完璧な仕上がりよりも優先すべき大切な事

完璧な仕上がりよりも優先すべき大切な事

「〇月〇日までに仕上げてくれ。A君、キミだったら完璧に仕上げてくれるだろう。」

さて、A君は、上司に仕事をまかされました。以前、任された業務内容で高い評価を得たためか、その期待値はよほど高そうだ。

依頼された仕事は、依頼した人の望みに答えるのが筋というもの。

さて、引き受ける立場となったA君、依頼にこたえるために、クオリティの高い仕上がりをしてみせよう!」とばかりに意気込むが、その勘違いが、A君を苦しめることとなってしまったのだ。

絶対条件は「デッドラインは何がなんでも厳守する」

あなたが、もし依頼する上司の立場だったとしたら、やはりクオリティの高い仕上がりを求めてますか?

確かに、質は低いよりも高い方がいい。いいに決まっている。

ですが、仮にA君が、期限ギリギリになって、「間に合いそうにありません・・」と伝えられたとしたらどうでしょうか?

「とりあえず完成させてくれ!とにかく、間に合わせないといけないんだ」とばかりに、クオリティよりも、期限を優先させるはずです。

では次に、あなたがA君の立場にあるとします。早速取りかかるでしょうが、「完璧に仕上げてくれるだろう」という期待にこたえるべきだと考えます。

完璧な完成形に仕上げるにはどうすればいいか、ひたすら考えるだけで悩み倒し、どんどん時間が過ぎていく。

とうとう期限ギリギリに迫り、クオリティがどうこう言ってる場合じゃない状態に追い込まれてしまう。

仕事を依頼した上司は、A君ではなく、普通レベルのB君に依頼したとしたら、クオリティの高さ求めなくとも、「期限内に提出すること」だけは絶対条件としたはずです。

しかしA君は、上司の依頼はあたかも「完璧な仕上がり」を第一優先だと勘違いし、「期限内に仕上げる」という本質的な依頼を後手にしてしまった。

いつも、忙しそうにしている人、いつも期限ギリギリに追われる人は、「~でなくてはならない」完璧な仕上がりができない限りは完成とはいえない。と思い、無駄に追い込んでしまっているようだ。

仕事を依頼した人も、依頼された人も、必ず「期限」が設定されているはずです。期限を守らないことは、相手の「時間」を奪う事になる。また、依頼者が「なるべく早く仕上げてくれ。」と、曖昧に期限をちゃんと定めない事も同じく相手の「時間」を奪うこととなります。

事例で挙げた仕事の依頼だけに限らず、家事にしろ、遊びにしろ、日常生活で行う全ての事に「期限」がある。

最優先は「期限厳守!」。この思考があなたの生産性を高めるためのマスト(= 絶対条件)なのです。

生産性の高い人とそうでない人の違い

ある人は、質を重視させることを優先し、期限を延期してでも、いいものに仕上げることをモットーとする。

一方で、またある人も同じく、質を重視させることを大切にするが、“ 期限内にどうすればできる限り質のいいものができるか ” その手段を考える。

生産性を高めるとは、同じ時間内に、どれだけのタスクをこなせるか、質を落とさず短い時間で仕上げることをいう。

期限を設ける事で、危機的状況を脱するために、ありとあらゆる思考を屈指し、どうにかこうにか何とかしようとする。

人間には「火事場の馬鹿力」や「背水の陣」といった言葉が使われるように、ピンチになるとリミッターが外れ、普段には想像もできない力を発揮する能力がある。

強引な考え方だが、生産性が向上するのは、切迫した状況に置かれた時なのです。

だとしても、「生産性も求めると、クオリティが下がるのではないか。」と思われたかもしれません。

だが、そもそもクオリティの高さってどのくらいが高いといえるのだろうか?

