観(感)じる「価値」と、プレゼントする “ 価値 ”

観(感)じる「価値」と、プレゼントする “ 価値 ”

「世上の価値」と「個人的な価値」の懸隔

さて、「感」と「観」。語尾の漢字一字が異なるだけで、受け取る意味合いが異なると解釈されているようですが、単なる漢字一字の違いだけにとどまることでもないかもしれません。

例えば、「価値観」という言葉は次のように使わる事が多い。

ここでいう、「価値観」とは、あなたが大切に思っている事。モノの見方や考え方が自分の中にあるもの。

つまり、外部や他人から受け取って“ 感じる価値 ”はなく、

自身で能動的に“ 観じる価値 ”をいう。

「価値観」とは、希少性のある値打ちで判断される世間体の価値が、必ずしも各個人の価値観と一致するわけではない。

ある人にとって感じる価値が別の人にとっては全く価値を感じない事さえある。

ひとりひとりの個人的な価値には大きな相違があり、各個人の価値の数が多ければ、対象の価値は比例して上がる。それが世上の価値として示されているようだ。

異なる「価値観」を導き出すためには?

人によって価値観は違うは何となく「分かる」けど「解る」とは言い切れない。むしろ、その違いはどこからどこまでか?何を基準に懸隔するのか「判る」まで至っていない。かもしれませんね。

前者の「価値感」はニュアンス的に理解できそうだ。

モノの価値、価値のある仕事、価値のある本など、外部が持つ「価値」(=価値感)は見て聞いて触って見て感じたことをそのまま「いいもの」として受け止めればいいだろう。

しかし、後者の「価値観」は会釈しにくい。とは思いませんか?

自分の価値観というものは、いちいち頭で考えてわかるものではなく、心の潜在意識。つまり、無意識レベルのものだとされる。

例えば、「どうしてこんなことしなくちゃならないの?」とか、「あの人のいう事に納得できない」と思うことには中々手がつけられない経験はあるはずです。

たとえ、それがいい事であったとしても、「こうあるべきだ!」という他人が持つ価値観だとしても、あなた自身の価値観とのズレがあるからだろう。

自分の価値観と相違なるものには、無意識にやる気がなくなり、ネガティブな感情に振り回されていると感じてしまうものだとされる。

ですが、もし仮に、他人の価値観が自分の価値観と相違しているとしても、あなた自身の価値観に置き換えることができるとすれば、素晴らしいとは思いませんか?

逆に、あなたが人に問いかける言葉によって、他人の価値観を導き出す、つまり他人の自尊心を高める手立てとなるのであれば素敵な事ではないでしょうか?

今回は、人に対する「問いかけ」や「質問」で、他人の“ 価値観 ”に気付いてもらう、つまり、他人の自尊心を高める、満足させ、行動を促すであろうことについて紐解いてみた。

価値観の“価値”と価値観の“違い”

日頃、“ なんとなく ”使っている『価値観』。

そもそも価値観って自分に何をしてくれるの?

自分の価値観を知る事でどんなメリットがあるのか。

自分が惹きつけられてやまないもの、追求するもの、楽しさを感じるモノ、苦痛であってもつい頑張ってしまうもの、そういったものが「価値観」だったとすれば?

それは、やる気・本気の源泉であり、無意識レベルで行動につながる「動機」になるであろう。

最高の価値観は、自分が最も高い価値をおいていること。

だからこそ、最高の価値観が満たされると、本気で頑張れるし、勝手に行動につながるし、楽しさや満足感さえ感じ取る事ができる。

価値観という概念やそれが与える影響力は、これが正解とはいえません。

しかし、価値観とは自分にしかもたない唯一無事のもの。自分だけに与えられた特権ではないだろうか。

だとすれば、価値観が、やる気の源泉であり、行動につながる「動機」になるなら、今より充実感を期待できそうだ。

と、いうのは私自身の「価値観」。あなた自身の「価値観」はもっと違う会釈かもしれない。

もし私が、あなたに次のように問いかけるとどう感じますか?

