すぐに行動する「行動人間」と、すぐに行動できる「ザ・行動人間」

すぐに行動する「行動人間」と、すぐに行動できる「ザ・行動人間」

行動しろ。すぐに行動しよう。

失敗を恐れて行動できない?

行動しないことが失敗だ。

行動しないと後悔する。だからまずは動け。迷わず行動せよ。

現状を変える唯一の方法は「行動する」意外にはない。

とにかく「行動」することで何かが変わり始めるのです。

すんません、それができません。

先送りが癖になっている人、ついつい楽な事に流されてしまう人、なにしていーかわからない人、他人の目を気にする人、疲れすぎの人。

「行動せねば」。この言葉が脳裏に走り、脊髄反射的に「動かねば」と解釈させられる「ザ・行動論」に踊らされる行動イズムな人々達。

朝から「すぐ起きなさい」、仕事で「すぐにやりたまえ」、家に帰って「すぐお風呂入ってよ」、そして1日の締めくくりには「すぐに寝なさい」。

朝がくる「すぐに起き…」…

朝から晩まで、すぐにすぐに、もひとつ、すぐに。すぐに動け、すぐに行動しろ。アファメーションは「すぐに行動したい」。

終わらない「すぐにループ」。けど、始まらない「行動」

すぐに行動することはよほどのメリットがあるのだろう。大半人はそう認識しているはずです。

ですが、これだけ「すぐに行動せよ」を常日頃からインプットしているにもかかわらず、すぐに行動できない人のほうが多かったりする。

「ザ・行動論(銘々は架空だが)」が示すデータによると、すぐに行動する人は全体の「25%」、行動が継続する人は「5%」、何もしない人(行動しない人)はなんと「70%」だといわれたりもしている。

単純に、すぐに行動できる人は4人に1人。このデータが確かであるかどうかは正直納得いかないところもある。

すぐに行動する人は、すぐに行動させられる人

先ほど、すぐに行動できる人は少ないといいましたが、実際のところそうでもないと思う。

周りに人を見てみると、なんやかんやで行動している。なんだかんだですぐとは言わなくともちゃんと行動している人のほうが圧倒的に多いと思うのですが、どうですか?

4人に1人しかすぐに行動しないというデータが正しいのなら、4人家族の中ですぐに行動する人は誰か一人だけ。と言う事になる。

従業員が100人いる会社では、25人だけがすぐに行動する人はいない。という事になってしまいます。

そんなことないよ。ほとんどの人がすぐに行動していて、中にはすぐに行動しない人が稀にいるのだとおもいますが、あなたはどう思います?

ここでいう、すぐに行動するひとというのは、すぐに行動させられた人ではないかと思うのです。

その、すぐに行動させられた人にも2パターンがある。

1つは、「やれ!」と命令されたから、「お願い、して下さい。」と頼まれたから、などの “ 他人から行動を促される ” ことですぐに行動する人。

もう一つのパターンは、「これ、やらなきゃヤバい!」という緊急を要する状態や危機感を予感する、「なんとかしたい!」という痛みや苦悩、損、辛いなど今の状況を少しでも解決したいためにすぐに行動する人。

では、逆に、すぐに行動に移せない人はというと、これまた2パターンがある。

「やれ!」といわれていないから、「これ、して下さい。」とか別に頼まれていないからなど、 “ 他人から行動を促すキッカケがない ” ことですぐに行動しない人。

もう一つのパターンは、「これ、すぐにやらなくてもいいか。」という緊急を要しない状態や危機感を感じない、「別に今のままでいい。」という痛みや苦悩、損、辛いなどの状況に面していないがために、行動する意味を持たない人。

これらのパターンを総括すると、すぐに行動する(させられた)人とすぐに行動しない人の違いは、ほとんどが「衝動頼み」になっている。ということ。

すぐに行動する人が圧倒的に多いといいました。だけどそのほとんどが外的要因による「衝動頼み」で動く人だ。

「あの人はすぐにしてくれるねー」「この子は親のいう事をすぐにやる子だ。」

衝動頼みですぐに動く人。あなたももしかするとこのタイプなのではないだろうか。

このタイプのすぐに行動する人は、行動人間。衝動頼みで行動できる行動人間は、「すぐに行動できる」ことができるということ。

行動しない人にはわからない経験を多く得られる人。そしてそんな人こそ。真の「ザ・行動人間」になれるのです。

「とにかく動く」動くからやる気がでる、は有効か?

