「ことわざ」に学ぶ “ 逆説思考 ” の発想法

急ぎの文は静かに書け。
急ぎの手紙は大事な用件が多いのだから、誤りのないよう落ち着いて書けということから転じ、「急ぐ時ほど丁寧な行動を心がけろ」という意味のことわざです。
同じような意味を表す “ ことわざ ” には、「急がば回れ」「急いては事を仕損じる」「あわてる乞食はもらいが少ない 」などが有名なところ。
「急がば回れ(いそがばまわれ)」とは、無理な近道をせず、回り道でも確実な方法を選んだほうがかえって早くなる、という意味。
この程度の理解は誰もが知っている事だと思います。
今回は、この「急がば回れ」について、もう少し理解を深め、何を述べているのかを紐解いてみましょう。
「急がば回れ」の意味を知ろう
さて、「急がば回れ」が意味するものは、同じような手段や方法がある時、それを早く簡単に達成できそうな道を選ぶのではなく、そこをあえて遠回りして「苦難の道を選びなさい」というようなストイックな意味ではありません。
早く簡単にできそうな手段や方法を選択した方がいい時だってあるに決まっているし、意味もなく遠回りしたところでムダになる事さえあるわけです。
そうではなくて、「急がば回れ」というのは、分かりやすいところでいうと、「登山」にたとえると本質的な理解ができます。
登山をしたことはあるでしょうか?山登りをするとき、あなたは「まっすぐだけど急な道」「回り道だけどゆるやかな道」の2つのルートがあるならどちらを選びますか?
登山のルートは、山のふもとから、まっすぐ直線的に頂上まで一気に駆け上がれるような道のりではありません。そんな登山は危険極まりないだけでなく、何より「つまらない」。
ですが、この「まっすぐで急だけど頂上まで近道」なルートを危険を顧みずに挑戦しようとするでしょうか?
そんな危険なことはしないはず。プロの登山家の方であっても、「無茶」なことはせず、無事に帰ってくることを大前提としているに違いありません。
なので、登山のルートは予め「初心者向けのコース」から「上級者向けのコース」などがあり、その道のりはクネクネとした、安全を第一と、確実に登れるルートになってます。
つまり、「緩やかで安全な道の方が確実にのぼれる遠回りな道」。回り道だけど、登山中の展望の楽しみ、草木や不思議な花を見つける楽しみ、森林浴に浸る快感など、登山ならではの楽しみ方ができるというもの。
そして、無事に下山したときの「達成感」は、登山したものにしかわからない「小さな成功」。この達成感を味わいたいがために、また挑戦したいと思ったりもする。
要は、確実に頂上に到達する、確実に下山する、急がなくてもちゃんと「結果」をだし、「小さな成功体験」をしよう。ということです。
もうお分かりだと思いますが、「まっすぐだけど急な道」「回り道だけどゆるやかな道」。どちらの道のりも、目指す頂上は同じ。同じ目的地に向かっているのに、私たちは「安全で確実」なルートを選び山登りを楽しみます。
ですが、これが日常生活でのこととなると、早く事を済ませたいがために、「まっすぐだけど急な道」を選択してしまっている。
私たちは急いでいる時、反射的に「早くやろう」と思ってしまう、または無意識にバタバタとあせってしまう。これは自然な事であり普通の現象です。
しかし、「焦り」や「怒り」があったり、早く結果をだそうとすると、「まっすぐだけど急な道」を選択し、危険である事に気づかなくなってしまう。
「成功のための道のり」とはすなわち、「回り道だけどゆるやかな道」だという事を忘れがちになってしまうのです。
「ことわざ」が教えてくれること
私たちがよく知っている「ことわざ」には、逆説論が多いことに気が付きます。その事について「急がば回れ」で例えてみるとこういう事です。
「急ぐ」は「何らかの目的を早く達成すること」であり、「回る」は「ゆっくり落ち着いてやる」という意味。
「急ぐ」→「手早くやろう」というのが一般論とされる。
「急がば回れ」ということわざは大抵の人が知っており、その意味を理解しているため何の疑いもないでしょう。
しかし、このことわざを全く知らなかったと想定すれば、「急いでいるなら、ゆっくりしなさい」といわれると、「え?どうして? 」と考えてしまうかもしれません。
しかし、このことわざは、「急ぐ」→「ゆっくりやろう」という逆説論を主張している。
「早く目的を達成したいなら、あわてず急がず、ゆっくり落ち着いてやろう」という逆因果関係です。
たが、この一般論を逸脱した逆説論から生まれるものは、
急ぐ→手早くする→失敗しかねない
急ぐ→ゆっくりする→成功しやすくなる
急ぐならば早く終わらせる、と思うのが普通で、急ぐならばあえてゆっくりしよう。なぜなら失敗する可能性が高いから。という「気づき」の発想ができる人がどれだけいようか?