「どうして私の価値観を理解できないの?」

「私が紐解いた価値観の概念を理解するべきでしょ?」

こんなふうに言われてしまうと、不快に思うだろう。

あなたに対して、ネガティブを与えてしまう「質問」だから。

もう少しわかりやすい事例を取り上げて話をすすめます。

会社勤務をしていると、一度が言われたことのあるこの叱責。

「俺があれだけ言っただろうが、何でいうとおりやってないの?」

「なんでそんなに仕事遅いの?いい加減に要領よくしろよ!」

特に新入社員のときは仕事でミスをすることも多くて、上司から毎日のように怒られパワハラ的な行為を受けている人も現実多い。

厳しく指導することは間違っていませんが、なにげない一言でも相手にしてみれば相当なダメージ与えてしまう。

それにおそらく、部下もそれなりの言い分がある。

「あれだけ言ったっていうけど説明がわかりずらいんだよ・・」

「仕事遅いっていうけど、質が大切っていってたじゃん・・」

コトバに発せられない状況なだけで、こういった上司と部下のジレンマ合戦はよくある事。

言いたいことを我慢し続け、爆発した新人社員

部下の大変さに理解を示さずにキレてしまった部長

それとも、何も言わずに海の底の貝のように黙っていた私?

だれが一番悪いの?

だれも悪くない。「だれが?」を追求してしまうと、その人の自尊心はズタズタにされ、さらに行動を制御させてしまう。

確かに社内には「残念な上司や部下」「すぐにあきらめる新人」「キレやすい上司」・・・

いろんな人がいるの当然。

結局、他人が他人を自分の思いどうりしようと思っても、そうはいかない。

本人自身が気づかないと変わらない。

このプロセスを辿ることに気付かなくてはいけないのだろう。

精神科医エリック・バーンの有名な言葉は誰しも聞いたことがあると思う。

確かに、自分の考え方次第で受け止め方を変えることが一瞬でできる。自尊心を傷つけないで済むだろう。

しかし、チームワークを要する会社、選ぶ事ができない上司との関係、はたまた、子供の教育や学校の指導など、これらすべて、自分の中で処理してしまうとどうなるか?

そう、相手の秘めた価値観を捨ててしまいかねない。いかようにも、同人ならない他人をそのまま放置しておけないことも実際にはある。

まさか、子供に「この子はもうだめだ。あきらめよう。」といって、親自身がそそくさに変えられない性格を受け入れることは出来かねないはず。

然るに、会社の上司も、親も、先生も、決して「自分の思うようになってほしい、動いてほしい」とは決して思ってはいないはずです。それは、対象者の価値観を大切にしたいという思いがあるから。

では、どうすれば本人の価値観を自身に気付いてもらえるのだろうか?

価値観に気づく、気づいてもらう「質問」

本来、価値観というものは、他のモノやコトに対し、本人が能動的、または受動的に感じる価値であり、それは本人次第だが、なぜか自分自身の価値に対しては鈍感です。いや自分に価値があるかどうかなんて自分が決めていいものなのかさえ疑問に思えるかもしれない。

だとすれば、価値は受動的に感じることでその価値を受け入れるのであれば、与える事で対象者の価値を見出し、本人に気付いてもらえるはず。

だが、何の証拠もなく、あなたの価値は○○です。と伝えても、本人は価値を感じとってはもらえないかもしれない。

結局は、本人自身が「気づく」ことでしか、自分の価値はわからない。ならば、気づいてもらうための、『質問』をすればいい。

部下に、子供に、生徒に、本人自身が気づくキッカケを作る『問いかけ』『質問』をすればいいのではないだろうか?

