「音読」と「音楽」、奏でる共通の効果とは?

「音読」と「音楽」、奏でる共通の効果とは?

最近の小学生の宿題に、国語の教科書を声に出して読む「音読」が定番となっているようです。

いえ、きっと私の小学生の時も音読の宿題はあったのでしょうが情けなくも覚えていません。

子供の学習方法に関して様々な方法があります。「効果的な学習法」「短時間で集中学習」など思わず飛びつきたくなる勉強法を取り入れた教材など巷には溢れている。

ベネッセコーポレーションの学習教材には感服させられるほどです。しかし、これらの研究によって開発された優れた教材で勉強をしても成果の出る子、なかなか成果に結びつきにくい子もいるようです。

一概にはいえませんが、その要因の一つとして、文章を理解するチカラ、「読解力」が大きくかかわっているのかもしれません。

国語はもちろん、算数、理科、社会など、すべての科目に共通するのは、「書かれている内容がわかっているかどうか」。

つまり、文章の内容を理解するチカラ、「読解力」は基礎的な学習能力であり、看過していては優れた教材も十分に活かせないと考察する。

「音読」の効果

読解力を身につけるためには、やはり「読書」。全ての科目に共通する学習方法は「読書」だといっても過言ではないでしょう。

読書には、声に出さずに読む「黙読」と、声に出して読む「音読」があります。

それぞれの読み方には得られる効果の違いはありますが、「音読」は取り入れるべきだと思います。

その理由は、黙読だけでは、ある「落とし穴」がある。

子供が読書している時、頭の中がどのようになっているかを見ることはできますか?

もちろん、できません。実は、ここに大きな問題を見落としている。本を黙読しているとき、2種類の読み方をしています。

1つは、意味を理解しながら読んでいる読み方。本の書いてある内容を頭の中でイメージを具現化する事ができるため、何が書かれているかを理解できます。この場合、単に「読んでいる」ではなく、「読み込んでいる」といえる。

ではもう1つの読み方は何でしょうか?それは、字ヅラだけを追っている読み方です。活字の羅列に対して目を移動させているだけということ。

「あ」という文字を「あ」と読む。文字という画像を単に読み上げるだけにとどまり、文章という内容のイメージを情景化しない読み方です。

この場合は、「読んでいる」ではなく、「文字を心の中で発声している」とさえいえる。

本当にそんな読み方をしている子がいるのか?率直にいってたくさんいる。(私がそうでしたから)

この2つの読み方のうち、どちらの読み方をしているかは誰もわかりません。周囲には、ただ読んでいるという姿しか見えないからです。

やっかいなのは、黙読している本人が「字を追うだけで読んでいればいい」と思ってしまっている事です。

つまり、頭の中で読み上げる「黙読」は必ずしも、内容を理解しているとは限らない。

それでは、声に出して読み上げる「音読」はどうか?結論からいうと、音読は黙読とくらべて脳の処理量が多く、理解をより深める効果があると言われています。

人は会話をするとき、口を使って「声」という“音”で言葉を発しながら話をします。声から発した音は、耳で聞きとり、さらに表情、身振り手振りといった仕草を目で「見る」3つの感覚を最低限使います。

言葉を目だけで見る情報よりも、五感を使用して取り入れた情報では理解度がまるで違う。英語が話せなくても外人さんとそれとなく疎通できるのはそのためです。

黙読は、「目」だけを通して文章が頭に入りますが、音読は同じ文章でも「目」と「耳」を通して頭に入ります。自分の出した声を自分の耳で聞くことは、人と「会話をしている時と同じ効果を得る」とされる。

つまり、目、口、耳の3つの器官を要する音読は、脳科学的に同じ情報量の黙読と比較して、脳の処理(理解する)力が圧倒的に高いとされる。

また、音読は、黙読の時には読み流していた言葉に意識が働くことでより理解を深めるともいわれている。

音読は様々な研究結果により多くの効果があることが証明されています。

例えば、申し上げた「脳の活性化」。音読で使用される感覚は、文字を読み取る「視覚」、それを再び聞く「聴覚」。

そして、音読で生じる処理とは、「文字を読み取る」「読み取った文字を声に出す」「声に出した文章を音として聞く」「音として聞いた文章を理解する」。

これら非常に多くの処理を同時にこなす複雑な行為により、前頭前野を中心として脳全体が満遍なく利用され、結果的に脳が活性化されます。

理解力が深まるだけでなく、ワーキングメモリ (作業記憶) といって、短時間に心の中で情報を保持し、同時に処理する能力をいい、読み書き計算などの基礎となる日常生活や学習を支える重要な能力を養うとされている。

また、前頭葉が刺激され活性化すると、音読する人の感受性が豊かになり、感情を制御する自制心までもが発達する。結果、行動に対する積極性や自主性も増進するのです。

さらに、音読には幸せホルモンとも呼ばれるセロトニンを分泌するためストレスを軽減します。音読に秘められた効果は今でも研究が進められているとされます。

「文章」を歌う

さて、多くの効用をもたらす「音読」ですが、私はもう一つの優れた効用があると思っている。

「リズム感」です。読まれる文章、伝わる文章は「リズム」で決まる。文章のリズム感とは、「テンポが良い文章」を指します。音楽を聴くと気分が乗ったりするのは、心地よい「テンポ」に心が踊るからです。

子供達が宿題で音読する本は、大抵は優れた作家の名作。テンポのいいリズム感を養う能力を身につける事ができます。文章のリズム感は私たち大人にとっても欠かせない事。

音読で、謳うようにリズムを奏でる素敵な文章がかけるようになりたいものです。

「SNS」では文章力も読解力もつきにくい

Facebook(フェイスブック)にTwitter(ツイッター)、LINE(ライン)、Instagram(インスタグラム)など、SNSの普及したことによって、一昔前とか、二昔前に比べると文章に触れる機会は増えたといえます。

私が子供の頃、文章を読むといえば、教科書や新聞、本、雑誌、漫画とかでしたが、なにせ文章を読むのが苦手でした。

そんな私でも、年賀状とか、手紙とか、先生のコメントとか、自分に対して書いてくれた文章は興味深く読んでたように思います。

この「自分のために書いてくれた文章」は、たとえ文章が苦手な人もで、「読んでみたい」と思ってもらえる。

そう考えると、SNSの文章(とくにLINEは)に書かれた文章は、読んでみたい文章なのかもしれません。

教科書に書かれた文章よりも、よっぽど興味深いため、ある意味文章が苦手な人の克服ツールになるかもしれない。

だけど、そうもと言えない。SNSって日常的な会話ツールとして利用するため、どうしても入力の手間を省くために短縮した言葉や独自の新しい言葉が使用される事が多く、必ずしも正しい言葉を使っているとはいえない。

SNSは、文章に触れる機会は増えたが、正しい言葉に触れる機会は増えていない可能性がある。

「タピル」(タピオカドリンクを飲むという意味らしい)とか、「タピ活」(タピオカ入りドリンクを飲むためにお店をめぐることらしい)みたいな、一時の流行語を使う事が多く、スタンプとかで済ませることも多い。

普段着な会話なので、楽しけりゃいいのだけど、やっぱりカジュアルすぎるSNSは使い方によっては文章力も読解力も、むしろ低下してしまうのかもしれません。

あまりSNSに依存しすぎないように気を付けましょう。