人に「迷惑」をかけてはいけませんか?

人に「迷惑」をかけてはいけませんか?

人に迷惑をかけてはいけません

自分がされて嫌な事はしてはいけません

誰しもこのように子どもの頃から、そう教わってきました。

そりゃあまぁ、確かに他人に迷惑をかけないに越したことはない。

人の嫌がる事をするのは、あるまじきことだし、自分が迷惑な事をされるとイヤだと感じる。

だから、「自分がされて嫌な事は、他人にしてはいけない」。ということ。

それは確かなこと。だから、迷惑をかけないように、常日頃から人に対する気遣いというものが欠かせないのだ。

ですが、人によっては、他人の手を煩わせてわせてしまう事が、あたかも「迷惑」な行為だと思ってしまう人が、実は多いように思える。

そこには、「迷惑をかけてはいけない」ではなく、「遠慮」が優勢的になってはいないだろうか?

「迷惑をかける」って何だ?

お尋ねします。

今から他人に「迷惑」をかけてください。といわれると、あなたはどんな迷惑行為をしますか?

おそらくですが、「嫌がらせをする」とか、「邪魔をする」とか「ちょっかいを出す」など、かわいらしい迷惑を演じるのではないだろうか?

そう、迷惑をかけえましょうっていわれても、喜んですぐにできるものではないのです。わざと他人に迷惑を掛けようとする人はいません。

「人に迷惑をかける」は、わざとではなく、「人に迷惑をかけてしまった」、結果的に「迷惑行為となってしまった」事の方が圧倒的に多く、自己本位の行為ではありません。

つまり、「他人の迷惑行為」は、被った人が感じるもので、本人は何も「悪気はない」し、または「気づいていない」だけの事の方が多かったりする。

たとえば、こんなこともあります。

自分にしてみれば「迷惑行為」ではないと思っていることが、他人にとっては「ありがた迷惑」だと思われてしまう。

この際の、「迷惑をかける」は、「思いやり」だったり、「親切心」であることもあります。

人の手助けをしようとしたことが、かえって「余計なお世話」になってしまった。

「思いやり」→「ありがた迷惑」(迷惑)

「親切心」→「余計なお世話」(迷惑)

「手助け」→「余計なお節介」(迷惑)

いってみれば、これらの行為は「他人に迷惑をかける」ことではありますが、悪気があるどころか、むしろ本人主体的には「やさしさ」。

人に対する迷惑行為は、本人にとって気づきにくいもので、他人に「迷惑なんだよ!」「余計なお世話だ」とハッキリといわれてしまったり、言葉にしなくとも嫌な顔をされたり、煙たがられたりして、気づくものです。

人はだれしも、他人に迷惑をかけてしまうもの

何一つ迷惑をかけていない人はいません。極論、「お世話になる」だけでも「ご迷惑をおかけします」というように、解釈されている。

つまり、他人に迷惑をかけてしまうのは、「お互いさま」。

あなたも、私も、お互いにご迷惑をおかけしてしまうかもしれません。時に、ありがた迷惑にも、余計なお世話ともなり、お節介な行為となってしまうかもしれません。

ですが、そうすることで、あぁ、自分のやったことは少し違っていたのかもしれない。この人はこれが嫌だから気をつけよう。迷惑なことしちゃって、申し訳なかったな。

というように、どういった行為が、「他人に対する迷惑行為」なのかを学習していくものだと思います。

しかし、子供の頃から、「他人に迷惑をかけてはいけない」と何度もそう教わります。

親も、先生も「せめて他人の迷惑にならない人間に育って欲しい」と思い、「人に迷惑をかけてはいけません!」という。

決して間違いではないのですが、何度も何度も言いきかせるのは危険ではないでしょうか?

