必然の元で働く「志」のあるやりたい仕事観

必然の元で働く「志」のあるやりたい仕事観

今の仕事に満足していない、できることなら、転職してやりがいのある仕事がしたい。

そう心に思う人も、多かれいることでしょう。

どうすれば満足のいく仕事に就くことができるか?

何を基準に仕事を選ぶのがベストなのか?

このテーマに対するひとつの答えとして、「好きなことを仕事にする」「やりたい事を仕事にするべき」という見解がある。

最近特にこの「好きなこと・やりたいこと探し」が一般化し、好きなことを仕事にしなければいけないと強迫観念を持つ人たちすらいるようです。

確かに、好きなことを仕事にできれば、「楽しい」が先行して苦労や努力も前向きに受け取り、「やりがい」を感じるかもしれません。

好きなこと、やりたい事は変化する

実際、やりたかったことを仕事にしている人は幸せだと思います。

ですが、「人生なんてのは一度きりだから、やりたい事をやらないとダメだ」というその見解は、何を基準に仕事を選ぶべきか?ということに、重ねてしまっているように思える。

仮に「好きな事」で仕事をすることができたとしてもそれはあくまで、現時点でのキッカケであり、「偶然の一致」だということ。

例えば、10年前に自分が思っていた「好きな事」と、今の自分が思っている「好きな事」は同じだろうか?

さらに、今、好きな事が10年後の自分も「好きな事」だと思いますか?

それどころか、今、やりたい仕事が10年後も存在していると確信できるだろうか?

スイスのダボスで開かれた2016年の世界経済フォーラムの年次会議では、「今日、生まれた子供が将来働くとき、現在まだ存在しない職業につく割合は65%」だと発表された。

この数値に信憑性があるかどうかはわからないが、テクノロジーの進化に伴う第四次産業革命の到来を目前とする時代背景を考慮すればこの数値を裏付ける証拠は揃う。

つまり、「好きな事」というのは、その時の自分の心境や興味を抱いていることや時代・環境によって常々変わる。

好きなことを職とし、大成功を収めている方もいらっしゃいますが、それはごく少数で「偶然」か、もしくは先を見通す先見性に長けた人といえる。

憧れは、やりたい事ではなく、そうなりたい心理

子供の頃、戦隊ヒーローや、芸能人、アイドル等に憧れた経験は誰しもあるでしょう。憧れというのは、理想とするものに対し、強く心が惹かれる事をいう。

最近の小学生の子供たちが、将来なりたい職業に「ユーチューバ―」がランクインされていることはご存じだと思います。

子供達の憧れは、大人が装う「コスプレ」と同じで、自分にとって理想的な対象を見つけ、行動や服装、表情や服装を真似る事でその相手と一体化した気持ちになる「同一化」とよばれるもの。

同一化による憧れを、あたかも将来なりたい職業だと報じているメディアに大きな誤りがある。 なぜなら、同一化が働く心理は、裏を返せば自身のなさや劣等感の現れ。理想的な相手と同一化することで「こんな自分ではダメだ」という現実の自分に対する否定や不安を取り払い、安心感や自信を取り戻すための装いにすぎないからです。

「憧れ≠やりたい事」「憧れ≠好きな事」ということを再認識し、本当にやりたい事、好きな事で仕事を選ぶべきなのか?あらためて考える必要がありそうだ。

自分のためか?人のためか?

では話を「仕事をどう選ぶか?」に戻します。

再びこのテーマに対して、こう考える人もいます。

「誰かのために役に立てるか」「できる事を仕事にするべき」という考えです。

いかに人の役に立てられるか?自分の仕事が社会貢献になるかを基準にしている。

では、どうすれば人の役に立つ仕事ができるか?

仮にそれが、「得意とすること」だとします。

自分の得意分野は、これまで培ってきた経験と実績によるもので、さらに磨きをかければスペシャリストに昇格する可能性もある。

「得意なこと」というのは過去から現在、そして未来にかけて常々変化したりはしない。

世の中には得意分野を仕事としている方がいる。その分野に長けているため人のため、あるいは社会貢献としての役割を果たしています。

つまり、得意なことを仕事とするのは「必然」。

仕事選びの基準として、「好きなこと」で選ぶか、それとも「できること」で選ぶか?

これは言いかえると、「自分のための仕事」と「人のための仕事」ともいえる。

仕事というのは、会社や組織に利益をもたらす必要があります。また、個人経営でも利益を出して儲けを出さなくてはいけない。

必ず何かしら人に貢献し、その対価としてお金を頂くという仕組みになっている。

であるなら、好きなことを仕事としお金を頂くのが理想なのでは?と思うでしょう。確かにそのとおりだ。

だが、すべての人が「好きなこと」を仕事にするとどうなるか?

提供されない公共サービスがでてきます。誰がゴミを集めに来るのか?だれが道路を作っているのか?

必ず誰かがしなくてはいけない「必然」な仕事です。

「自分のための好きな仕事は偶然」

「人のためにできる仕事は必然」

「志」の仕事を全力でする

「夢」と「志」。

この2つの違いは分かりますか?

「夢」というのは、漠然とした個人の願望。

車を買いたい、家を買いたい、海外に住みたいというのは、みんな夢。

でも、そんな個人の願望をはるかに超えて、多くの人々の願望、夢を叶えてやろうじゃないかという気持ちを「志」という。

「夢」をもって好きな仕事をするか?

それとも、「志」をもってできる仕事をしますか?

仕事を選ぶの自由です。やりたい仕事、好きな仕事につけることに、何一つ反対するつもりもありません。

しかし、「誰かの役に立つこと」だけは忘れないようにしたいもの。

そして、やりたくない仕事をしているとしても、「人の役に立つことはできる」。

「好きな事を仕事にしたい」にこだわる必要はあるか?

