根拠のない自信に秘められた「知られざる根拠」の正体

根拠のない自信に秘められた「知られざる根拠」の正体

世界に通ずるトップアスリートの方たちはみんな口々にこういいます。

「勝ちます」「必ず結果を出します」「1位を取ります」「金メダルを穫ります」

これって、もちろんそれまでの練習や実績といった根拠もある程度あると思うのですが、どちらかと言うと「根拠なき自信」。

自分は絶対にできるんだ、というポジティブな姿勢が競技の結果にも影響を与えるんだと思います。

テクニックというよりはジンクスや経験則に近いのかもしれないが、どのアスリートの人も同じことを言っているのは、やはりそうした方が気持が高まり結果が出しやすいからなのでしょう。

それはスポーツの世界だけに限らず、優秀だと思う人たちは、みんな「根拠なき自信」を持っているように思います。実際、こういう方たちは「自信に根拠なんていらねー」って、それこそ自信満々にいってます。

ということで、僕たちもそれに習って、根拠のない自信を持とうとするわけです。

オレはできる、絶対成功する、できる、できる、できるに決まってる、だけどできない。・・・なんでだ??

根拠のない自信をもとうとするが、心底から自信をもてるわけではないらしい。

意識的に「できる」と唱えても、潜在意識(無意識)では、できる(できないかもしれないが)、いつかは報われる(いつになるかわからないけど)

というように、心の中では「できないかも」と認識しているのだ。

トップアスリートの方が「金メダル穫ります」と自信満々に言ってるのは、ほんとに根拠のない自信なのだろうか、それとも厳しい練習を重ねてきたから、それが根拠となり、本心から自信たっぷりでいられるのだろうか。

でもそれはおかしい。というのも、それだと厳しい練習を経て「できるであろう証拠」みたいなものがない限りは自信を持てない解釈になってしまう。

それにどこまでやれば自信がもてるかなんて、その基準もわからないし、おそらく決まってないはず。

根拠があったとしても、「何となく自信がある」とか、「おそらくできると思う」とか、ぼんやりと自信ありげな気持ちでしかいられないはずです。

だけど、あきらかにトップアスリートの方達の自信は、ぼんやり自信ではなく、ぼんやりしたものに上乗せされた、根拠のない自信が加えられているようだ。

そう考えると、やっぱ自信を持つには、少なからず根拠のない自信を持つ必要があり、根拠なんて存在しない何かがある、と結論がつく。

僕たち凡人が「根拠のある自信」が持てる時というのは、過去に上手くいった経験があるとか、他の誰かよりも優れていることだったりしたとき、その根拠をたよりに自信が持てたりする。

だけど、これから望む「やりたいこと」とか、「こうなりたい」ことというのは、過去の経験もないし、自分よりも優れている人達ばかりで、どこにも根拠がみつからない。

結局は、自信があると思っていたことは、過去の経験や環境のためであって、今となっては、慢心でしかないのだ。

だとすると、やはり根拠のない自信をもつこと大切になってくる。

んだけど、口に出したり、そう思い込んだとしても、全然自信はもてない。

もしかすると、根拠のない自信というのは、じつは根拠があって、その「知られざる何かしらの根拠」があるのかもしれない。

トップアスリートの方たちは、その「何かしらの根拠」を伝に、満々の自信を持てているのではないだろうか?

