「陽の当たる努力」と「陰の努力」のメリットとデメリット

「陽の当たる努力」と「陰の努力」のメリットとデメリット

努力する人には、見える努力をする人と、見えない努力をする人がいます。

そして、多くの人が、見えない努力より、見える努力をしがちです。

見える努力とは、自分の「がんばり」を人に見てもらうことをいう。

なぜ、努力していることをあえてカミングアウトする必要があるかというと、「評価」してもらいたいからだ。

「よくやってるな」「がんばってんじゃねーかよ」「偉いね。すごいね。」など、自分の頑張っている姿をあえて見てもらい認められると、嬉しいしやる気もでるので余計に頑張りたくなるからです。

幸い日本社会は「努力したこと」そのものを高く評価する傾向があります。

努力した結果、目標が達成できなくとも、「よく頑張った」というねぎらいの言葉をかけてもらえる。

実際あなたもそうじゃないですか?

例えば、学生時代に運動が苦手な子がいたとして、その子が一人だけ跳び箱が飛べなくて、一人残されみんなの前で一生懸命に飛べるまで努力していたら、「がんばれがんばれ」と応援してあげたはずです。

その跳び箱が飛べない子がもしも、誰もいないところで一人で練習をしていたら、みんなからの頑張れエールは当然なくて、やる気を起こすことができないかもしれません。

「見える努力」の利点と欠点

見える努力は他人から「評価」してもらえるので、多くの人が努力していることをアピールしたがります。

ですが、見える努力はすなわち、見せる努力であり、見せる努力はときに厄介なことになりかねない。

それは、見せるために努力してしまうことです。

他人に見せてプラスの評価を得るために努力しようとするため、努力するべき目的の方向性がまちがってしまうのである。

たとえば、職場で「見せる努力」をする人がたまにいる。

見せる努力をする人は、一目で努力しているとわかるよう、人前では頑張っていることをアピールします。

積極的に仕事をしているように見せつけます。できるだけ集中して、持てる力をすべて発揮しているかのように頑張り、必要なら、残業もする。

「人に努力を見てもらえるチャンス」と思って、とことん仕事に打ち込み、努力している自分を堂々とアピールしたがっているのがよくわかります。

その努力している姿を上司がみると、やはりプラスの評価をもらうことができるし、周りの人からも好印象にうつるでしょう。

ところが、見せる努力をする人は、人がいなくなると、びっくりするくらいに態度が一変する。

人がいないと、努力をしている自分を見てもらえないので、褒められることがなくなり「評価もされない」ので、努力することを無駄だと思い、途端に手抜きを始めるのである。

他人に自分の努力を見せてプラスの評価をもらうことが目的なので、その対象がなくなると、目的が達成しないがために努力をやめてしまうのでしょう。

その人が残業してくれたり、必死に頑張って仕事しているのは、会社のためでもなく、スキルを上げるためでもなく、同僚の手助けをしようとしていることではないようだ。

とにかく自分の努力を他の誰かにみてもらい褒めてもらうことが目的で、そのための努力なのです。

完全に努力の方向性が間違っていることに気がつきましたか?

「見えない努力」の利点と欠点

よく「努力は報われる」といったりしますが、こういった努力の矛先を間違ってしまうと、その努力は報われません。

見せる努力をする人は、他人の評価をもらえる利点があるので、やる気を引き起こすキッカケにもなりますが、評価をもらうことが目的になってしまうと、何のための努力なのかを見失ってしまうことがあるのです。

人前ではやる気が出ますが、人のいないところでは、ついサボってしまう。認められるためにしている努力なので、見てくれる人がいないと、やる気が起きないのです。

人からどう見られているかを、いつも気にする必要があるため、集中もしにくいのです。

本気で努力することに集中するためには「見えない努力」が必要です。

他人の評価を気にせずに、本質的な目的達成を果たすために集中して努力するためにふさわしいのは、「一人になった」ときです。

自分一人で努力するから誰にも見られないため、努力していることを認められられたりすることもありませんが、目的を達成させるための努力に集中することができます。

孤独との戦いではあるがゆえ、他人からのエールでやる気を起こすことはないかもしれないが、自分に集中できるため、努力の先にある本当の目的を見失ってしまうことがない状態でもあるのです。

