「個人の時代」到来に在する矛盾と懸念

「個人の時代」到来に在する矛盾と懸念

組織から個人の時代へ ─── 。

“ オレ様 ” が支配する封建制度は崩壊し、資本主義が生まれたように、時代は新しい体制へと移ろっていく。

「個人」の時代が訪れる。「個人が活躍できるビジネスモデルが増えてくる」とされている。

昨今、“ 1つの会社に就職する ”という枠組みだけにとどまらず、個人が持っているスキルが活かせる、多様化した働き方へとパラダイムシフトはすでに起きている。

かつてのこれまでの市場は「企業から個人へ」(B to C)というサービスを主としているが、「個人から個人へ」(C to C)という方向のサービス市場へと移ろうとされている。

やがて、個人の時代が、いえ、一人一人のスキルを武器とする個人が時代をリードするとの見解があるようだ。

「衰退する組織」と「強まる個人」

さて、そもそもなぜ、会社や組織内の「集団」に属さず、一個人の働き方が注目されているのか?

従業員に過重な負担を強いる「ブラック企業」や、会社に従属するだけの「社畜」という働き方、誰々の職業がAIに奪われるという「AI脅威論」など会社や企業での働き方を敬遠する理由は多岐にわたるとされるが、

その背景には、少子高齢化に伴う、「労働人口の減少」が最も影響を与えているようだ。

日本では少子高齢化が加速的に進んでいるのは誰しもしっているが、それはつまり若者の働き手の減少を意味する。

これまで日本では、従業員に対し難しい仕事に当たること、やる気と根気のある者を美徳とされてきた傾向がある。

しかし労働力人口が減り続けている今、このような考え方のままでは企業の発展は望めません。

業務をより少ない人数で行える「生産性の高い働き方」の構築を必要とするからだ。

だが、企業内の従業員の高齢化が進むことは、生産性の低い「企業の高齢化」が懸念される。

さらに、高齢化社会へと日本が突入していくと、要介護者や育児問題などの問題はどんどん拡大していきます。

そんな中でこれまで通りの人材ばかりを求めていても、生産性の高い優秀な人材を確保するのは難しくなる。

そうなると、企業の体力は低下し、「企業」という全体ではなく労働者「個人」に目を向けざるを得なくなっていくといえる。

若者を始め、既存の従業員までもが、終身雇用・年功序列賃金の崩壊が指摘される中、1つの企業で勤め上げることに価値感は薄れ、副業などのリスク分散できる多様な働き方が必要だと気づき始めているようだ。

実際、政府ではすでに「働き方改革」を推進し、企業も「副業解禁」の舵を切っている。

「強い個人」と「弱い個人」

然るに、個人の時代が謳われる理由は、人口減少だけにとどまりません。

テクノロジーの進展に伴い、SNS・動画配信・ブログなどを利用し、誰でも気軽に情報発信できるようになったため、「個」が生かされる新たなビジネスモデルが発展した。

その一つには、インターネット上の無料サービスから収益を上げる手段で生計を成り立たせるユーチューバ―などのインフルエンサーの存在。

今では、優れた情報発信が評価され、世に大きな影響力を与え、「好きな事をしてマネタイズできる」未来のルーキーとして多くの個人が参入しつつある。

かつての組織内に属する「平均的な個人」という働き方から、常識に縛られない個性の強み、「強い個人」が今後は次々と現れるのではないかと思われます。

一人ひとり異なる個性があり、その個性が社会の常識外に位置する人は除外され、常識内に留まる人は受け入れられるという、組織内に属する平均的な個人の時代は終わりつつある。

僕が思うに、インフルエンサーなどの「強い個人」へと働き方がシフトしているその陰で、情報発信力のない「弱い個人」が自然的に除外されたままになっていると思う。

かつては個性が出せない平均以下の人達も、組織というチームに加わり、そこで弱いなりにも、そこで活躍できる場所がありどうにかやってはこれたはず。

だが、やたらめったらと「個人」の勢力が増し、会社や企業の「集団」が衰退しつつある今、働き方を見いだせない「孤独」になる人達がますますと増えてしまうのではないかという見解がある。

個人で働き、人とつながりたい??

これからは組織に頼らず、個性を生かし、やりたい事をしたらいい、という一人で稼ぐ力を主張する「個人」という働き方を叫ぶ一方で、人と人との「つながり」がこれからは大切であるという試みの、歪んだ「矛盾」が在しているように思う。

ツイッターやフェイスブック、インスタグラムなどのSNSの普及の背景には「共有したい」というコニュニティを求めています。

地震、水害、豪雪と災害が相次ぎ、被災地では大勢の人びとが避難生活を経験され、地域内外のボランティアによる支援のありがたさに基づき、復旧・復興に、あるいは今後もまた予想される災害への対応に改めて「人と人とのつながり」の捉え返し、再認識、再評価がなされました。

個人が生かせる働き方をしたいと試みるも、その一方で、みんなとのつながりをもっと大切にしたいとも思っている。

なのになぜ、ビジネススタイルのみ「個人」が強く主張され、「チーム」で成り立つ企業や会社組織をあえて手放そうとするのだろうか?

