江戸のコンサルタントに教わる「逃げる」勇気

遡ること、時代は江戸末期。
絵にかいたような「まじめな優等生」ともいえる、ある男のお話です。
男が12才のとき、村で川の水が溢れないように、土手を作る工事を行う事になった。
各家庭から一人ずつ働き手として参加しなくてはいけなかったのですが、その男の父親は体が弱かったため、まだ子供である自分が土手工事にでなくてはいけなかった。
しかし、まだ12才といえば現在なら、小学6年生。当然、力もないし、周りの大人の方と同じような働きができるはずがありません。かえって邪魔な存在でしかないでしょう。
男は、自分が何もできないことを非常に心苦しく思った。そこで、家に帰った後、夜遅くまで「わらじ」という履き物を、土手工事に携わる大人の方に人数分を作り、次の日、「ケガをしないようにどうぞ。」といってみんなに配ったのです。
幼き子どもであるその男は、「役に立てない自分」を「自分ができる事は何か」という、自分でできる事でカバーするそんな発想ができる優秀な子供だったのです。
さらに、驚くべきことに、おこづかいをためて買った小さな木を土手の周りに植え、「木が成長すれば、しっかりと根をはるため、土が崩れてにくくなる。」といって、約200本もの木の土手を作ろうと考えたのです。
とても12才の子供が考える事とは思えません。実はその男は、とにかく自分でよく勉強をする子で、このような知識も本を読んで、そこで学んで知ったことを実践できる能力があったのでしょう。
インプットしたことを、アウトプットして実践する。まさに「行動力」があるということです。
現在人は、知識はあっても、なかなかそれを行動に移せない人は多くいます。ですかその男は、何もできそうにない自分に卑下することなく、今の自分にできる事を考えに考え、実行した。
もう、イヤミなくらいよくできた子供だったことが分かると思います。こんな子が大人になったらどうなると思いますか?
「農村復興」というコンサル業
25歳になったその男は、自ら学んだ学問を伝に、武士という国のえらーい人の子供の家庭教師をする事になりました。
しかし、江戸時代が終わりかけていたこの頃は、武士だからといって、必ずしも「お金持ち」ではなかったとききます。そんな武士に雇われている人達はやはり貧乏。そんな人たちが多くいる時代だったのです。
ある日、家庭教師をしていたその男は、同じ屋敷で掃除や料理をして働いている女中に、こんなことを頼まれました。
「お金をかしてくれませんか?」
先に説明したとおり、この屋敷に住む人はお金のない貧乏です。お金のない人にお金を貸しても、まず戻ってくるはずがありません。いえ、返せるだけのお金を調達する方法さえ分からないのです。
やさしいその男は、お金に困っている女中にお金を貸してあげたいのは山々ですが、返してもらえるあてもない貸し付けは、かえって自分の首を絞めるようなもの。貸した側も借りた側も不幸になるだけです。
そこで、男は考えます。
お金を返せない女中ができるはないだろうか?その人が持っている力を、どう生かすかを考えた。
男が12才の時に、父親の代わりに土手工事に参加した時のエピソードを思い出してみて下さい。子供だったその男は、土手工事で何もできそうにない自分を卑下し諦めることなく、「今、じぶんができることはないか?」と考え、わらじを作ってみんなに配りました。小遣いをはたいて、防波堤となる木を植えたりもしました。
そんな、「今、最大限できること」にひらめく発想力が、大人になってから、その能力が徐々に頭角を表し始めるのです。
女中にお金を貸すために、その男が考えたことは、料理をする時に使う「まき」の本数を、5本から3本に減らす方法を考えた。そして、余った2本の「まき」を、男はもらい、ある程度たまったら、それを売り、お金に変える事を思いついたのです。
そうすれば、お金のない女中から、直接返済されなくても、元を取る事ができます。実際、女中にはちゃんとお金を貸して、「まき」を売る事で、男は元手を回収したとされます。
いかがでしょう。もうここまでくると、現在でいう「経営コンサルタント」のやり口です。男は誰かから教わったわけではなく、自ら本を読んで学んだ知識を、実行したまで。すごいですねー。
このできごとをキッカケに、その噂は一気に広まり、男は、お金に困る多くの人を助ける「コンサルタント」として仕事をまかされるようになったのです。
この頃、台風などの天災が続いたため、農村はどこも作物が取れず、人々達は非常に貧しい暮らしをしていた。男は、そんな農村を救うため、まずは人々の「心」を変えることから始めたのです。
村人たちは、農作物がとれないことで、何よりも「やる気」を失なっていたため、その「やる気」を取り戻すことが先決だと判断した。
そこで、男は、貧しい農村の人達が国に収める「税金」を少なくする方法、村人一人ひとりの良さを生かした仕事のやり方などを教え、さらに結果を残した人には正しい評価を与え、報奨金を与えるなどを実行しました。