そう考えると、「ことわざ」というものが、一種の盲点をついた「発想」であり、「アイデア」ともいえそうです。
とかく「ことわざ」というものは、私たちの心に響き、多くの気づきを教えてくれます。
「ことわざ」が心に響くその要因は、急がば回れのような「逆説論」が非常に多いように思える。
ここでいう「逆説」とは、私たちの「常識的な行動や考えによる結論」を「非常識的な行動や考えによる結論」だと解釈して下さい。
「負けるが勝ち」
「かわいい子には旅をさせよ」
「貧しき者は幸いである」
・・・など。普通だと認識していることには盲点がある。
ことばの業(わざ)というエッセンスの表現により、私たちの心を大きく揺さぶり、嬉しさや希望、勇気さえも与えてくれます。
パラドックス(逆説)から生み出される発想法
私たちが望みどおりに希望を叶えたいのであれば、過去の経験や知識による論理的な思考に流されていては、新たな発想は生まれません。
しかし、過去の経験や知識を「常識」という公式に当てはめるのではなく、全く違った方向から見る、聞く、考える事で思いがけない「ひらめき」が生まれる事もありうる。
その一つとして、今回取り上げた「逆説論」の思考法が役に立ちそうです。
あなたは、「パラドックス」という言葉を知っているだろうか?
簡単に言うと、「正しそうで正しくない」「間違っていそうで間違っていない」というイメージで捉えるとわかりやすいと思います。
「パラドックス」には、矛盾という意味も持ちますが、その詳しい内容をここで綴ると、かえって混乱するので、ここでは、「パラドックス = 逆説」と解釈しておこう。
すなわち、「常識的知識から常識的推論を経て、常識ならざる結論に至る現象」。
ここでいう「常識ならざる結論」はもちろん間違っていてはならない。正しくなければならない。つまりは「脱常識の真理」としての「パラドックス=逆説」です。
回りくどい解釈はこのくらいにして、早速、パラドックス思考の具体例をみてみよう。
例えば、「ステーキレストラン」。まず、一般的な「ステーキレストラン」の常識的な事柄をいくつかピックアップしてみます。
- 高級感があり価格は高め
- ゆったりとしたテーブル席
- 料理提供は30以上程度
- お客の滞在時間は長め
といったところでしょうか?
では、これらの項目を逆転してみます。
- リーズナブルな安い価格帯
- 立ったままでステーキを食べる
- 料理提供が早い
- お客の滞在時間が短く回転が早い
このような「逆説論」から、「安い価格でおいしいステーキを手軽に食べられる」という、今までにない型破りのスタイルが生み出されます。
もうお気づきでしょうが、ご存知「いきなり!ステーキ」です。注文した肉をその場でカットし、焼いて提供する仕組み。肉の種類、量、焼き加減などは客が好みで選ぶ。
これにより仕込みにかかる時間が短縮できるほか、大きな塊から肉をカットする、目の前で焼く、という調理過程が一種のショーのような効果をもたらし、エンターテインメント性を高めている。
「立ち食い」がもたらす効果は、スペース効率やお客の回転率向上だけではない。足を踏みしめ食すことで「なりふりかまわず、本能のままに肉を食べる」という感覚が高まるとされています。
また、女性のお客様は「テーブルにおしとやかに座ると、肉を大量に食べるのが恥ずかしい気がするけれど、立ち姿勢のほうがかえって肉をガツガツ食べても違和感がない」という意外なニーズがある事に気付かされた模様。
ことわざと、ステーキレストランに見る「間違っていそうで、間違っていない」パラドックス。
一つの「常識」「当然なこと」「当たり前」を小さく展開し、それらをそのまま「逆転」してみる。
すると、そこに気づきもしなかった新たな発想を生み出すかもしれません。小難しい発想法と比較して、「逆に置き換えてみる」だけなので、あらゆるシーンで活かせそうです。
新商品の開発、新規事業の提案のみならず、考え方やモノの捉え方も「逆説」してみてはどうだろうか?
思いがけない「思いつき」や「気づき」があるやもしれませんよ。