日本が受け継ぐ、“ 心 ” の体験サービス

日本が受け継ぐ、“ 心 ” の体験サービス

近年、世界中で話題となっているAirbnb(エアビーアンドビー)。

「Airbnb(エアビーアンドビー)」って何?という方も多くいる事でしょう。

正式なホテルなどの宿泊施設ではなく、世界各国の現地の人たちが、自宅などを宿泊施設として提供するインターネット上のサービス、及びサービスを提供するアメリカはサンフアンシスコで創業した、シェアリングエコノミー といわれる代表格のスタートアップ企業 です。

執筆者イラスト
基さん

ここ数年、日本でのよく耳にするようになった「民泊」と関係の不快ビジネスモデルです。

そのビジネスモデルの特徴は、部屋や家を貸したいと思っている人と、部屋や家を借りて滞在したいと思っている人のニーズをマッチングさせるもの。と言えば何となく理解できるでしょうか。

さて、今回は、残念ながら、「Airbnb(エアビーアンドビー)について」ではありません。

興味のある方は、下に関連サイトをご案内しておきますので、アクセスください。

今、話題沸騰中のAirbnbとホテルの違いとは?

さて、取り上げました Airbnb(エアビーアンドビー) ですが、2016年から従来の民泊に加えて、料理教室やヨガ教室、地元ガイドによる穴場ツアーといった旅先での「体験サービス」を提供しているようです。

今年中に「体験サービス」の展開を1,000都市以上に拡大し、イースター島やアイスランド、アラビア半島などエキゾチックな場所での提供を開始し、現地のエキスパートが企画するオリジナルの「体験」を通じ、ゲストが旅先のことをより深く知る機会の提供をさらに増やすとされています。

近年、「モノ」ではなく「経験・体験」を提供する「コト」を提供し、何かしらの感動あたえるサービスが消費の流行を捉えるものだとされています。

今回のテーマは、日本の未来に先立つ体験サービスにおいて、「変わるべき」ではなく、「受け継ぐ」に焦点をあててみました。

それでは、本編スタートです ─── 。

“ おもてなし ”という、体験サービス

今日、私たちはさまざまな場面で「サービス」という言葉をつかいます。

「サービス」は、直訳すると「奉仕する・仕える」という意味。

「無料サービス」「大盛りサービス」といった経済的な価値、「お届けサービス」であれば機能的な価値、「接客サービス」といえば情緒的な価値、「補償サービス」であれば機能的、且つ安心感のような情緒的な価値も含んでいる。

このように多様なつかい方をされるサービスという言葉だが、それは共通して、主従関係が明確にされ、それに対しては対価が発生します。

また、サービスは「人・モノ・お金」の3つに分類することができ、人が行うサービスにおいて人と人が接することを「接客」と言います。

「接客」は広義でのサービスの一部分といえます。

つまり、サービスとは、「いつでも・どこでも・だれにでも」すべての人を対象とした概念と説く。

一方、“ おもてなし ”は、「もてなし」に丁寧語「お」を付けた言葉であり、その語源は「モノを持って成し遂げる」という意味です。

また、“ おもてなし ”のもう一つの語源は「表裏なし」、つまり、「モノを持って成し遂げる」の「モノ」とは表裏のない「心」だと解きます。

人の心は、二つとない70億通りの顔と同様で、一人ひとりに与えられた「世界に一つだけの華」。

つまり、「心を持って成し遂げる」とは、「世界に一つだけの心を持って成し遂げる」。

この時、この場、この人だけに」。唯一無二の「華」を表裏なしに感じとってもらえることが「おもてなし」ではないだろうか?

モノ消費からコト消費の需要を要するこの世上。体験というサービスの一つに、忘れそうになっている日本文化の誇り「おもてなしの心」を取り入れてみてはどうだろうか?

おもてなしの心は、受ける側の課題であり、与える側にあらず

さて、とはいいつつも、実際何を持っておもてなしというのか?

ここで、矛盾したことを述べたいと思います。

おもてなしとは、相手がどう感じるかであり、あなたが思う「おもてなしの心」は必ずしも「おもてなしではない」ということです。

形式的なおもてなしであったとしても、それはサービスに過ぎないものだと相手がそう思えばそれまです。

しかし、「相手がどう思うか?」は、相手の課題です。

すこし、脱線して自分の課題と相手の課題について、お話をします。

マクドナルドに行ったことはあるでしょう。

定員さんの笑顔をスマイルとし、スマイルはマニュアルの一つとされます。

ある人は、スマイルを、「心が伴わない、作り笑顔だ。」と感じます。

またある人は、「わざわざ、私(顧客)のために心にもない笑顔をつくってくれている。」と感じます。

この違いはわかりますか?

