スマホがない生活で感じたメリットデメリット

スマホがない生活で感じたメリットデメリット

インターネットは非常に多種多様なコンテンツがありまくりだ。

今や「スマホ」は体の一部とでもいうべきか、時間を確認する以上についつい見てしまう。

そして、思っていたよりも時間が経っていた、ということに。

「見てはいけないと思っているのに、見てしまう」

だれでもあることで、そんなに気にしないことかもしれません。

ですが、じつはこのネットサーフィンとかに費やしている時間は、自分が思っているよりもはるかに無駄な時間を費やしている。

というのも、つい最近、スマホがぶっ壊れてすぐにショップにもっていけばよかったのですが、あえてそのままにしてみた。

スマホのない生活で暮らすとどうなるかを試してみようと思ったのだ。

わずか、1週間の「スマホなしライフ」ではあったのですが、その時感じたこと、体験したことを綴ってみます。

スマホがない!

真っ先に感じることは、やはり「不安」と「モノさみしい感じ」が募ります。

昨日まであったはずのインターネットマシンがないため、「ネットの世界」というもう一つのバーチャルワールドが覗けないと不自然さを感じるといいますか、なんとなく自分だけ牢獄に監禁されているような錯覚さえ覚えてしまうのです。

リアルな現実世界とバーチャルなネット世界とでは、これほどまでに「切り離して見ている自分」がいることに気づいたのです。不思議とね。

スマホからみるネット世界に自らが参加しやすくなったため、世界中の話題やいろんな人とのコミュニティがすごく身近になったとはいえ、デジタル上で映し出されるに過ぎないが故に、リアルな現実世界とのギャップは相当大きく感じ、あきらかに「もう一つの世界」がそこにはある。もう一人の自分がその世界に飛び込んでいるのです。

ネット空間に存在するネット上の自分をリアルな自分が俯瞰したとき、なんだか、むなしいというか、「現実を受け入れていないのか」ってさえ思えてくるほどだ。

さて、スマホがないことで不便だなと感じたことはやはり、「連絡手段」。

スマホは「どこでもインターネットマシン」の印象が強いのですが、ラインやメール、それに電話機能という連絡手段において非常に便利であることは間違いない。携帯電話なんですね。スマホ、と改めて確認した。

「もしもの時の備え」という点を考えると、スマホなしはやはり不便。仕事に遅刻しそうになったときどうすればいいか、緊急を要する連絡があったとしたらどうしようとか、万が一の時を考えると不安はつのります。

ですが、あくまで、「万が一」のときのみです。普通に生活をしているかぎりでは、「万が一」に遭遇する機会は、そうあることではないはずです。

携帯電話がなかった時代では、公衆電話を使う方法が一般的だった。

僕はこのスマホがない期間、1回だけ公衆電話を使ったのですが、その公衆電話のないことないこと。車で走りまくりの探しまくりで、ようやく見つけたのはおそらく探し求めてから約30分後くらい。

マックスバリューの入り口に、申し訳なさそうによそよそしくポツリ、とあった。

久しぶりに公衆電話たるものを使ったのですが、なぜか「ちょいはずかしい」というか、通りすがりの人からみると、(スマホもってないのかよ)っておもわれてるんじゃないかって、なぜか背中で感じてしまったのだ。なんだかね。

あらためて気づいたことは、「誰もがスマホを持っている」ということを想定して、世の中も動いているということ。

そのため万が一の緊急の場合には、「どのように対処するか」考えておかなければならない。

あなたも、万が一の連絡手段をどうするべきかを備えておいた方がいいとは思います。

さて、スマホがない生活は、万が一の連絡手段として不便ではあるのですが、そんなことはホントに「マレ」。

それよりも、スマホがない生活では、おそろしく「時間に余裕が生まれた」ことがわかりました。

スマホは便利で時短になるイメージがあるのですが、実際は、スマホなしの方が時間に余裕が生まれる。

いえ、それはスマホを「ムダに」使っている時間がいかに多かったということなんですね。

スマホは携帯電話としての機能として優れてはいるのですが、ネットに繋がることで様々なコンテンツを楽しむことができてしまう。

やっかいなのは、ネットサーフィンしてしまうこと。動画にしろ、SNSにしろ、ゲームなんかも、一度踏込むとそこからぬけだせないがためちょっとみるつもりだったのが、気づけば全然違うコンテンツにたどりついてしまっている。

これらは明らかに受動的なので、何も考えないでただ、閲覧しているだけ。こどものころ、ダラダラテレビを見ていたあの悪習慣となんらかわってないやんけ、って気づくのである。

一方で、能動的に何か調べものをしようと検索エンジンで「リサーチ」し、ネットを閲覧するも、いつの間にか関係ない記事やサイトを見ていて、ハッとなることも多々あります。

こういう時間って、おろそしく時間たつの早いんですね。

スマホがぶっこわれたことで、携帯電話としての便利さを感じた事よりも、ネット閲覧に費やした無駄な時間がなくなったことの方が、大きかったのです。

あなたも一度、スマホのない生活を試してみてはいかがでしょうか?