もし仮に依頼者がハッキリとした完成形を要望してくるならまだしも、大抵はそこまでの要望はしない。

そうなると、自分自身でクオリティの基準を定めなくてはいけない。それこそが終わりなき追求のスパイラルに陥ってしまいかねないのです。

なぜなら、どんなに100%の仕上げをしたとしても、振り返ればそれは100%ではなく、90%か80%に見えてしまう。人のこだわりとはそういうもの。

時間に期限がある様に、質の良さにもデッドラインを設定しないと、キリがありません。

それに、そこまで追求しているのは、自分が納得したいからであって、他の人は、そこまで求めてはいない。

精々、「やっぱりすごいね~さすがですね~」とその場で賞賛されるも、時間が経てば、それが “ 当然の基準 ” になってしまい、同じレベルのものを見せようが、別にどうってことない判断をくだされ、むしろ、「もっと期待していたのに残念だ」と勝手に格下げられてしまうのが世の事情というもの。

100%達した状態は徐々に70%、30%へと朽ちていくしかない。気づけばその姿に他人から不憫に思われてしまうのがオチ。

それとも、普通レベルの60%程度の状態から、徐々に100%へと進化させる姿を目の当たりにし、少しづつ他人を震駭させ、圧倒的な存在感を徐々に醸し出すか?

私なら、後者の大器晩成型を選択する。60%程度の何も賞賛されない姿を世にだしたとしても「今は辛抱だ!」と誓い、見え隠れしているその頭角を徐々に表現していく事に快感を覚えるからです。

少しばかり話がそれてしまったが、始めからクオリティばかりを追求しても、結局はそんなに簡単にいいモノには仕上がらないということです。

質の高さは大切だが、まずは「期限ありき」なのです。その期限内に納得のいくクオリティを求める事は、ほぼ神業に近いといっても過言ではない。

勘違いしてはいけない。質というものは、徐々の育てていくものであり、期限内に仕上げなくてはいけないのは、“ とりあえずの完成形 ”

それがすべての始まりであり、完成された状態ではなく、そこから徐々にクオリティを高めていけばいい。

仮に期限を過ぎた後、手を付けられないものだとするならば、それはそれで、ベストを尽くした一つの完成だと見切りをつけることも大切です。

完成形は最低ラインを設定する

一つの業務を引き受けたとき、その完成形をイメージします。おそらくですが、取り組み始めた時は、完璧な状態を目指してはいないだろうか?

しかしその完璧は、あくまで理想。先ほどから申しているように、理想を追い求めるとキリがありません。

優先すべきことは、“ 期限内に終わらせる ” こと。クオリティは期限内でできるベストを尽くせばいい。

と言いたいところですが、ベストを尽くそうとすると、必死になり過ぎ、気づけば余計な所でこだわってしまってしまいます。

なので、いつも、「最悪このくらいには仕上げよう」という最低ラインを始めから設定しておく。

初めから、全力を尽くし、完璧と言える仕上がりにしてしまうと、後は朽ちていくしかない。

もうこれ以上手ほどきするところがないと自分の中で満足してしまい、もう手を付けようとしないのが心情というもの。

Webサイトのコンテンツに例えると分かりやすい。アクセス数の多い記事があるとしよう。その記事は検索順位も高く、自分でも我ながらいい出来だと満足するでしょう。

すると大抵の人は、そのコンテンツに一切手を加えないのだ。なぜなら少しでも修正すると、逆にアクセス数を下げてしまうかも、評価が下がってしまうかもと、完璧に傷をつけかねないと思ってしまうからです。

ですが、その考え方を脱しない限り、Web界ではそのまま下降を辿るだけになってしまう。

なぜなら、アクセス数が多い記事ほど、さらに集客増が見込めるヒントが在しているからです。そこからさらに手を加えなくてはいけない箇所はいくらでもあり、そこに手ほどきさせることに成功すれば倍々増に集客できるのです。