貧しい農村を救うためには、村人たちの「やる気」を取り戻すことが大切だと判断し、「今できる事で農村を復興させる」正当なコンサルだったといえます。
このように始めた農村の復興ですが、始めのうちは順調だったのですが、その男の施策に反対やはり出始めたのです。
農村を治める武士に「復興するまで税金を少なくしてほしい」と願いいったが、「もともと農民のくせに、えらそうなことをいってんじゃねぇよ!」「税金を安くしろだと?それで得するのは農民だけじゃないか!」「てめーは、この国をもっと貧乏にする気なのか!」
この武士の言い分はまちがいではありません。確かに治める税金の徴収が少なくなると、税金で賄う国に負担をかけてしまいかねません。
ですが、男の考えは、「税金を安くしても、とれる作物の量がふえれば、農民方たちの報酬も増え、結果的に国に収める税金は多くなる」という将来を見据えた計算があったのです。
だからこそ、貧しい暮らしをしている農民の税金を少なくする事で、「やる気」を取り戻してもらい、より経済を潤す事が重要だと判断したのです。
しかし、そんな男の考えが、そのまま受け止められる時代ではなかった。人をいつまでも身分や地位などで差別する傾向があったのです。しかも、えらーい「武士」というお方がです。
するとどうなるでしょうか?そんな、えらーい身分の「武士」がその男の悪口を言ってしまうと、農民の方たちは、独学で学んだ男のコンサルよりも、村を治める武士さんの言う事を信じてしまうでしょう。
やがて、その男の農村復興の施策は徐々に、農民から反対を被るようになり、働くことさえしなくなる人もではじめてしまったのです。進まない復興、男に反対する人達の声。
とうとう、耐えきれなくなった、その男は自信を失い、村から逃げるようにして出てしまったのです。
「逃げる」勇気から新たな道がみつかる
村から逃げ出し、自信を失い、どうしようもなくなった男は、一旦実家に帰り、心を落ち着かせようとするが、体の疲れは取れても心のキズは癒せなかった。
ですが、男はそこでへこたれる弱い心の持ち主ではなかった。自分の考えに対し悪口をいわれたことで、その人を「悪い人」「自分の敵だ」と決めつけていたのは、結局は自分自身だったことに気付いたのです。
善と悪。好きと嫌い。そんなものは、そもそも存在しない。世の中には、絶対悪い人もいないし、絶対の善人のいない。すべては、自分の「心」がその人を「悪」だとか、「敵」だとかを作り出してものに過ぎないのだと。
その人を「悪」だと思ってしまえば、その気持ちは相手に伝わる。伝わってしまえば、相手も自分を嫌いになる。それだけのことなのだと。男はそう気づいたのです。
折れかけたその男の「心」は徐々に希望の光をともしびだし、「悪」や「敵」など自分には存在しない、そんな人はこの世にはいない、という思いで再び村に戻りました。
村に戻った男は、どんな批判をうけようと、どれだけ自分の話を聞いてくれなくとも、決してその人を「悪」だと決めつけたりせず、ただ、普通に接することを心がけた。
すると、徐々に、男を嫌っていた村人たちは、自分が恥ずかしく思うようになり、とうとう男の邪魔をする人はいなくなったとされます。伝わったのです。その男の相手に対す思いが。
その後、この村の実績は瞬く間に世間に知れ渡り、多くの農村の復興を手がけるようになり、救われた村は、600以上にも及んだとされている。
逃げ出す失敗。逃げる事はすごく、かっこ悪いし、悪いことのように思えます。
しかし、「逃げる」というのは、「次に逃げないようにするためにはどうすればいいか」という、 “ 作戦の練り直し ” にすぎないのです。
大事なのは、逃げた後何をするか、なのだ。この男のように、まずは心を落ち着かせ、自分と向き合うことも大切なのです。
逃げないは、美しい。逃げないは、立派なことだ。しかし、どんなにつらい状況でも逃げずに、頑張り過ぎることは、はっきりいいますが、何もいいことはありません。
逃げることをしない選択は、「逃げる勇気がない」ともいえるのだ。
逃げる行為は確かにつらく、周りの人からも決していいようには、受け止めてもらえないかもしれません。
ですが、その場は、辛抱です。この男のように、何度でも巻き返しをする事ができるのです。
さて、冒頭から、その男、この男、男、男と言い続けましたが、彼の名前は、「二宮金次郎」。
薪を背負いながら本を読む幼少期の像でが知られる、農政家の「二宮金次郎」(二宮尊徳)。
実は、江戸時代後期に600以上もの荒廃した村々を立て直した「革命家」だったこと多くの方には知られていないかもしれません。
今の時代だからこそ、彼どんな人で、どんな考え方をしていたのかをもっと多くの人が知る必要があるのかもしれません。
ここでお話しした内容は、ほんとザックリです。彼の事をもっと詳しく知りたい方もいることでしょう。
映画『二宮金次郎』