理由ははっきりしていて、情報発信者に長けているインフルエンサーなどの「強い個人」がただ単に、個性を発信しているだけだからだ。

「自分を見てくれ」「誰でもいいから承認してくれ」など、言い方は少し極端だが、情報発信が一方的な能動発信のみになってしまっている。

発信者の努めは、その情報を見たり聞いたり、読んだりする受け手側にどう伝わるか、どう感じ、その人達にどう影響をあたえるか、というのが大切であって、発信者側の主張が光るだけでは「強い個人」と「弱い個人」との格差的なモノがさらに広がってしまうのだ。

個性が生かせる働き方は、束縛だけの組織に縛られることなく、強みを活かせる素晴らしいことではあるが、「個人」になるということは、それなりの責任と勤めがあることを自覚しないと、普遍的な「人とのつながり」は実現できない。

アメリカのユーチューブで人気のジャンルは、音楽や玩具の紹介といった娯楽系が人気を博しているとされています。それはもともとアメリカは個性の主張に価値観があり、どれだけ人を楽しませられるかが発信者に問われているからでしょう。

だが、日本でも娯楽系のユーチューブに人気はあるものの、自己啓発やノウハウ系、人との関わり、ペット動画といった、悩みや不安解消、癒し系といったジャンルが人気です。

あきらかに、陰にいる個性をだせない「弱い個人」がいることを示している。

新しいかたちの「チーム」構築を

人は元来、ひとりでは無力な生き物です。

「一人の好士より三人の愚者」「和をもって貴しとなす」ことわざのとおり、どれだけ優れた一人の知恵も、複数の凡人が互いに意見し、助け合う事の方が大きな成果を生みだすといわれている。

社内の人と人との関わりには、 同僚の裏切りや嫉妬、上司の理不尽さ、部下への期待の依存など、不愉快で煩わしい悩みがたくさん溢れています。

だが、組織というチームワークに属することは、公共心、公平性、清廉、誠実性などの「つながり」という個人では感じ取れない「人間関係の学びの場」でもある。

しかし、この煩わしい人間関係のスキルに価値を見いだせずにいる人も実際には多い。

組織の力が弱まったから、個人で何とか生計を立てよう、という世の中の風潮は、成功を収める一部の「強い個人」よりもむしろ、人間関係のスキルを敬遠してしまった「孤独層」の増加を招く懸念はないだろうか?

これからしばらくは、個性が主張される働き方を強いられるだろうが、願わくば、その「強い個人」がまだ先の未来社会で、新たに会社や企業という組織の再構築に向け、コニュニティが生み出す「つながり」をさらに重要化させ、「チームに属した個人一人一人のチカラ」を強化させる準備段階であってほしいものだ。

仕事は「創る」ものへと変わっていくことだろうが、人との関わりで「知る」「学ぶ」のステップが欠かせない。

知る、学ぶことで「気づき」を得ることで、「価値ある仕事を創造」を可能とする。

これが「個人の成長」に繋がります。この学びの場こそが、会社という組織に属する経験の賜物だ。

自身のチカラで会社を動かし、自ら創造を作り上げてやる攻めの気持ちがないと、「社畜」からの脱却は不可能だろう。

私は、「個人」の時代が訪れることに新たな希望とさらなる日本の経済発展を期待している。

だが、「個人の働き方」という捉え方を「たった一人だけで勤める個人」という誤りにより、企業の発展と再構築が手薄となることに関しては不安を覚える。

個性あふれるやりたい事を職業とし、生計を成り立たせている事実にあたかも、それがこれからの稼ぎ方であるかのような錯覚に見舞わされているように思える。

子供がなりたい職業に「ユーチューバ―」がランクインされているのは、それは「夢見るヒーロー」として捉えたとして良しとするが、これから勤める若手は既存の価値観がつまらなく感じるし自分には面白いことができると思いがちだ。

しかしながら社会に出てみると結構自分は普通だし、つまらないと思っていた人も面白かったりする。

何しろ経験をしてみないと分からないことだらけなのだから、イメージだけでなく実際に会社員や店員として雇われてみるのは無駄にはならないと思う。

子供と違って成人である大人の「夢」とは、「どんな人になりたいか」に希望を見出すことに辿りつくが、特定の職業に就くことを「夢」として捉えるなら、具体的なプロセスを要する。

圧倒的な努力と挫折を要することはいうまでもなく、場合によってはこれまで大切にしていた人との繋がりや恵まれた環境などから決別も避けられないかもしれない。

人ができる事には限りがある。何かを得るという事は何かを捨てざるをえない。

仮にその覚悟があり、身を粉にしてでも夢を実現したいのであればそれは素晴らしいことです。

ですが、頭から個人起業をスタートさせるのはどうだろうか?

闇雲に起業に突き進むよりも会社勤めの経験によりリスク管理ができていると思うのだがどうだろうか?

個人で稼ぐ力には、できる限りのリスクを排除し、必要な場面でしっかりと壁を越えることが求められると思う。

だからこそ、若いうちに組織に属してこれから起業を試みるためのリスク管理を学んで欲しい。

目指すは「創造」できるビジネスパーソン。個性の強みが生かせる環境にある「個の時代」になりつつ今だからこそ、世界に通用する、あたらしい形のチーム企業の発展を願いたい。