もちろん、「好きな事をやって何が悪い」というのも一つの見解です。

しかし、私の場合、今の仕事は、過酷な肉体労働で、別に好きでやっているわけではなかった。

なにしろ、自分が好きな事はいったい何なのかさえ見つける事ができなかったので、適当に選んだ職場です。

ですが、自分でいうのもなんですが、「やりたい事をする」、「好きな事をする」という事にはそれほどこだわりはなく、野心のかけらもありませんが、「全力で取り組む」事にだけは、誰にも負けない自信がある。

すると不思議なもので、全く好きでもなかった仕事は次々と覚え、知識、技術が上がるたびに、気づけば「好きな仕事」になっていた。という現象が起きてきた。

もともと体を動かすことが好きな点はあるのですが、「今、やりたい事」にこだわる必要なないという事は確かだ。

なぜなら、やりたい事というのは、あくまで、やり“たい”事であり、その実態は誰も知らない、やり続けてようやくどんなものかがわかってくる。

その歳、中途半端な取り組みでは、そのすべての実態を知る事はできない。全力でやってみないと、好きかどうかの判定はできません。

同じような表現に、「苦手」という言葉があります。

いつも国語のテストは90点以上取るのに対し、算数は40点以上をとったことがない学生がいたとします。

この学生は、国語は得意で、算数は苦手なのだと思いがちですが、算数の勉強をほとんどしていなかった場合、それを「苦手」だと判定するのは皆無だ。

人は、努力もしていないうちから、それを苦手だと判定する。やり続けていないにもかかわらず、それを「やりたくない事」だと決めつけてしまっていないだろうか。

好きな事を仕事にしたい、そうこだわるのであれば、「今、やりたい事」にこだわり過ぎないことが必要だ。

やりたいこと、好きな事をで仕事を選択するのも、それはそれでいい。ただ、それはキッカケに過ぎません。

やりたいことも、好きな事も、得意とすることも、結局、入口は何であろうと同じなのだ。

いかに本気で取り組めるか、全力で責務を持って従事するかが、「今、やりたい事」を超える「好きな事を得意とする仕事」へと進展する。

これが私の仕事観だ。

個人の能力に勝る組織の総合力

好きな事を仕事にしたいという人の中には、組織に属していては、やりたい事がやらせてもらえない。

だから、フリーランスを選択するか、個人起業という道を選択する方もいる。

確かに、会社組織に属している限り、やりたくない事に任務を課せられることは稀。

それに、会社組織に属するという事は、会社の看板を背負う事だ。

私が飲食チェーンで在籍していた時、たった一人のお客さんを怒らせただけで、その人は私がダメだとは言わず、その店がダメ、さらにそのチェーン全体がダメだと言いかねないのです。

これが、組織人が背負う責任だと痛感し、これが顧客から見た会社のブランドイメージだという事。

実際、私も消費者側にたったとき、スーツを買いに紳士服の○○で横柄な接客をされた経験があります。

その時、腹立たしいのはその定員さんではあるのですが、スーツを買う時は紳士服の○○にはいかないと誓った。

そう、たった一人の定員さんの横柄な接客が、会社組織全体のイメージを崩してしまう。

まだ、直接クレームが発生するならいざ知らず、大抵の顧客は不満に感じたことを直に言ってはくれません。わざわざ定員を育てる義務なんてないからだ。

お金を払っているから期待して色々言うのではなく、お金を払っているからこそ何も言わない。残酷だがそういうもの。

こう話すと組織に属することに対し、重い責任感を感じてしまうが、会社組織は、そんなにもろいものではありません。

「自分がいなくても会社がつぶれる事はない」「自分がいなくても会社は回る」。

たとえ、優秀な社員が突然いなくとも、明日からの業務は何とかなる、組織の総合力とはそういうもの。自分の失敗や自分の不得意とする分野も、組織の総合力が互いに助け合い穴埋めし合あえる力がある。

組織内でも個人の責務

組織に属する全ての社員が顧客ファーストの理念を掲げているようだが、実際は組織内にいる一人一人の直接的な責務は「お客様のご要望に応じる」とは異なるように思える。

入ったばかりの新入社員は、例えば「分からないことはすぐに質問をする」というのは第一の責務であり、部長クラスになると、「部下を育てる」責務へとシフトする。

来店られたお客さんは大切な顧客ですが、新入社員にとっての顧客は直接の上司であり、また上司にとってのお客さんはその部下でもある。

ここでいうお客さんというのは、要望に応じるということではなく、お客様だという意識を持って報告、相談、説明、支持など、丁寧な仕事を心掛けることが大切だという事。

製造ラインの各工程に担当する人にとってのお客さんは、すぐ後の工程を担当している同じ作業員だということ。

後工程のお客さまという作業員に対し、最高のパーツを流すことが個人に課せられた一流の、プロとしての責務だ。

社員一人一人の技術やサービスを育てない限りは、会社組織のブランドイメージを上げる事は出来ないのは至極当然のこと。

そして、顧客満足も会社組織のイメージが影響を与えるものだとされる。

会社組織に属するも、フリーランスや個人事業であろうと、課せられる責務にかわりはない。人との関わりはどこにいようが切り離すことはできません。

仕事をすることに、好きな事、やりたい事を感じながら仕事をする実感よりも、どれだけ本気で取り組めたか、やりがいを感じる事ができるまで全力を尽くせるかが、「今の仕事に満足できる」一番の近道であり、最も有効な選択ではないだろうか。