「できるかできないか」、ではなく「何が」やれるかどうか。

「できるかできないか」、ではなく「何が」やれるかどうか。

何事も「できるかできないか」よりも、

「やるかやらないか」で決まる。

僕はこの年になって、やっとわかったことがある。

「やる人」も「やらない人」も、「できるのか」を考える。ということ。

「できるかできないかよりも、やるかやらないかで決まる」(2回目)

できるかできないか、と考えるよりも、やるかやらないかが大切。

いや、まてと。やるのかやらないのかを決断を下す時、できるかできないかは、どうあっても考えますよね。

「やる人」というのが「行動力のある人」とか、「失敗を恐れず果敢に攻める人」であったとしても、「できるのか」くらいは考えるでしょ。

いやいや、まてと。

「できるかできないかよりも、やるかやらないかで決まる」(3回目)

この素晴らしい名言に込められた意味というモノは、「できる」のか、それとも「できない」のかで、「やるべき」か「やらない」べきかを判断してはいけない。という意味なのか?

何度も読み返しても、最終的には、「やれ」と言っているように思えるのだけど、どうでしょうか?

だから、できるかできないかよりも、とにかくやれよ。と言っているように思えるのだが、どうでしょうか?

そして、僕は、この「やれ」の言葉に込められた意味が、ようやくわかった。

「できるか~決まる」(4回目なので中略で)の メッセージ の込められた、その意味を、自分なりに解釈し、わかったことがある。

それは、「0(ゼロ)」か「100」ではなくて、「0(ゼロ)」を「1」、もしくは「0.1」せめて、「0.01」にすればいい、ということだ。

「全」か「無」かで考えないようにする

さてさて、今回は、「できる~(中略)~決まる」という言葉について取り上げております。

どうです?

「できる~(中略)~決まる」という言葉を、読むなり聞くなり、言われたりしても、そんなことはわかってる、ってなりますか?

ですが、僕が知る限りでは、大半の人が、「やるか」または「やらないか」の決断を下す時、「できそう」だから、もしくは「できそうにない」からのどちらかで決めているのではないかと思います。

少しは「やる人」も、できると思っていたのに、やっぱりできなかった。最終的には、「やめてしまう」になってしまう。

なぜでしょうか?

それは、もしかすると、「できるかできないか」という意味を「100%完璧にできる」か「全くできそうにない」という、全か無かで判断してしまってはいないでしょうか?

そして、「やるかやらないか」という意味を、「最初から完成に近いレベルにやれる」のか、それとも「自分には絶対ムリだ」という、極端な行動イメージをもってしまってはいないだろうか?

例えば、「フルマラソン」に参加できるかできないかを判断するとき、42.195kmなんて自分には走れっこない、自信ない。ってなりますよね。

「できるかできないか」を考えた時、42.195kmを完走しなくてはいけない、という「100%完璧にできる」か「全くできそうにない」と決めつけてしまいません?

フルマラソンに参加して、途中でリタイアしてしまうなんて、かっこ悪い姿をみせたくないし、歩いてでも完走しようとは思わない。

いいタイムは出せなくても、せめてまともの走って完走できないと、フルマラソンなんて参加しない。「やるかやらないか」を決める時、初めから「やらない」と決めてしまう。

フルマラソンに参加するかどうかはあくまで事例ではあるのですが、大半の人は、「できるかできないか」を「0(ゼロ)」か「100」で判断してしまっているようです。

この思考を「全か無かの思考」ともいったりします。

つまり、「できるかできないかではなく、やるかやらないか」という言葉を、このように解釈してしまっているのです。

「できる(全)か、できない(無)かではなく、やる(全)かやらない(無)できまる」

本当なら、100%完璧にできるかどうかで判断するのではなく、少しくらいならできるに違いない、だから、全くしないとはんだんしてしまってはいけない。

と、解釈するべきなのではないだろうか。

今、自分にできる事は何か

「こんなことでミスするなんて…自分は何をやってもダメだ」

仕事ができるかできないかを、「オール・オア・ナッシング」の思考になりやすい人ほど、「うつ」になりやすいと言われています。

「ナッシング=無」とは、何かマイナスの出来事があると気持ちがガクーンと落ちて、「もうダメだ」という気持ちにはまり込んでしまう状態です。

イメージとしてはネガティブの沼にはまっているような感じ。

そして沼から脱せられるのは「オール=全」、100%のときだけと思い込み、1〜99は「0(ゼロ)」と決めつけてしまうので、たとえ「70%」や「80%」になりかけても「でもダメだ」と、沼に戻ってしまう。

ですが、ここで、日々の生活を思い返してみましょう。

10回のうち10回ともダメだった。100%うまくいかなかった。成功は0%だ。そう断言できる経験はあるでしょうか。

大抵の場合は、10回のうち3回くらいはダメだった。60%はうまくいかなかったけど、40%くらいはできた。というように、曖昧な部分も多いはずです。

しかし、全か無か思考になってしまうため、「全部、何をしても無理だ」「完全にゼロ」というように、極端な判断にはまりこんでしまうのです。

しかし、全か無か思考で生まれた考えは、「やるかやらないか」を判断するとき、「完璧にできるかどうか」という誤った考えになってしまいます。

「できるかできないか」よりも、「やるかやらないか」できまる。

この言葉に込められた意味は、

「今、自分にできる事からやってみよう」

「初めから100%を求める必要はない」

ということなのだろう。