灼熱のグランドで魅せる「らしさ」の文化

灼熱のグランドで魅せる「らしさ」の文化

ムシムシと暑い夏。

“ 夏霞 ” のたなびいた空に、もくもくもくっと沸き立つ真っ白な入道雲の下でサイレンが鳴り響いた。

令和初、「全国高等学校野球選手権大会」が始まりました。

第101回目ということで、まさに「世紀の始まり」にふさわしい「令和初」。世紀と時代のサイレンと同時に、球児たちの熱い「挑戦」の火ぶたは切って落とされた。

さぁ、今回は私たちにどんな「球児らしさ」を見せてくれるのだろうか。

すごく「あいまい」なのがいい

夏の高校野球ってすごく不合理であいまいなんですよ。

熱中症のリスクが極めて高い夏の盛りに試合をすることはないでしょう。球児たちの事を考えたら秋の開催でもよかったりする。

だけどそんなリスクがありながらも、球児たちも、高校野球の熱血ファンの方々も、それでも「真夏の猛暑で汗を流してほしい」って思ったりしてるんですよね。

それに、これだけ人気を集める「コンテンツ」であるにもかからわらず、今だかつて「商業化」されていない。

調べたところ、審判はボランティア、甲子園使用料や放映権は無料、観戦料金は格安と、最低限の運営費を除けば金銭はほとんど動いてません。

観客やテレビ局から料金をとって収益化する道もあるでしょう。経済面とか、教育面とか、じつに非効率的で合理的でない。

しかし、この不合理なコンテンツに私たちは、溢れんばかりの熱い想いをかけて、今、この一瞬を真剣に生きている姿勢に心を震わせる。

高校生の教育性を考慮して、涼しい時期に開催したとして、そのタイミングで国民的人気コンテンツは維持できるだろうか?

実際、春に開催される「センバツ」は、甲子園、トーナメント方式などなど、いってみれば夏の大会と条件は同じです。

今年(2019年)の春の選抜で全国制覇した優勝校ってどこか知ってますか?愛知県の「東邦高校」。意外と知らなかったって人も多いのではないでしょうか。

夏の暑い時期に球児たちが、朝から晩まで灼熱のグラウンドに立つその「姿」に胸を打たれる。

野球なんだけど、野球をみてる感覚はなく、その「一生懸命」に心が動かされる。

負けたら終わり、1回限りの挑戦に手に汗握る。怪物を擁する絶対的なチームが負けてしまった、そこに「ドラマ」がある。

夏の高校野球には、その「らしさ」があります。

「らしさ」って何が「らしさ」なのか、すごくあいまいなんだけど、この「らしさ」にこそ、夏の風物詩の文化があるように思う。

私たちは、効率とか、合理的な事だとか、生産性がどうこうだとかを追い求めるのですが、結局最終的には「感情」が優先される。

球児たちが見せてくれる「物語」に感動させられたり、元気をもらったり、勇気を与えてくれたりする。

だからこそ、メディアはこぞって選手やマネージャー、監督がもつ「物語」を報道するのでしょう。

夏の高校野球ってなんだか、オリンピックに似てるところがあるんですよね。

オリンピックって競技のルールをしらなくても、みんなが「わー」ってなるじゃないですか。

たとえば、平昌オリンピックで話題になった「カーリング」。

おそらくだが、ほとんどの人がカーリングのルールなんてちゃんとわかってないんじゃないですか。カーリングの大会なのに、話題になったのが「そだねー」ですよ。

それでもあれだけの人気を博したのはどうしてなのでしょうか?

らしさ。

夏の高校野球も、確かに野球なんだけど、だれも野球をみてるわけじゃないんじゃないかなぁ。

すごくあいまい。私の文章もすごくあいまいなんだけど。

すごくあいまいなんだけど、夏の高校野球には、「らしさ」がある。オリンピックには「らしさ」がある。(この執筆には「らしさ」が欠けている)

あなたも、私も、一人ひとりに「らしさ」というものがある。価値観がある。

私たちは、どうしてもこの「らしさ」を忘れがちになってしまいます。だから、自信を失ったり、存在価値を感じなくなったり、行く先を見失いがちになったりもする。

自分の「らしさ」があると、好きな事に情熱を感じることもできるだろうし、得意な事に自信をもつこともできるだろうし、大切にしていることに愛情を降り注ぐことができるのだと思う。

さぁ、令和初の球児たちの攻防戦は始まった。

今年はどんな「らしさ」をみせてくれるのだろうか。

滅多に「感動」しない私には、唯一の楽しみです。