仕事に乗っ取られた精神状態では、自分が「本当にやりたい事」や、「本当に望む人生」を冷静に考える心の余裕が持てない状態になってしまう。

もちろん、家族を守る為や、既にしたい仕事を見つけている場合、あるいは今の仕事そのものが好きな人からすればそれで良いかもしれません。

しかし、そうでは無い人にとって、「自由な時間」が、良く見積もっても35%しか無い中で、貴重な時間の大半を仕事に費やすのは非常にもったいないともいえる。

今現在の僕も、時間が、時間よ、時間さえ、で追われています。時間というモノがホントに大切なのは、いうまでもないわけです。

もし、自分は引きこもりだという自覚があり、そのせいで、いまいち自信が持てず将来に不安や焦りを感じているのなら、何も慌てて「とりあえず働く」や「とりあえず外に出る」という事ではな無く、今の状況をどう受け止めるのかだと僕は思います。

どうしても外に働きに出たり、人とのコミュニケーションを取りたいのであれば、それからでも全然遅くはないはず。

引きこもっている自分に対しての、無理な肯定も、否定も、一旦横に置いて、おかされた状況とは、受け止め方によって状況が一変してしまうという事に気づきを得てほしいんです。

引きこもりも「視点」を変えると全ての状況は覆ってしまう、という事です。状況はそこにあるのではなく、状況は自分で作るものだから。

「自分で変える」視点に気づいた成功者

つまり、何が言いたいのかと申しますと、「自由な時間」があれば、「やりたい事」も見つけられるという絶好のチャンスだということです。

引きこもりになると、毎日のように自由な時間がある。これは引きこもりにとって最大のメリットともいえます。

「仕事もしていない自分」や「ダメな自分」という方向に向けていた視点を、「時間を活かす」という方向に変えることができるのです。いえ、じつはすでに、そうしている人達も多くいるはず。

「引きこもり」という陰の立場にあるであろうと思い込んでいる僕たちは、「かわいそうな人」だと勘違いし、水面下で今にも才能をあらわとしている本当の姿に、いつかは追い抜かれてしまうかもしれない。

僕達は、引きこもりをつい卑下しがちですが、それは世間が創り出した、引きこもりのネガティブなイメージに惑わされているだけかもしれない。

実際、引きこもっていても、人生を謳歌している人や、好きな事をして生計を立てている人は意外にも沢山いるはずです。

考えてみれば、売れているユーチューバ―は、元々引きこもりだった人が多いし、ネット界で人気を博しているブロガーやゲーマーの方たちに引きこもりが引き金となっている話はよく聞く話です。

そういえば、小説家の方や職人さんにも「引きこもり体質」が多いと聞きます。

この方たちこそ、引きこもりというネガティブな視点を、あたえられた時間でチャンスを掴むことができた、「質のいい引きこもり」を謳歌した、勇者といえる。

視点です。自分に侵された「視点」を少し変えるだけで、デメリットもメリットに変えることができる。

小さなミスも、じつは絶好のチャンスであり、それが大きな成果を得るための「ヒント」でもあるのだ。

なぜ、人気のユーチューバ―やブロガーの方たちが、これほどまでに、成功を修められているのでしょうか。

理由ははっきりしている。

世の中には、外向的な人もいれば、内向的な人もいます。

このどちらもが人間社会の文明発展には必要なのです。

なぜなら、それぞれが持つ個性や性格が違うので、生み出すモノや、世の中に提供できるモノが違うから。

言い換えるなら、役割が違うともいえる。個性や性格の違いによって生み出されるものは、明らかに違いがあるのだ。

例えば、外向的な人は、アウトドアな視点があるからこそ、もっと自由に遠くへ行き来したいので「車や飛行機、電車を創ろう」という発想が生まれる。また、大雑把な性格は、一つ一つの細かい部分に目が行き届きませんが、全体を把握できたりもする。

一方、内向的な人は、インドアな視点があるからこそ、家の中での生活をもっと充実させたいので「テレビやインターネットを創ろう」という発想が出てきます。また、神経質な性格は、全体に目が行き届きませんが、細かい部分に気を配れます。

人が持っている能力は実に様々で、その活かし方は多岐にわたります。そして、自分では何とも思っていない能力が、意外にも需要があったりするのです。

引きこもりというのは人生にとっての「小さなミス」だと捉えれば、そのミスは、絶交のチャンス。

「小事は大事」ということわざがあります。

小さなミスは、ないがしろにしてしまうと大きなトラブルになる、という捉え方ではなく、失敗を減らすための「ヒント」を得られることであり、その積み重ねが大きな成果に繋がる。という「視点」を変えるみようじゃないか。