社会一般的にいわれる「ザ・行動論」は、他人から言われたからとか、良くない状況を解決したいからといった「衝動頼み」の行動ではなく、「自発的に行動しろ」といっている。

そう考えると、自発的にすぐに行動できる人が、4人に1人というデータもなまじ違いでもなさそうだ。

ですが、自発的に行動するためには「まずは動いてみよう」という結論で全てが解決するだろうか?

よくやる気や行動を促す方法として、「まずは動いでみよ」と言われたりする。しかし、その「まず動く」ことすらできないから困っているのだ。

先述したとおり、人がすぐに行動できるのは、人からいわれたり、行動せざるを得ない状況にあるなどの「衝動頼み」という行動する “ 理由 ” があるから動けるのです。

その行動する “ 理由 ” を明らかにせず、「とにかくまず動く」ということは、一見自発的に行動しているかのように思えるがそうではない。

「とにかく、まずは動くべき」という「衝動頼み」で動いでいるのと結局は同じことで、「ただ動かされているだけ」にすぎなかったりするのだ。

なんだか、こう聞くと、「衝動頼み」ですぐに動く人を、俗にいう「すぐに行動できる人」とはいえない。そう思ってしまうが、それは勘違いです。

大切なのは、「衝動頼み」で行動することをどれだけ多く経験するかで、自発的に行動する人になれるかどうかが決まる。

衝動頼みですぐに行動できる行動人間から昇格して、自発的に行動できるザ・行動人間になれるのです。

なのに私たちは、いきなり自発的に動こうとする「ザ・行動人間」になろうとしてしまう。それは、あまりに強制的で、あまりに無理があるというモノ。

なぜなら、自発的に行動できる人は、そこにちゃんとした理由があるからなのだ。

自発的に行動できるかどうかは「快楽」が関係している

世の中には自発的にすぐに行動できる人と、そうでない人がいる。という真実。

その違いはどこにあるのだろうか?

正解を見つけようとするとかえって不幸になりそうですが、1つの正解っぽいことがある。

それは、「行動すしてきたことで、快楽を得てきたかどうか」というもの。

どういうことかというと、すぐに “ やる ”ことで、「すぐに快楽を得た」経験が多い人は、自発的にすぐ行動する人になる。

一方で、すぐに “ やらなかった ”ことで、「すぐに快楽を得た」経験が多い人は、自発的にすぐ行動しない人になる。

すぐにやることで、親に褒められた、先輩上司に認められた、思い通りになったなど、すぐにやったことで、すぐに良き「快楽」を得る経験を多く積み重ねてきた人は、「ザ・行動人間」になる。

一方で、すぐにやらなかったことで、なんだかうまくいった、やらないことで「快楽」を得てきた経験を多く積み重ねてきた人は、「ザ・無難人間」になる。

この「ザ・無難人間」をあなたはどう思いますか?よくない感じの人だと思ったりしちゃいますか?

すぐに行動する事で快楽を得てきた「ザ・行動人間」と、あえて行動しないで快楽を得てきた「ザ・無難人間」は、自発的に行動することができる同じ類の人だと思う。

なんだか矛盾しているように思えますが、「とにかく動け!」と言われて行動することが、すぐに行動する理由にはならないのである。

というのは、「すぐに行動する」「すぐに行動しない」というのは、衝動頼みではなく、どちらも「自発的」に行動していて、唯一「快楽」を経験した方を選択するのだ。

例えば、「すぐに勉強しないと!」といっても、ゲームをしてしまったというのは、ゲームをすぐにしたことで快楽を得た経験が多いから。

友だちがゲームをしていたり、家族がテレビを見ていても、勉強した人は、成績でいい結果を得た経験があるからです。

「すぐに行動せよ」というのは、すぐに行動する、あえて行動しない、どちらの選択がいいとか悪いとかではなく、これまで経験してきた「快楽」を得てきた直感的な自発的な行動、その場で感じた「直感的な判断」ですぐに行動するほうが、実際は、うまくいくことが多かったりする。

すぐに行動する事で快楽を得てきた「ザ・行動人間」タイプの人は、あえて行動しないことを知る必要があるし、行動しないで快楽を得てきた「ザ・無難人間」タイプの人は、やってみることでも快楽を得ることを知る必要があるのです。

