「精神的に強い人」は普段からコレが多い

精神的に強くなるということは、どんなに嫌なことや辛いことに遭遇しても、平気でいられるとか、全然へこまなくなるということではありません。
たまに、何があってもビクともしない(コイツの神経どうなってんだって思うくらい)人もいるかもしれない。
だが、そんな凄そうな人も、全く落ち込んでないわけじゃなく、嫌な事や辛いことがあっても、すぐに立ち直れるスピードが早い「打たれ強い人」だということです。
つまり、精神的に強い人に見えるのは、落ち込んでいることに気づかないくらい、すぐに立ち直ることができる能力がある人だと思う。
なぜ、立ち直る早さにこだわっているのかというと、ヘコんでいる「時間」がもったいないことを知っているからだ。
さて、精神的に強い人とは、すぐに立ち直れるスピードが早い「打たれ強い人」だといいました。
ですが、始めから打たれ強くなったわけではなく、人よりも「何か」を多く経験したからです。
その「何か」とは、ヘコんだ経験です。イヤなこと、辛いこと、ダメだと思ってしまう「ヘコんでしまう」ことを日常茶飯事レベルで経験してきた人なのである。
つまり、精神的に強くなるためには、他の人よりも圧倒的に多い「ヘコみ経験」をしなくてはいけない、ということになる。
ヘコんでしまうことっていろいろありますが、中でもおすすめのへこみ経験を今回は「3つ」だけ取り上げておきましょう。
精神的に強い人がよくする3つの経験
打たれ強く精神的に強くなるために、これだけは少しでも多く経験しえおいたほうがいいぞってことは、
「失敗する」「恥をかく」「怒られる」です。
はぁ?って思うかもしれませんが、これらは精神的に強くなるための、ありがたい「三種の神器」とさえ僕は思ってます。
失敗をする、恥をかく、怒られる、どれもこれも誰だって「できるだけ避けたい」ことだし、大人になるほど、なぜか自然と減ってしまうと思いません?
失敗に関しては、大人もするが、それでも子供のころに比べると、「失敗はゆるされない」とか、なるべく失敗を防ぐようにするか、安全な道のりを選択するがために、「チャレンジ」しなくなってしまってはいないだろうか。
失敗しそうだとわかっているから、あえて安全な方法で行う「知恵」がついてしまうので、失敗経験が減ったというより、避けるようになった。といえます。
次に「恥をかく」経験。
これは大人になると、ほとんどの人がしなくなりますよね。
「恥かかせんじゃねー!」とか、「お前は○○の恥だ」とか、恥はかいてはいけないという教育をされてきたばっかりに、恥は「はずかしい」事だと思い、そして恥を「失敗」だと思っている。
つづいて3つ目の「怒られる」。
これはわかりやすいでしょう。大人になるにつれて、怒られる立場から、徐々に「怒る」立場になります。
大人になっても怒られることはありますが、やはり子供のころに比べると、怒られることは減ったはずです。
なぜなら、年齢が上がったことも理由ではあるが、怒られないようにしようという、これまた安全な方法で行う「知恵」がついてしまったからです。
「失敗する」「恥をかく」「怒られる」ことに遭遇すると、ヘコみます。
なるべく避けたいことではあるのですが、貴重な「ヘコみ体験」であり、打たれ強い精神的に強くなるための、恰好の宝物であり、ありがたい「三種の神器」なのだ。
なのに、精神的に強くなりたいという人に限って、こういった「ヘコみ体験」から逃れようとする。
なぜなら、精神的に強くなりたいという人は、自分がすぐにヘコんで落ち込みやすいことを自覚しているので、失敗をする、恥をかく、怒られると間違いなくヘコんでしまう。
そして、ヘコんでしまっている自分に「なんて弱いんだ、どうすれば精神的につよくなれるのだろうか」という、悪循環になると思っているからではないでしょうか。
しかし、打たれ強くなるためには、この3つの「ヘコみ体験」は、避けるべきことではなく、ありがたい機会だということ。
大人になるにつれて、自然と減ってしまうこの「精神的に強くなるための格好の機会」にめぐり合えることは、むしろ運いいことだともいえるのです。
失敗しよう
失敗をして、落ち込む人と落ち込まない人がいます。
あなたは落ち込む人だというなら、あなたが「落ち込むことを選択している」からです。
失敗したから落ち込んでいるのではなく、あなたが勝手に落ち込む選択をしていることが原因で、落ち込んでいるのである。
そして、落ち込んだ自分をどうにかして「立ち直ろうとする」。
自分で勝手に「落ち込むことを選択して」、かと思いきやそのあとすぐに、自ら勝手に「立ち直ろうとする」。
これって、なんか矛盾してません?