前者の「心が伴わない、作り笑顔だ。」は、サービスにすぎません。

それに対し、後者は、「おもてなしの心」を感じ取っています。

スマイルが、「サービス」なのか、「おもてなし」なのかは、相手が感じる課題であり、いずれにしても定員さんのスマイルは「世界に一つだけの華」。

つまり、表裏のない心をもって成し遂げた「おもてなし」なのである。

他人への「介入」と「援助」は違う

自分と他人の課題を分離するのにあたり、頻繁に生じる問題として「介入」がある。

「介入」とは、大げさにいうと、他人の課題に対して土足で踏み込んでいく行為を表すともいえます。

たとえば、勉強しなさい、かたづけなさい、と子供に命令をする大人がそれに当てはまる。

他者の課題に介入してしまう理由には、見上げる側と見下す側、つまり「縦の関係」が背後にあります。

対人関係を縦で認識し、相手を自分より低く評価しているからこそ「介入」してしまうといえる。

モノのいい方を変えたとしても「介入」は「介入」にかわりはありません。

仮に、子供に「勉強しましょう」、「素直になりましょう」と、本人からすると善意による提案のつもりでも、結局は子供自身の課題に土足で踏み込み、自分の意図する方へ操作をしようとしているのです。

こういった場合には、介入にならない「援助」を行うことが必要です。

「援助」とは、大前提として、自分の課題と他人の課題は分離されており、「横の関係」が構築される。

勉強をすることや、部屋の片づけをすることは、本人の課題であると理解をした上で、それを助けてあげられることを考える。「援助」とはそういう事をいいます。

具体的には、勉強しよう、がんばろうと提案をすることなく、本人に「自分は勉強できる」、「もっとがんばれる」といった自信を持たせてあげ、自分の力で自分の課題に立ち向かっていけるように環境を整える働きかけをするることです。

子供が自分の力で自分の課題に立ち向かえる環境とは、唯一「承認の場」が必要なのではないだろうか。

承認の場とは、単に認めてもらえる環境の場ではなく、「不安があるが、不満はない」と感じる場の事をいう。

本人の課題は本人次第、その課題に対して、不安や心配はあるが、立ち向かうことに一切の不満はない。

つまり、援助という支えの場がそこにある限りは、「自分でできるかもしれない」という認めてもらえる環境のことではないだろうか。

話がすこしそれてしまいましたが、あなたが与える「おもてなしの心」を、相手がどう感じているか、そこに「介入」してはいけないのだ。どう感じるかは、相手の課題であって、そこに援助はしても、介入することはないのです。

日本人が気づかない、ニッポンの「おもてなし」

すこし話がそれてしまったが、「おもてなし」は、日本の誇れる宝です。古来から今日に至り、私たちはそう伝えられ、また大切にしてきたことでしょう。

そのおもてなしの心をどう提供するかは大切な事である一方、“ どう感じる ”かが今後の「本人の課題」であり、サービスを超えた「体験」ではないだろうか?

会話なら、どう聞くか?手紙なら、どう読み感じるか、映画を見て何に気づけるか。体験サービスは与えられるものではなく、どう感じるか?ではないでしょうか?

「おもてなし」というと、ホテルやレストラン、航空・バス・鉄道等運客会社、旅行会社、テーマパーク等、ホスピタリティ産業を思い浮かべる方も多いでしょう。

サービス業に関わらず、ビジネス全般、つまり、人と人とが関わるコミュニケーション全てにおいて、「おもてなし」の心は時代を超えたニッポンの「華」です。

ですが、その「おもてなし」とは、相手の気持ちや状況を考えたほどよいタイミング、半歩先を読んだ気配り、サプライズ的な行為といった「特別なコト」に限ったことではありません。

日本人である私たち自身が、感じとりにくい「おもてなし」がある事に気づいているでしょうか?