つまり、「衝動頼み」ですぐに動く経験は、多くの「快楽」を得る事ができるのです。

その、知らない「快楽」を見つける唯一のアクションが、衝動頼みであろうが「すぐに行動する」ことであり、それがやがては、その場で感じた「直感的な判断」を頼りに自発的にすぐに行動できるようになる、いうことなのです。

「ザ・行動人間」になるには

すぐに行動するか、あえて行動しないかは、直感で感じたことを「すぐに判断し行動する」こと、またはそういうができる人。

すぐに行動しないで、何かとためらい、時間だけがすぎさってしまうと、これまでの経験から「快楽を得たかどうか」という、不安や迷いが生じてしまいます。

だからこそ、「やる」または、「やらない」を直感的にすぐ判断し、すぐに行動することにメリットがあり、またその方がうまくいくことが多いのです。

よく、すぐに動けないのは「何をすればいいかわからないから」という理由で行動しない人もいます。それは、何をすればいいのかわからないのではなくて、何が最も最適な行動なのか正解が見つからないと思っているから。

何が正しくて、どう行動するのが正解なのかなんて、答えなんてありません。だからこそ、直感で感じたことに従い、すぐに行動するべきなのだ。

だけど、人は「やろう」と思っていても動けない、快楽が得られることを承知しているにもかかわらず、動こうとはしない。

行動を起こすということは、未知なる未来で何かどうなるかわからないから、その無意識な躊躇いが先行し、これまでの「快楽」経験に従い、無難な選択をしてしまったり、楽な選択をしてしまうもの。

私たちが望む「ザ・行動人間」な人は、どういうタイプなのでしょうか?

考えられるのは、快楽を得てきたからすぐに行動する、あえて行動しないとか、そんな理屈は関係なく、「行動する = 結果的に全てよくなる」。こう思い込んでいるからではないだろうか。

行動することによって、何かが起きる。うまくいけばそれはラッキーで、失敗したり、思うようにならなかったとしてもそれは現象であって、行動したことがまちがいではない。むしろ行動して失敗したことで失敗する原因を見つける事ができる。

だから、なにもしないよりかは、「行動する = きっとよくなる」という確固たる思い込みがある。

自発的に行動する人は、「行動する = 絶対に、確実によくなる」と、こわいくらいに信じきっているから、やるかやらないかという選択以前に、行動する以外の選択がない、行動しない意味が見つからない。

極論的には、行動することで、うまくいかない真実を見つける事ができない。そのくらいの「ザ・行動人間」なのだ。

行動することがすべて、よくなることだと思い込んでいる人は、うまくいったときも、失敗した時も、損した時も、他人に迷惑をかけてしまったことも、何から何まで、すべては行動によってもたらされた「現象」であり、うまくいくためのちょっとしたワンシーンに過ぎないモノだと考える事ができる。

だけど、そもそもそんな考えを持てる人は、ある意味「そうなりたい理想像」であって、行動することが全て肯定に捉えられる人はごくごく稀。なんですよ。

だから、「ザ・行動人間」が思い込んでいる「行動する = 結果的に全てよくなる」という思い込みを、ここらで一つ、信じてみる「覚悟」が必要。

動けば、どうにかこうにか全てが良い結果になる。そんな未来を描くことができなくても、バカの一つ思えのように「絶対よくなる」という信じきる覚悟を決める事が唯一「ザ・行動人間」に近づく手段になる。

すぐに行動するには覚悟が必要。こんなむちゃくちゃな結論なんかよりも、もっといい方法や考え方はあるのかもしれません。

ですが、そうこう考えているしまっている時点で、すでに「すぐに行動できない」状況を作ってしまっている。

最近つくづく思うんですよね。すぐに行動に移すためには、「よっしゃー、やるしかないやろー!」みたいな気合い一発で、結局は自ら動かしてる自分が。ファンキーすぎるやろ。

すぐに行動できる方法は、気合い。だからタイトルを「ザ・行動人間」にしたまで。

「ザ・行動論」の本質は、「すぐに行動する覚悟を決めよ」すれば、必ずいい結果が訪れるから。覚悟を決めるということは、まちがいなく自発的な決断。外的要因による衝動頼みではない。

自発的に行動する、まさに「ザ・行動論」。

そんな論理はないんだけどね。でも、動いてみよう。とりあえず、何か1つでいいから。

だけど、体に疲れがあったり、睡眠が足りていない時は、まずは「休む」ことが、優秀な「ザ・行動人間」なのです。