失敗をして落ち込んだあと、立ち直ることばかりを優先するしてしまっても、本当に晴れやかにヘコみは消えない、ということってありませんか?
なぜなら、失敗に対する対処にフォーカスされていないからです。
失敗をした直後に、落ち込む選択をしてしまうから、その落ち込みを戻そうとして、立ち直ることを優先してしまう。
だれだって、ヘコんだ状態ではいたくないから、すぐにでも平常心に戻したいですからね。
他人から「落ち込んでないで気にするなよ」とか励ましてもらえるのはうれしいのですが、失敗による落ち込みから「立ち直ること」を優先しても、落ち込み感情を消すことは難しいでしょう。
だから、失敗をしたことで、落ち込む選択をしないようになれることが、大切なのです。
失敗して落ち込んでしまう選択をしてしまうのは、「上手くいく」「成功する」と思い込んでしまっているからではないですか?
だから、その思いがけない事態を受け入れることができなくて、失敗したことを「どんでもなことをした」と思い、自分を卑下してしまうから、落ち込んでしまう。
じゃぁ、失敗ってなんなんだよっていうと、それは、ただ単に「そういう経験」です。
打たれ強くなるためには、失敗に対してそのまま「失敗」というレッテルを貼るのではなく「経験」というレッテルが貼れるかどうかで決まります。
車で道路を走行していたら、工事中だったので回り道をした。これは失敗ですか?
「この道は今、工事をしているんだな」ということを知る経験をしたまでです。工事中だから、その目の前でひどく落ち込み工事が終わるまで待ったりはしないですよね。
すぐに回り道をするはずです。
失敗もこれと同じで、思いがけないことに遭遇した時(通れるはずの道が通れない)、落ち込んでいる場合じゃなくてその事実を受け入れる(工事中)。
そして、すぐに回り道をする(失敗に対する対処)。落ち込んでいる場合じゃありませんよね。
だけど、あなたは、できると思っていたことができなけれは、落ち込むという選択してしまう。
落ち込むから、立ち直ろうとする事ばかりを優先してしまう。
失敗は、ただの「そういう経験」だということであり、そのありがたい経験から別の手段を見つけることができるのである。
そして、失敗した時の経験は、他の誰かに教えてもらえることはできません。失敗経験は、あなただけに与えられた、唯一無事の「成功のもと」なんです。
成功本とか、成功した人から教わる事よりも、ずっと効力があり、あなたにとって最も最適な成功のもとだということを知っておこう。
恥をかこう
どうして大人になると、恥をかくことに「はずかしい」と思ってしまうのだろうか?