それにそもそも、「アクセス数が多い = 評価が高い」ではない。あくまで検索結果にヒットしたに過ぎない、「ヒットしたチャンスを掴んだに過ぎない」のです。

内容をどう評価されるかは、“ そこからがスタート ”であり、そこからクオリティを上げていかない限り、あっという間にアクセスダウンへと朽ちてしまうのです。

つまり、初めはクオリティを求めない、期限を守る事を第一優先とし、「とりあえずは最悪でも」という最低ラインをを設定し、取り組むことをおすすめします。

前半で最低ラインを仕上げ、後半で余裕を持たせる

さて、期限が儲けられたタスクを取り組む際、気持としては「とりあえずはこのくらいのレベルは仕上げよう」と最低ラインを設定するが、実は、期限に達した時には、ある程度、高いクオリティに仕上がっている。

どういうことかというと、タスクに取り組む時、「全力スタートダッシュ」と「余裕しゃくしゃく」の2分割にするのです。

前半では、全力でスタートダッシュをかけ、最低ラインの状態まで仕上げてしまう。早ければ早いほどいい。そして、残った後半では、とりあえずの完成は達しているので、余裕しゃくしゃくでじっくりとクオリティを期限が来るまで上げていくのです。

つまり、いかに早く、最低ラインの仕上がりを完成させるかがポイント。すれば、後半戦では余裕をもって質を上げるための施策に時間をさけるという事です。

できる事ならば、前倒しでスタートを切る事ができれば、なおのこと後半でさらに余裕を持たせることもできます。

随分と理にかなった方法ではあるが、「そんなことができたら苦労はしない」と思われたかもしれません。

しかし、大抵の人は、文章の書きだしに時間をかけすぎたり、たった1枚の画像制作でその日の作業は終わってしまった。なんてことはザラではないでしょうか?

私自身もよく経験するをことですが、サイト制作に取り組む際、PCの目の前にして何も手を付けられずに、ただボーっと画面をみつめているか、気づけばユーチューブをみてしまっていたり、芸能人がどうだこうだのネットニュースを読んでしまったりして一向に作業が進まないのです。

まるで「心ここにあらず」の状態となり、時間だけが刻々とすぎていく。

私はもともとSNSはほとんどやらないタイプなのですが、SNSにプチ依存している方にとっては、気が散る弊害要因を後押ししているかもしれません。

周りに気が散るモノがあるからというのも原因ではあるが、結局、始めから完璧なモノを仕上げようとするから、何からすればいいのかわからない状態になってしまう。この事は誰しも経験したことではないだろうか?

とりあえずはプロトタイプ(試作品)を仕上げる事を考えればよかったのです。

人は、ある程度仕上がったプロトタイプに手を付けるのはすぐにできてしまうが、「0」の状態から「1」にすることを苦手とするようです。

但し、前半の「とりあえずの最低ライン」を仕上げる全力疾走を行う際、一切の気が散るモノに触れない覚悟は必要かと思います。

作業時間が4時間あるなら、前半の2時間は、プロトタイプの完成に至るまでは、スマホは見ない、何も飲まない、トイレも先に済ませておくなど、一切の気が散る要因を排除し、一心不乱に、2時間を突っ走る。

期限までの期間が10日だとするならば、前半の3日~5日間は、ひたむきにプロトタイプを仕上げることに集中させる。

勝負は、前半戦。ここで自分に負けては生産性を高めることはおろか、自分で自分を苦しめてしまう「ラストスパート体質」を脱することはできないのだ。

ラストスパート志向が諸悪の根源

先に説明した、前半の「全力スタートダッシュ」と後半の「余裕しゃくしゃく」の2分割は、「とりあえずは最低限ギリギリ許されるとこまでサッサと仕上げちゃえ!」というものです。