日本人は、ニッポンの「おもてなし」を知らない、学んでいないのではなく、気づいていないだけかもしれない。ということです。

日本で働く外人さんは、顧客対応におけるおもてなしの極意をたくさん学ぶとききます。

それは、訪日外国人が感じる「ニッポン」という国の唯一無事の文化であるが故なのかしれない。

日本の文化を知らない訪日外国人だからこそ、際立つ日本文化の「おもてなし」を感じとるのかもしれません。

たとえば、電話が鳴ったら3回以内に出ること。お客さまが電話を切る前に絶対に自分から切ってはいけないなどは、他国にはない、ニッポン独特の文化だとされています。

他には、スポーツの試合などで得点を決めたり勝ったりしたときに、派手にガッツポーズを決めて大喜びをする日本人は少数派だといいます。

負けた相手への配慮から、あるいは自慢や傲慢を嫌う武士道に通ずる日本人らしさを感じるとされる。

武士道の思想のひとつに、「喜怒を色に表さず」という言葉があるそうです。感情を表に出さないことで、他人の気持ちをかき乱すことのないように配慮するのが武士の心得と説く。

どうでしょうか?どれだけ今の日本人に、「喜怒を色に表さず」という武士道を知っているだろうか?実際、私自身も知りませんでした。

ですが、実は、武士道の心得は、私達の「ガッツポーズを見せない思いやり」という日本唯一の文化の中にいるのです。

外国人は、そこに「おもてなし」を感じるとされる。その「ガッツポーズを見せない思いやり」が賞賛された日本のヒーローといえば、最近引退宣言をされた、元大リーガーの「イチロー選手」。

イチロー選手の「クールな振る舞い」というかっこよさにスポットライトの「光」で照らされた時、日本人が気付かなかった「ガッツポーズを見せない思いやり」というおもてなしの「影」の部分が、くっきりと表れたのだ。

訪日外国人が感じるおもてなしに、 電車が正確に時間通り到着することに非常に驚く。というのは聞いたことがあるともいます。確かに機械のような正確さは外国人にとっては実にアメージングな事なのでしょう。

ですが、外人さんが感じる「駅のおもてなし」は、車内が常に清潔に保たれていることだといわれています。

ご存知の方も居ると思いますが、新幹線では清掃隊が組織されており、入れ替えのわずかな時間に手早く車内の清掃を行っています。時間管理の正確さは、すぐに感じるサービスの一環ですが、清掃がいきとどいた車内は、日本人には当たり前の状態。そこに、「おもてなしの心」があると気づくのは、唯一外人さんだからこそなのだ。

日本の心、日本の伝統は、日本人にしか伝える事はできないが、その「おもてなしの心」ををどう感じるかは、日本人には感じとりにくいのかもしれません。

日本が誇るニッポンの「おもてなし」はきっとまだまだ見え隠れしているのだろう。

あなたが気づいた「おもてなし」は何ですか?

おもてなしの華を受け取った、令和時代の課題

来たるは、2020年に開催される「東京オリンピック・パラリンピック」は多くの訪日外国人が見込まれます。

然るに、東京オリンピック・パラリンピックはあくまでも通過点であり、真に求められるのは大会後を見据えた、将来に向けた成長基盤の構築でもあろう。


オリンピック・パラリンピックは単なるスポーツの祭典にあらず。海外からの観戦者やメディア、インターネットを通じて開催国の魅力を世界に発信する貴重な機会です。


海外旅行需要の取組みはもとより、日本が誇る「技術」や「サービス品質」、「安全性」、そして、唯一無事の「おもてなし」の心を武器に新たな市場を創造できるかがカギなのだ。

少子高齢化社会のフロントランナーたる日本が、パラリンピックを通じて「共に生きる」という共生社会のあり方を世界に示すその意義は、日本人ひとりひとりに課せられた「課題」。


また、5G通信、モビリティ革命となるMaas社会、Iot技術を操るAI(人工知能)といった「テクノロジーの進化」と掛け合わされることで、日本の文化を世に発信し、「おもてなし」の心を感じとってもらえるのです。

なぜなら、「テクノロジーの進化」がスポーツ産業活性化に与える影響を考える際、「する」、「みる」、「支える」の3つの主体の視点に加えて、新たに「リアル」、「バーチャル」という軸が必要となるからです。

日本人が気付きにくい日本文化を令和の課題でもあるテクノロジーの進展に投資することは、与えるものではなく、感じるものである「お・も・て・な・し」の心、つまり日本のアイデンティティーを再確認し、またそれを「守り続けること」につながる

故に、失われた20年、何となく過ぎ去った平成時代と称されるも、確かな「日本文化の価値」を過去から未来に通じる日本の歴史を刻むのであろう。

変遷し続ける、テクノロジーの進化