見えない努力のことを、ときに「陰の努力」といったりもする。陰の努力はすごく孤独で、どれだけ努力をしてもそのがんばりの姿は誰も知ることがない。

結果によってはじめて評価されるのです。良い結果ならプラスの評価をもらえるが、悪い結果ならマイナスの評価が下される。どれだけ努力をしていたとしても、陰の努力は何一つ評価されません。

そう考えると、やはり、同じ努力をするのなら、「見せる努力」で努力そのものを評価してもらったほうがいいのだろうか。

見せる努力は、結果がたとえよくなかったとしても、その「がんばり」を高く評価してもらえることがある。周りから「がんばってるね」と称賛されることもある。

結果が悪くとも、跳び箱が飛べないこのように、応援のエールをしてもらうことで、ますますやる気を起こすことさえできたりもする。

陽の当たる「見える努力」がいいのか、それとも、陰の「見えない努力」がいいのか。

先ほど、「努力は報われる」といいました。

誰もが努力をするのは、自分の未来が報われることを信じているからこそ努力をするんだと思います。

ここでいう、「報われる」とは、「人に与えた恩恵や、目標や希望を叶えるための労に対して、それに見合うだけのものが返ってくる」という意味です。

つまり、努力によって報われるということをひも解くと、自分の努力によって、人に貢献することができるため、その恩恵として何かしらの報酬を頂ける、ということになります。

なんだか報酬目的に努力するのかって思ってしまいますが、僕たちは、仕事をすることで報酬を頂かない限りは生活することができません。

自分の仕事が誰かに貢献するならば、それに見合った報酬をもらう権利があるのです。

なので、努力する目的は、目の前の上司に評価してもらうことでもなく、周りの人から称賛してもらうことでもない。自分のやるべきことに集中して、その結果が誰かに貢献できることが努力をする目的なのです。

陽の当たる「見える努力」は目先の評価で報われたりするが、陰の「見えない努力」は、人に貢献しようとする本来の努力を見失わずに集中して努力することができるので、報酬という形で報われる結果につながるのだと思います。

努力は報われるといいますが、それは、目的を見失わない正しい努力をした場合であり、努力することに努力しようとする間違った努力では、報われることはない。

目的達成の手段としての「努力」であるはずなのに、努力を評価してもらう目的の手段としての努力は、いってしまえば自己満足したいがための努力です。

「努力は報われる」とは

努力そのものは別に他人から褒められなくていい。見えないところでいかに努力しているかが、自己成長につながり、結果として報われるのだ。

「見える努力」がたくさんある人は、その努力に対し他人の評価も求め、認められることに安心感を求めてしまいます。

安心感を得るための努力は、自己満足であり、誰かのためになる貢献感を得られないため、かえって自己肯定感を下げてしまう結果になりやすい。

一方で、見えない努力が多い人は、自分以外の人はいない場所で努力するので、努力そのものを評価してもらうことはないが、人に貢献する目的を果たそうとすることに集中して努力するため、報われる可能性は高くなります。

見えない努力は他人から見えなくても、見えない努力を重ねることで得られる自己成長した自分の姿は、まちがいなく他人に見られ、評価ではなく、感謝してもらえるのです。

感謝してもらえるということは、自分の努力が他の誰かのためになったという貢献感を得ることができるので、自己肯定感を高めることができます。

努力が報われるということが正しいのであるならば、それは、自分一人の環境でがんばる「見えない努力」で、 努力が目的になってしまう的外れに気づける「努力のセンス」を高めることはないだろうか。

つまり、間違った努力は誰もが陥りやすく、自分でも気づかないことが多い。

ときに、見せる努力で、他人からの評価をもらいたいときもあり、努力の目的を見失ってしまうこともあります。

冒頭でいったとおり、ほとんどの人が、見せる努力をしたがる傾向がありますが、自分一人の「見えない努力」を取り入れ、間違った努力を正しい努力に軌道修正できる「努力のセンス」を高めることが大切です。