しかし、大半の人は期限ギリギリにならないとエンジンがかからない、危機的状況に直面しない限りはお尻に火がつかないもの。

いわゆる後半直前になってようやくスイッチがはいる「ラストスパート体質」。ラストスパート体質には2つのタイプがあると思う。

一つは、「まだ時間はある・・・」「また始まったばかりだから・・」という先送りタイプ。

そして二つ目のタイプは、完璧に仕上げようとして細部にこだわりすぎてしまうため結局タイムアウト直前で崩壊し適当な仕上がりになってしまう「完璧主義タイプ」。

先送りタイプは、自分ではちゃんと気づいていることが多く、ちょっとした心がけで改善出来たりしますが、厄介なのは、後者の「完璧主義タイプ」。

先送りは、いってみれば「怠惰」な自分に気づき、改めようという認識があるが、 完璧主義の人は “ カンペキな仕上がり ” にこそ価値を感じ、それが自分のなすべきことだと揺るぎない誓いのようなものを確立してしまっている。

そもそもラストスパートとは、陸上競技等で使われることで、残りわずかな時間さえも最後の最後まで出しきれる力を全て振り絞る、という意味を持ちます。

時間が迫ってきたから慌ててスピードを上げることとは、まるで意味合いが違います。

“ 後半直前でラストスパートをかけようが、取り掛かる直後からロケットスタートをかけようが、結局は同じ ” ということです。

つまり、結局期限ギリギリで焦ってラストスパートをかける力があるのなら、前半から全力スタートダッシュで、とりあえずの最低ラインまでを一気に仕上げ、残された時間は余裕を持たせた方が、気持ち的にラクなはず。

なぜなら、既にタスクは完了している。最低ラインのプロトタイプは完成されているのですから。余裕を持たせた時間は、あなたが生み出した時間です。時間内であれば、大いにこだわりあるクオリティを表現すればいいのです。

ただ、勘違いしてはいけないのは、ロケットスタートを切るその本質は、制限時間内に「余裕」を持たせる事であり、高速で次々とタスクをこなすことではない。ということです。

すべて、必ずやり直しになる

仕事にしろ、何にしろ、クオリティを求める事は大切です。むしろ、クオリティにこそ価値を感じるのが現代人だともいえる。

だが、質の高いものを完成させるには、やはり時間がかかるし、人が想像する完璧と、実際施せる完璧には大きな乖離があり、そのキャップを埋めるためには、お金を掛けて、ハイテクノロジーの力を加えない限り、論理的に人間だけの力だけでは無理難題です。

それでも質を重視し完璧にこだわる人に、これだけは伝えておきたいことがある。

どれだけ完璧な仕上がりをしようが、“ すべて、必ずやり直しになる ” という事です。たとえ、テクノロジーの力をもってしても、この原理原則を覆す事は不可能です。

なぜなら、クオリティというものは時代とともに、今以上に猛スピードで向上し続け、どこまでが最高峰なのかさえ定める事ができないからだ。

スマートフォンのアプリは一度配信が開始されても、その後、何度もアップデートを繰り返す。新しいアップデートの通知が何件もたまっていく光景を誰でも一度は見たことがあるはずです。あのアップデートはなぜ何回も繰り返し行われているのでしょうか?

配信が開始された段階では100%の完成度ではなかったからです。100%のものは、そんなに簡単に作れるものではない。だから世の中のアプリ開発者は、配信後も長い時間をかけてアップデートを繰り返し、少しでもいいものを提供できるよう改善し続けているのだろう。

仕事とはそういうもの。未完成、だからこそ仕事が発生するというもの。最初から100%の仕事をしようとしても、ほぼ間違いなく徒労に終わるわけ。なぜなら後から再チェックすると、直すべき箇所が次々に見つかっていくからです。

この世のすべてには、期限がある。期限があるからこそ、その過程において、いかにして効率的にするべきか、いかにしてベストを尽くせるかを考える力が生まれるのだ。

そして、完璧を求めるのではなく、ひとまずは、「完成」させることを優先させてはどうだろうか。正解のない未完成を、完璧に完成させればいい。