そこにいてくれる普通の人の「存在価値」に感謝してますか

そこにいてくれる普通の人の「存在価値」に感謝してますか

自分は必要とされている。

他の誰かに「ありがとう」っていわれることって日常茶飯事なことかもしれなけど。

けど、ありがとっ。ていわれることって、大げさにいってしまうと、自分の「存在価値」を認めてくれたんだって思えたりする。

普通に暮らしていると、つい忘れてしまう。仕事をしているとき、他の誰かを手伝った時、サンキュって普通にいわれたりするけど、それが別にである。

上司はたまに、部下に指導した時とか、「ありがとうございます」とか言わなかったら、せめてお礼くらいしろよ!っとか、「お返しの言葉」としてマニュアル化する。

ありがとうは、お礼の言葉だけど、何も言わないよりもずっといいのだけれど、そこに「感謝」はあるのだろうか。

お礼の言葉は、「ありがとうございます」「助かったよ」「わりーなー」とか、何かをしてもらった時だけしか機能しない「お返しの言葉」にすぎない。

だけど、「感謝する」ってのは、何か特別な事をしてもらわなかったとしても、そこにいてくれるだけでも機能する存在価値を示す気持ちです。

「お礼をする」と「感謝する」は、ごっちゃにしないほうがいい。

ありがとうを、お返しの言葉として、礼儀として、「何かしてもらったから」を理由に使う「お礼の言葉」だと思ってしまうと、忘れてしまう。

自分の「存在価値」を認めてくれたんだって思えることを、つい忘れてしまう。

人はだれだって、一度は自分の「存在価値」を感じなくなってしまいそうな時があるよね。

誰からも必要とされていない、自分がいなくても誰も困らない、必要とされない、とか。

上手くいかなかった時とか、失敗ばかりしたときとか、だれだって一度がそんな風に自分を責めてひどく落ち込み、自分の存在価値って何なんだって思ってしまう事はあるでしょう。

だけど、僕が一番不思議に思うのが、会社で勤務をするとか、何か社会貢献してお金をもらうこととか、いってみれば「働いている」ことが、存在価値だと思ってしまう人がいるということ。

就職先がない働いていないニートの人、再就職の勤務先が見つからないリストラされた人、定年退職したので老後の余生過ごす人・・・。

こういった、会社勤務とか、社会貢献してなくて収入がない人とか、「自分は働いている」ということが証明されていない人はなぜか、自分の存在価値がないと思い込んでしまう。

働いている、働いていないというだけで、自分の存在価値が歩かないかなどと思うのは、じつにおかしな話。

だけど、周りの人達は、「働いていない」人のことを「あの人は毎日なにしてるんだ」とか「暇そうでいいな」とか、「少しくらいは働けよ」とか、「第二の人生を歩もうって思わないのか」

など、「働いている」ことで、人の存在価値を認めようとしてしまっているように思う事がある。

けどさぁ、人の存在価値って、働いていようが、働いていなかろうが、「そこにいてくれるだけ」でありがたいよね。

自分勝手な理想像から引き算してしまう

そんなことは、みんなよくわかっているんですよ。

生きていてくれるだけでありがたいとか、もっと長生きしてねとか、だれだってその人が「存在」してくれているだけで感謝してはいるんですよ。

だけど、時にそんなことをつい忘れてしまう事がある。働いていないというだけのことで、冷ややかな目で見てしまう事がある。

ありがとうって、お礼はするけど、お返しの言葉として返してしまっている。

ありがとうって、言葉にしなくても、そこにいてくれるだけで(ありがとう)って感謝することを、つい忘れてしまう。

どうしてなんでしょうか?

おそらくだが、僕を含め人は、他人を見る時、ともすれば「自分にとっての理想像」を勝手につくりだし、その理想像を基準にして相手にあてはめ、そこから引き算するように「評価」してしまっているようだ。

この人はこうあるべきだ、あなたはこうでなくちゃいけない、このくらいはやってくれるのが当然だ、など、自分勝手な理想像としての100点から、徐々に減点しまう。

あなたは、(自分の理想像100点満点から)マイナス30点で、70点の人だと評価する。

もしくは、あなたは(自分の理想像100点満点から)プラス10点で、110点の人だと評価し、そういう人にだけ無意識にでも「感謝」しようとする。

おかしいよね。相手にしてみれば、なんでテメーの基準で自分が評価されなきゃいけないんだって思っちゃうよね。

そうではなく、ありのままの、誰とも比較することなく、その人のままを見て、理想像としての減点で評価しないで、ゼロの地点から出発する。

その人の存在価値は、プラスの評価でもマイナスの評価もいらない、そこにいてくれるだけでいい、「ゼロの地点」にいることに価値があったりするのだ。

つまり、何も特別なことができる、特別なことをしてくれるとか、他の人ができることができないことがあるとかじゃなくて、「ごく普通の人」でいてくれるだけで、すでに存在価値はめちゃめちゃあるんですよ。

普通の人が普通にそこにいることって、じつはすごい存在ですよね。

普通って、当たり前だから気づきにくいけど、じつはすごい価値のあることだよね。

それを忘れがちになり、気づきにくくなってしまうのは、「あなたの勝手な理想像」から相手を評価してしまってるからじゃないですか?

