10年後のために身につけておきたい共通の「キャリア」

10年後のために身につけておきたい共通の「キャリア」

IT環境のイノベーションで、個人が起業したり投資したりすることへの敷居が下がり、若いうちから経済的成功を実現したいという価値観、目標をもった人たちも増えているように思います。

ジリ貧と思えるサラリーマン生活などにはもう期待しない、ということなのだろうか?

僕は、気づけばすでに40代。ごくごく普通のサラリーマンだ。

20代から30代にかけての10年間は、その後の自分のキャリア(到達レベル)を決めてしまう「勝負」の時期だった。

この時期を戦略的に生きるか、目先の忙しさにかまけて漫然と過ごしてしまうかで、40代以降の展望が大きく変わってくるのだと気づき始めている。

僕のこの時期は、後者の目先の忙しさにかまけて漫然と過ごしてしまった人物です。

10年間を無駄にしたとは思えないが、大事な「キャリア」に気づけなかったことが、今の自分に襲いかかっている。

というのも、これまでの仕事観、会社との関係や働き方に、「あること」が前提となっていたからだ。

「キャリア」とは

その「あること」が何かを言う前に、「キャリア」という言葉は近年では世間で頻繁に使われる言葉ですが、そもそもキャリアの定義とは何なのでしょうか。

「キャリア」という言葉は様々な場面で使われているため、大抵が大雑把なイメージで捉えられ使われていることが多いのではないでしょうか。

一般に仕事・経歴・就職・出世などのイメージで使われることが多い言葉ですが、厚生労働省が提唱しているキャリアの概念の中には、「時間的持続性ないしは継続性を持った概念」として定義されています。

つまり、本来の「キャリア」とは、就職・出世・現在の仕事等の点や結果を指す言葉ではなく、働くことに関わる「継続的なプロセス(過程)」と、働くことにまつわる「生き方」そのものを指している。

「キャリアを積む」ということは、仕事の経験を積むという事だけではなく、その仕事に取り組むプロセスの中で、身につけていく技術・知識・経験に加えて、人間性を磨いていくこと、そしてプライベートも含めた自分自身の生き方を磨いていく事なのです。

組織に属する会社勤めは、人間関係が面倒、やりたい事ができない環境、我慢の連続、いつ倒産するかわからない、などなど、不満や悩み事を上げればキリがないほどですよね。

だけど、会社勤めはこういった嫌な事もたくさんあるが、自分にとっての「キャリア」であり、これから5年、10年先でも必要とする貴重な経験だということも事実。

その貴重な経験を大抵の人は「我慢」「仕方がない」と自分ではコントロールしようがないことだと思っているかもしれません。

しかし、自分でコントロールできないこと、「与えられている」「やらされている」という、受け身(雇われの身)の考え方が、僕のこれまでの積み重ねてきた「キャリア」になってしまっていたのだ。

解決すべきことは「嫌だと思っている自分」

人は誰でも「夢や望みを実現したい」と思っています。

だけど、その前に、目の前の不安や不満、心配事、嫌だと思うことを解決したい、と考えているはずです。

あーなりたい、こーなりたい、と思う感情よりも、これをなんとかしたい、どうにかして忘れたい、ホントはやめたい、したくない、という感情を解決させることの方が優先的だったりしませんか?

人は、何かを得ることよりも、痛みを解決することを優先するとされています。

夢や希望は明るい話だが、マイナスの事が解決していなければ、とてもそんな気持にはなれない、という人がほとんどでしょう。

夢や希望といったポシティブなことと、目先の嫌だと思っているネガティブなことは、切り離して考えようとしても、すべてはつながっている。

たとえば、仕事で悪いことがあって、いつまでもイライラしたり落ち込んだりしてると、プライベートでも嫌なことが重なる、こんな経験あるよね。

自分に起きることは、1枚のテーブルクロスのようなもので、端の一部分をグイッと引っ張り下げると、まわりも引きずられて下がってくるのです。

せっかく「いつかはこーなりたい」「夢や希望を考えるとワクワクする」気持になろうが、心配事や嫌だと思うことが、結局は足を引っ張ってしまう。

すべてはつながっている、切り離すことができないのは、全ての感情をコントロールしているのは自分の中で起きることだから。

ですから、日常生活で、どれだけマイナスの感情を持たないで過ごしていられるか、が大事になります。

「与えられている」という考え方が前提

会社で勤務していると、どうしても「雇われの身」であることが当然となり、嫌だけどしなくちゃいけない、業務命令だから仕方がない、ノルマを達成しないといけない。

ほとんどの事を自分ではコントロールできないことばかりで、一括りに「仕事だから」で仕方がない、我慢するしかないと「受け身(雇われの身)でいることが前提」になっているようだ。

なんでも「やらされている」と思っているから、人間関係が面倒、やりたくないことができない、理不尽な上司がイヤ、言うことを聞かない部下がイヤとか、外部に対して反応してしまっているのです。

外部のできごとがそこにあって、それをまともに受け入れることは、「自分は外部の状況に振り回されている」と認めることとイコールです。

会社勤めは雇われの身であるがゆえに、どうしても与えられることがほとんどだが、それを「やらされている」という意識でいると、ネガティブな感情で仕事をする自分を認めていることになります。

人間の悩みのかなりの部分は、自分でコントロールできないことを無理やりコントロールしようとすることが起因しているわけで、それが仕事を始め日常生活においてのストレスになるのだ。