24時間だけでもいい。もしかすると、24時間もできないかもしれませんが。

仕事でどうしても必要とあらば、ネットの閲覧だけは遮断してみるとか。

初めはガンガンと「スマホ見たい~」ってけいれん起こしそうになるほどムズムズしたりしますが、すぐに慣れます。

そして気づくはずです。

とんでもないメリットがあることに、ビックリするほどの体験をします。

まず第一に、「束縛されない」

スマホなしの生活の一番のメリットは、通知や着信などから解放されるので「束縛感がなく自由になる」ことです。

スマホはネットとして使うこともありますが、やはりほとんどの人は、「SNS」のコミュニケーションツールとして使う事の方が圧倒的なはず。

僕は、比較的SNSはあまり利用しなくなった方ではあるのですが、それでもやっぱりつい、「目的もなくムダに」見ちゃうことはあります。

万が一の緊急連絡としての携帯機能がウリであるはずのスマホは、今では、連絡機能ではなく、ほぼ会話、SNSを利用したなにげないやりとりとして使うがために、知らない間にスマホに「束縛」されて、常に自分のそばにないと不安になってしまっているようです。

連絡がきたらすぐに返信しないと、人間関係が悪くなってしまう恐れは誰でも一度は経験したことがあるはず。

他人事が気にならない、比較しなくなる

LINEやFacebookなどの、SNSを使うと、つい友達の行動やメッセージなどが気になり、時に不安になってしまう場面もあります。

不安になるから、ついSNSをチェックする習慣がついてしまうのでしょう。

でもスマホなしの生活なら、SNSの世界とはしっかりと切り離されます。周りの人がどんなことをしているか、どんな話題で盛り上がっているか常に気にするストレスがなくなりますよね。

万が一、「ラインしたんだけど」といわれたとしても、「スマホこわれてるから」で一発解決できます。

SNSは、楽しいし、時にはいい情報を得ることもあり、決してムダなツールだとは思いません。

しかし、そんなことはホントに稀なことで、ほとんどが、別に必要ないなと
気づきました。

そんなことよりも、「束縛されている自分」が圧倒的にそこにいるということだった。

SNSを使わない最大のメリットは、他人の事がきにならなくなる、無意味に他人と比較しなくなるということ。

比較が大好きなニッポン人にとって、それはストレスなのか、それともストレスフリーなのか、それは実際体験してみないとわからないことなのであります。

スマホは使うもので、使われてはいけない

「スマホがないと不便」ということ自体が、じつは不便なのなのかもしれない。

スマホなしの生活には、メリットとデメリットとの両方があります。「ないと絶対に生活できない」と思っている人は、一日スマホを使わない生活を体験してみてはどうだろうか。

どんな場面で不便に感じるでしょうか。また使うメリットも理解し、上手に活用できる手段を見つけることができるやもしれませんぞ。

持っているのがアタリマエのスマホ。

常識的なことに惑わされ、気づけば自らを束縛に追いやっていることもあります。アタリマエは気づきにくい。

だからこそ、あえて手放すことで、気づくことができるのである。

スマホがないということは、つまり、スマホがいかに便利なものであるかを気づくこともできるということ。

スマホがない生活もすごく刺激的でよかったのですが、やっぱり修理しました。

そして、まっ先にやったのが、ホーム画面のショートっカットを全て削除しました。

これ、すごく効果アリです。ついつい押してしまう事がないので、反射的にネットやSNSをしてしまうクセを遮断できます。

ヤフーとクロームのショートカットを削除するときはためらいがありましたが、なんてことはない、別にこまることは特にありませんでした。

ニュースとか話題とかなんて、家に帰って一度チェックすればそれで事足ります。

リアルタイムのワード何てものは分刻みで変わるので、それを知ったところですぐに過去の話題。

スマホは自らが必要とあらば利用するべきで、他人や話題に振りまわされ、「スマホに見せられている自分」になってはいけないと思うが、どうでしょうか?

あらためていいますが、とりあえずは1日、スマホ遮断の生活を体験してみよう。

「必要だったこと」を失う以上に、「大切だった何か」を得るはずなのだ。