心配なのが、「人に迷惑をかけてはいけない」という強い思いが根付いてしまう事です。

「迷惑をかける」と「遠慮する」は違う

迷惑をかけないという態度は迷惑をかけた後の結果を避けたいという考えになってしまい、困っている人を手助けする、困ったときはお互いさまという行動にブレーキをかけてしまう恐れがある。

迷惑をかければ当然その後に借りができる。借りを作るくらいならそうなりそうな要因を取り除いておいた方がいい・・・と。

つまり、優しさの行為にブレーキがかかり、むしろ「遠慮する」ことが、迷惑をかけないことだと錯覚してしまう可能性があるように思う。

遠慮する気持ちが強くなると、消極的になりやすく、言いたい事もハッキリ言えない、いやな事も言わずに我慢するようになってしまったり、「自己主張」できなくなることさえあるかもしれません。

遠慮する気持ちが強くなると、迷惑をかけることはないように思えるが、「遠慮しすぎてかえって迷惑になる」ことさえある。

つまり、他人に迷惑をかけてしまうことは、なんにせよ避ける事はできないのです。

どんに遠慮しても、他人に迷惑をかけてしまうこともあり、むしろ、自分自身を苦しめてしまう事の方が多かったりする。

本来、迷惑をかけるのは「お互いさま」で、それはいい意味での「やさしさ」でもあったりする。

だが、「人に迷惑をかけてはならない」と強く教育されつづけると、自分も迷惑をかけないかわりに、他人から迷惑を被るようなことは「ゆるせない」ことだ。という「迷惑行為=悪気」を成立させてしまう。

ここには、「お互いさま」精神は宿ってはいない、人の「冷たさ」。

さらに困るのは、迷惑さえかけなければあとはどうしようと構わない、文句を言われる筋合いはない、という「迷惑さえかけなけりゃいい」という態度がでて、他人を完全に無視する姿勢にもつながってくる。

このような冷たさの一端が顔をのぞかせてしまっている人が身近にいたりはしないだろうか?

他人に迷惑をかけていない人はひとりもいない。現実に迷惑をかけないような人間など、一人もいません。

「他人に迷惑をかけてはいけない」という姿勢は、裏を返せば「心の冷たさ」につながるということ。

自分がしてもらってうれしいことをしよう

「人に迷惑をかけてはいけません」「自分がされてイヤなことはしてはいけません」だけでなく、「自分がしてもらってうれしいことをしよう」を伝えよう。

本人のその行為が仮に、迷惑行為だったとしても、気にしすぎることはなく、「お互いさま」だと割り切ることが必要で、思い悩むことはありません。

誰だって迷惑はかけてしまう。しかたがない。だから、「今後気をつけよう。」と気づけばそれに越したことはない。

また、迷惑行為をされた人も、それは「お互いさま」だと受け止め、それが明らかな迷惑行為だったり、または、ありがた迷惑なら、怒鳴りつけたりせず、単刀直入に「迷惑なんだよ!」と叱責せず、冷静に伝える事を心がけよう。

人に迷惑をかけてしまったことに、悩んでいても仕方ありません。

誰だって、迷惑をかけながらお互いの「思いやり」が芽生えるもの。

「自分は人に迷惑をかけてばっかり・・・」

と思っているのであるなら、それはあなたが人より「思いやる気持ち」が強い立派な人格者であるということ。

あなたが、迷惑ばっかりかけてしまっていると感じるのは、周りの人が「お互いさま」という気持ちが足りてないため、まるであなたが一方的に悪物扱いしようとしているだけ。

「お互いさま」精神が足りない人達は、自分がどれだけ他人に迷惑をかけているかを気づけない残念な人です。

「自分は人に迷惑をかけてばっかり・・・」

とうあなたはには、「お互いさま」精神がある。やがてそれは人の信頼とつながり、将来有望だという事。

「人に迷惑をかけてはいけない」と思い込み、あなたの信じた行動にブレーキをかけず、自分がしてもらってうれしいことをして、もっともっと、「こんな事をしたら人に喜んでもらえるかもしれない?」という豊かな創造を膨らましていこう。