「他人と過去は変えられない」というのは本当で、自分でコントロール不可能だが、なぜかコントロールできるのではないかと思ってしまう。

上司にイヤミを言われた、それはイヤミを言う上司を会社が自分に付かせたかあらだと。残業するなと会社がいう、やりたくもない仕事しか与えられない、部下が生意気だ。これらすべてを「うちの会社はこうだから」と、自分ではコントロールできないことを「うちの会社はもっとこうでなくちゃいけない」と、コントロールしようとしている。

コントロール不可能なことを無理やりしようとするのは、自分でからまわりしているようなもので、「嫌だと思っている自分」の感情をわざわざ心の中に根付かせ、真っ先に解決しなくてはならない悩みを課してしまっているのです。

「いつかはこうなりたい」というポシティブな思いがあっても、痛みをどうにかしたいネガティブな思いが引きづりおろそうとする。すべての感情はつながっているから。「こうしたい」思いは、テーブルクロスの端を引っ張るように「どうにかせねば」に引きづりおろされてしまう。

「働かされている」から「働きかける」

だが、他人と過去は変えようがない、自分でコントロールできないかもしれないが、「自分の考え方と未来は変えられる」ともいうよね。

自分の考え方というのは、与えられたことに対してどう捉えるかといういみではあるが、いっそすべてを自ら働きかける「自分事」として考えてしまえばスッキリ楽になるはずだと思うが、どうだろうか。

外部の与えられたことに「やらされている」と思うのではなく、自分の内部から外部に向けて働きかけていく気持ちに切り替えるということです。

たとえば、上司にイヤミを言われたのは、「そこに上司がいてイヤミを言われた自分がいる」のではなく、「自分からイヤミを言う上司に対してどう対処するべきかを試している」という自分事に置きかえる。

すべてのことを与えられた他人事とは思わないで、自らすすんでとりにいった自分事にしてしまい、すべてのことを自分でコントロールしている状況にしてやることです。

会社勤めの人は、会社に「期待」します。何をに期待しているかというと、安定収入とかよりも、「何か仕事下さい」という、与えられる考え方を期待し、それが前提になっているのだと思う。

夢や希望は人から与えられるものではないですよね。

お前の夢はこれだ、なんていわれると不満ですよね。

夢や希望は、自分で見つけたいし、自分がやりたいと思うことであって、与えられるものではないはずです。

自分でコントロールできるからこそ、ストレスもなく、ワクワクウレシイ気持にもなれるというもの。

だけど、会社勤めの人の大抵は、与えられることに何のためらいもなく、仕事だからと言いきかせ、我慢しようとする。

自分でコントロールできない事だと割り切るから、ストレスや不満を感じてしまう。

仮にその会社を辞めて、起業したり、フリーランスになったとき、「何か仕事下さい」といっても誰も与えてはくれない。

外部に反応して与えられている思考を、自分が外部に与える思考に切り替えなくてはならないと思うが、すぐにできると思いますか?

僕は、できないと思う。

会社勤めだろうが、フリーランスだろうが、相手は「市場」。

イヤミを言う上司のような、理不尽な要望をしてくる顧客も当然ながらいる。

「いつかはこうなりたい」という夢の仕事が、「顧客の理不尽な要望をいわれ嫌な思いで働く自分」にワクワクするか、それとも「自分で理不尽な要望に対してどう対応できるかという思いで働く自分」にワクワクするか。

もちろん後者だと思うが、どうでしょうか?

自分から働きかける「インサイドアウト」の思考

だから、会社勤務で雇われの身であろうが、外部に対して反応する「アウトサイドインの思考」でいるのではなく、自分の内部から外部に働きかける「インサイドアウトの思考」を身に付けておくべきだと思います。

この考え方は、働くことに対する「キャリア」であり、嫌だというネガティブな感情を現実にさせないための唯一の方法ではないだろうか。

「いつかはこーなりたい」「夢や希望を考えるとワクワクする」気持になろうが、心配事や嫌だと思うことが、結局は足を引っ張ってしまう。

それは、目の間のことを外部に対して反応する「アウトサイドインの思考」になっているからです。

会社に居ながら、与えられている、やらされている考え方が前提だと、いくら夢や希望といった明るい話でワクワクしても、目の間の嫌だと思えることを解決することが優先される。

だから、なかなか夢や希望がかなわない。嫌だという気持ちが足を引っ張り、すべてを引きづり回してしまうから。

心配事や、嫌だと思うこと感情を取り払うには、そもそもそこから意識をそらせばいいんですよ。

「やらされている」ではなく、「やってやる」

すべてのことは、自分がコントロールできるようにするには、「自分事」にするのが確実です。

社会はますます複雑化し、将来の見通しは不透明になっています。10年後の日本がどうなっていて、そのときどういう生き方、働き方をしている人が成功しているのかなど、皆目分かりはしない。

今からできることは、社会の変化を読みつつも、どんな変化が起きても対応できる自分を作ること。

多様化した今の社会では、さまざまな働き方が選べ、それぞれの技術や専門能力、資格などのキャリアを積むことも大切ではあるが、自ら働きかえる自分主体の姿勢で、自分をコントロールできるキャリアを積み上げていたいものです。

こんな事は「マインドセット」や「仕事観」といった考え方に過ぎないかもしれないが、来年や再来年の成果ではなく、十年かけて築き上げる強固な「基盤」だ。

揺るぎないマインドセットとブレナイ仕事観は、市場の有力候補となり、ちょっとやそっとの困難ではびくともしない一生ものの宝物になるはずです。