そこで僕は、あることに気づいた。

過去の根拠なんてほとんど関係ない

早い。即答しているんです。

トップアスリートの方たちが「できる」と自信たっぷりに言っているのは、根拠のない自信ではなく、「決断のスピードの早さ」ではないかということです。

「金メダルを捕る自信はありますか?」「あります」

「勝てますか?」「勝ちます」

「できますか?」「当然!」

彼らのシビレル発言に、自信があるかどうかなんて関係なく、「メダルを捕る」「勝つ」ことを決断し、それを実行しようとしているだけ。

できない理由を考える間をあたえない、スピード感が結果として、僕たちには根拠のない自信のように見えたりするのだと思う。

普通の人が、根拠のない自信をもてないのは、できない理由を説明するのが上手だから。

決断が遅ければ遅いほど、次々にできない理由を探してしまう。だからこそ、自信があろうがなかろうが、絶対にできる、という「根拠のない早い決断」が大切なのです。

だけど、いくら「根拠のない早い決断」をしても、派手に失敗という結果になったとき、おそらく僕たち凡人はそこで再び、「できない理由」を記憶させてしまう。

そのできない理由の記憶が、次に挑戦しようとするとき、根拠のない自信をもとうとしても、その時の、できない理由を上手に見つけてしまうのです。

だが、トップアスリートの方であっても、やはり失敗はする。失敗の方が圧倒的に多いかもしれない。

だから、単に決断が早いだけでなく、やはり「何かしらの根拠」を持っているとしか思えないが、その「何かしら」って何なんだ。

失敗を引っくり返すことに快感をおぼえる

僕たち凡人は、失敗に対してできなかった理由を確立させ記憶してしまうが、トップアスリートの方たちは、失敗したその「できない理由を覆(くつがえ)すことが快感」なのかもしれない。

だからむしろ、失敗しても、できなかったとしても、そのできなかったことを「次はこうしよう」「できなかったのはこういうことなのか」というように、失敗経験を全面的に批判することに面白味を感じているように思う。

トップアスリートの方たちは、間違いなくチャレンジャーです。闘うこと、勝負をする事、結果をだすことだけに挑戦を挑むのではなく、自分の失敗を覆してやろうとするチャレンジャーでもあるのだ。

「失敗した?おもしれー。その失敗は、必ず失敗ではないことを証明してやるから」と。

彼らの根拠のない自信は、決断の速さにある。その決断の早さの秘密は、上手くいけばラッキーだし、失敗してもその、できなかった理由を覆すことが快感。

実際の結果はどうあれ、彼らの結果は常に、「できる」に統一される。

だからこそ、根拠のない早い決断ができてしまう。「できる」という無限のループを回し続けることができるだろう。

僕のような凡人をはじめ、多くの人達は、めざましい成功を収める人には生まれつき他の人々にない特殊な天才的資質があると思い込み、どうしても「比較」をしてしまう。

それは、自信がある人と自信が持てない人という比較をしたときも同じです。

だけど、そもそも自信というものは、自分自身が「心をコントロールしている時の状態」であって、誰かにあって誰かにないというような生まれつきの資質ではないはずです。

多くの人の心のコントロールしている状態は、「できなかったらどうしよう」「失敗するかも」とい思い込みをしてしまうがために、失敗に打ちのめされてしまう。

失敗に打ちのめされないように身を守る最善の方法は、そのときがくる前に、失敗に立ち向かえるように心の状態にしておくことが必要だ。

失敗は怖いものでもなく、恐れるものでもない、命を落とすほどの失敗はそう大抵はない。

むしろ失敗というものは、それ自体の中に、相応の利益へのタネを含んでいることの方が多かったりする。

どこからみても、完全な失敗でしかない経験というものは、じつは存在しないといっても過言ではない。この点を見逃すわけにはいかないのだ。

根拠のない自信というのは、「できるだろう」という、うわべだけ、口先だけのウソの自信を持つことではなく、「失敗の根拠なんてないということに自信をもてる」心をコントロールしている状態です。

根拠なき自信は誰もが必要とするスキル

「自信ありますか?」

「あるよ、たぶん失敗するだろうし、できない可能性も高いだろうし、バカにされたりもするだろうね。」

「だけど、失敗は成功するためのタネだから、失敗した(できない)理由に根拠なんて全然ないんだ。」

「だから、できる、今すぐやる自信あるよ。」

「どう考えても結果的に「できる」になるから。」

そう。僕たちが気づきもしなかった根拠なき自信の、何かしらの根拠というのは、「失敗(できない)に根拠はない」ということと、「今すぐ行動する根拠は確実にある」というものだった。

まずは、これがしたい、こうなりたい、という願望があるのなら、すぐにでも決断しよう。

その願望に対し「自分には絶対できる」という根拠なき早い決断をくだす自信を持とう。

決断は、自分で勝手に決めていいものであって、他の誰かにしてもらうものではありません。

自分の意思で決めたことを、自分の意思でできる。権限があること、自由に決められること、それが決断を下せる自分だけの特権です。

絶対成功すると信じて自分の意思で決める。万が一失敗しても、必ず修正できると思い込む。

もちろん経験による確かな根拠も必要なのですが、やっぱり、最重要なのは「根拠なき自信」だと思います。

じゃないと、過去の実績や経験で上手くいった場合だけを頼りにしていては、自信のループを回せない。

そういう循環を作り上げることは、ビジネスにも、スポーツにも、忙しい人にも、ギリギリの生活をしている人にも、すべての人に必要なスキルではないだろうか。