だけど、これは、仕方がないといってしまえばそこで終わってしまうんだけど、心から感謝を示すことってじつはそう簡単なことじゃない。

なぜなら、相手に感謝しているつもりでも、相手が感謝されてると感じない限り、その気持ちは伝わらない。自分に存在価値を見いだせない人に、心から感謝しても、伝わらないことの方が多い。

他の誰とも比較せず、自分の理想像を除外し、一人に人間として価値をおき、感謝の意をしめしたとしても、相手が受け入れようとしない限りは、絶対に伝わらない。

だけど、だけどね。そんな人も、別に感謝されたくないなんて思ってないんですよ。

何を思っているかって?おそらく「誰かの役に立ちたい」って思ってるんじゃないかな?

貢献したい、その気持ちを大切にしよう

人が一番幸せを感じる時って、やっぱり「誰かの役に立てている」ってときじゃない?

自分は誰かに「貢献してる」と感じた時、本当に自分の存在価値を感じることができると思うんですよ。

人の役に立つことで、何がうれしいのかといえば、喜んでいる人の顔を見ることができること。「ありがとう」の言葉や笑顔は、とてもうれしいもの。

でも残念ながら必ずしもそのような「感謝」リアクションがもらえるとは限らない。

お礼はしてもらっても、「感謝されている」実感はない。

でもそれって、結局は、自分が相手に「感謝してくれ」って求めているからじゃないかな。

自分の存在価値を証明したいがために、誰かの役に立ちたい、ともかく誰かの助けになって、役に立つ人と思われたい。

でも「何のとりえもない私には、人の役に立つなんて難しい……」なんて、自分の無力さに、がっかりしていませんか?

人の役に立ちたい気持ちが強すぎて、自分の苦手なこと、やりたくないことも、請け負わなければいけないと誤解しないでくださいね。

大きなストレスを感じたり、自分が犠牲になっている気持ちがあれば、人の役に立つことは、苦痛を伴うことと徐々に思い込んでいきます。

するとだんだん人の役に立つことを避けたい気持ちになり、そんな自分が駄目な人間だと感じて、自己嫌悪に陥ってしまいます。

無理してがんばって「人の役に立とうとすること」はやめたほうがいい。

できる範囲で、「やってもいいかな、やれそうだな」と思うことを見つけることが上手な人になればいいんだと僕は思う。

「誰かの役に立ちたい」ではなく「誰かの役に立っている」と自分が思えるかどうかで、もっと多くの人の役に立つ人になれる。

他人の役に立っている自分が当たり前と感じられることは、自分の存在価値が認められていると思えるはずなんです。

人の役に立つ人ってどんな人ですか? 

お金を渡したら、他人の役に立つというわけではないのですよね。

もちろんお金を必要としている人なら、とても役に立ったと思ってくれます。でもお金以外で困っている人にはお金など不要です。

お金で困っている人であっても、あなたにお金がなくなったと同時に役に立たなくなるということになります。悲しいねぇ。

だから、何か特別なことをして誰かに貢献しようとしなくていい。

だって相手は、相手の理想像の拠点にあなたを評価してしまうから。無理に「誰かの役に立とう」とせず、「誰かの役にやっていると思える」事が大切。

お金持ちである必要もなければ、力持ちである必要もない。優しい言葉で話しかけるのがうまい必要もありません。

すべての人の役に立つことはなかなか難しいですが、「必要な人に必要なものを提供しよう」という貢献の気持ちさえあればいい。

ひとり一人が存在していて、それが普通で価値がある

さて、人は、そこにいてくれるだけで存在価値があることをつい、忘れかけてしまう事がある。

それは、自分の理想とその人を比較してしまうから。そこから引き算してしまうのがクセになってしまうからだと思います。

だから、自分の「他人と比較する」そのクセを除去しない限りは本当に感謝することはできない。「ありがとう」の言葉がお礼というお返しの言葉だけになってしまい、心から感謝の意を示すことができません。

一方、自分に存在価値がないと思ってしまう事がある人は、誰かに「貢献」しようとする気持を絶対にわすれないようにしてほしい。

だけどそれは、特別なこととか、自分にできない無理な事でなくていい。かえって相手に気遣わせてしまうだけですから。

むずかしいですね。どうして人は、存在価値を認め、認められたいのだろうか?

普通にいるだけで、誰だってすんごい存在価値はあるのにね。

人間力ってのは、 “ 今、目の前のことを楽しむことができる力 ” であって、それは誰にだってできることなんですよ。どんな人でも、価値を感じることができるんですよ。