カンタンです。くだらねー「プライド」が、はずかしがるからです。
精神的に強い人は、よく失敗もするが、よく恥じもかく。そして、成長する。
それは、「チャレンジ」するとは恥をかくことだと知っているからです。
やったことがないこと、失敗する可能性が高いことに、「チャレンジ」する。
だから、大胆に失敗をして、大恥をかく。ヘコんでしまうが、先ほど言ったとおりで、失敗も、恥をかくことも「そういう経験」にすぎません。
そのありがたい経験から別の手段を見つけることができるのである。
そして、その経験は、他の誰かに教えてもらえることはできない、唯一無事の「成功のもと」。
だから、たくさん恥をかく人はどんどん成長していくのです。
一方で、恥をかけない人もいる。自分のみっともない姿をさらすことができない人。自分の弱点をさらすことができない人。
そういう人は、「チンケなプライド」を持っているから。
人からすごいと思われていたいので、みっともない自分はさらせない。だから、守りに入る。安全地帯に逃げて籠もる。
知ってますか? 世の中はなぜか、デキる人ほどプライドがなく、デキない人ほどプライドが高いという謎の逆転状態になってるということを。
ですが、恥をかけない理由に、「周りの期待によるプレッシャー」を感じてしまう人もいます。
「失敗をして恥をかくわけにはいかない」「期待にこたえないといけない」と思っているけど、結局はあなたの「プライド」が邪魔をして、恥をかくことだけはしたくない、と思ってるのではないだろうか。
周りの期待は「キレイな成功」ではありません。
泥臭いプロセス、失敗から立ち直る姿、恥をかこうが動揺しない勇気ある行動に、周りの人達は期待しているのです。
中には、結果だけで評価する残念な人もいます。失敗したことで「そらみろ」っていうアホもいます。恥をかいたことで「バカ」にするひともいます。その「バカ」にしている人が、じつは「バカにされる」ことも知らずにね。
だから、恥をかいてはいけないというチンケなプライドをすてる勇気をもとう。
怒られるということ
最後に、怒られることで打たれ強くなるについてですが、少し長くなってしまいそうなので、これだけ言っておきたいと思います。
怒られることで、ヘコんでしまうのは、怒られることが「攻撃される」と考えることがあるからです。
人に怒られたことに対して、単に「攻撃された」「いじめられた」「八つ当たりされた」としか思えない考え方のことです。
だけど、その怒っている人が、八つ当たりだろうが、攻撃だろうが、イヤミだろうが、怒られた側の勝手で自分は関係ありません。
つまり、「どういう理由で怒っているか」に注目してしまうから、その相手にいびってしまったり、腹が立ったりしてしまう。
ヘコんでしまうのは、攻撃されている状況(わめき声、形相とか)という表面的な部分にしか目を向けていないからです。
「怒られる=攻撃される」というネガティブな経験に留まってしまうため、怒られる度に深く落ち込んだり、ふさぎこんだりしてしまう、「打たれ弱さ」につながるのです。
だから、怒られたら「攻撃されている状況」に目を向けてしまわないで、その怒られた「内容」に耳を傾けよう。
「目」で聞くのではなく、「耳」で聞いてるふりをする。これに限ります。
そして、ほんとに打たれ強い人は、怒られたことを「攻撃された」とは思わず、怒っている人もある種の「味方」だと思うようにしている。
怒られることは誰にとっても嫌なことですが、怒ってくれる人は嫌な人ではありません。本当に嫌な人であれば怒るのではなく、陰で悪口を言う、失敗をあえて指摘せずそのままにさせるなど、別の方法をとるでしょう。
なぜなら、「怒る」という行為は、怒る側にとっても労力が必要なことだからです。
誰に頼まれたわけでもないのに、そのような労力を惜しまずに使ってくれる人は、味方と言ってよいと思います。自分に対して何も言わない人と、言い方はどうであれ伝えてくれる人、その違いをまずははっきり認識することが大切なのかもしれませんね。
さて、精神的に強くなるということは、打たれ強くなることだといいました。
「失敗をする」「恥をかく」「怒られる」ことは、誰もが避けようとします。ネガティブな感情になるから。
だけど、そのネガティブな感情をポシティブな感情に置きかえることができるようならないと、精神的に強くはなれないのかもしれません。
だけど、もっとよくないのが、「挑戦しないこと」ではないだろうか。
子どもの頃のように無邪気になんでも「チャレンジ」しようとする気持ちは、大人になるにつれ躊躇してしまいがちです。
だから、「失敗をする」「恥をかく」「怒られる」というヘコみ体験が減ってしまう。
これじゃぁ、精神的に強くなる機会もないし、打たれ強い人になる貴重な体験もできないよね。
挑戦しよう。失敗を恐れず、恥をかき、怒られることに感謝し、あなただけが唯一学べる「成功のもと」を手に入れるために。