ネガティブな質問をポシティブな質問の置き換えみよう。

例えば、先ほどの上司の叱責事例では、

「なんでそんなに仕事遅いの?いい加減に要領よくしろよ!」

という、ネガティブな問いかけがあった。

ここで、上司の言い分に秘められた「価値観」は何かを考えてみる。

「要領よくすれば仕事は早くなる」

これはあくまで、上司自身の価値観であり、そのままストレートに部下に説明しても、納得しないだろう。

そこで、こんなふうに仕掛けてみる。

要領がよくないのは「何が」原因なのか?

仕事を早くするために、「何か」手伝えることはある?

その仕事は「いつ」までにできそう?

「どこ」を変えたらもっと効率よくなるのかな?

「誰と」組んだらもっと早くすすめられるのだろうか?

「どうすれば」要領よくこなせるようになるのか?

さて、これらの問いかけや質問にネガティブさは感じません。

本人の自尊心を傷つけることなく、「要領よくすれば仕事は早くなる」という価値(=価値感)を発しているに過ぎないとは思いませんか?

「何が」「いつ」「どこ」「誰と」「どうすれば」という文言が入っています。

そうです、「なぜ」(why)という言葉を使ってないことに気づきましたか?

「なぜできないの?」

「どうしてやらないの?」

「何で言うことをきかないの?」

他人を説得する場合、「なぜなぜ問答」をしてしまうと、言われた側にとってネガティブなスパイラルに陥る可能性が高くなってしまう。

まず、ネガティブな問いかけの中にある価値観を見つける。

そして、「何が」「いつ」「どこ」「誰と」「どうすれば」を用いた質問に置き換える。

すれば、ポシティブな問いかけに変わり、他人に不快を与えないで済むだろう。

※ 勘違いしてはいけないのは、 トヨタ生産方式を構成する代表的な手段の「なぜなぜ分析」とは違います。
ここでいう「なぜなぜ分析」とは、ある問題事象に対して「なぜ?」「なぜ?」とくりかえして掘り下げていき、発生した根本原因を探り発見するための方法であり、他人を説得するものとは全く異なります。

価値観は観じることや感じることでもなく、気づいてもらうもの

自分の価値観を見つける事は実際には簡単な事ではないでしょう。

仮に、先ほどのポシティブな問いかけをしたとしても、すぐに本人に自身の価値観を見出せるわけではありません。

あくまで「キッカケ」を与えているだけに過ぎないといえる。

ですが、それがたとえキッカケだったとしても、

自分で考え → 自分で行動し → 経験し → 気づく

という、プロセスを回転させる手立てとなる事は確かだ。

百獣の王ライオンは、子に直接エサを与えないで、エサを獲得する方法を教える。

エサを与えると一時的には満足するが、長い目で見ると、かえって子ライオンにとって、弱肉強食の動物世界では生きていけない事を知っているからだろう。

人間社会でも同じで、自身で気づき、経験しないと本当内なる価値観を見つけることはできないのだろう。

自分で気づくプロセスの「気づく」の段階にフォーカスしてみると、本人は「そうだったのか!わかってよかった~」

と言う風に感じ取ってくれればいいのですが、もしかすると、

「自分は全然ダメなやつだ・・・」

「こんなこと今ごろ気づいたのか・・・」

など、欠乏感に陥る事さえあるかもしれない。

一見すると、自分の価値観を見失ってしまうかのように思えるが、実は真逆なのだ。

古代ギリシャ哲学者「アリストテレス」は次のように名言している。

例えば、幼少期の経験で培われた欠乏感は大きく、その後の人生においても色濃く作用しているように思う。

世の成功者は、必ずと言っていいほど欠乏感を経験し、その渇望に対応する価値観を見つけ出したのだろう。

最後に、「価値感」と「価値観」の違いを思い出してみよう。

売買を施す売り手と、買い手に置き換えてみると、

売り手が提供するモノやサービスの「価値(=価値感)」は、買い手が大切に思っている「価値観」と一致しているか?

事実、人の「価値観」は、実際の購買行動と深くつながっている。

コンテンツ制作、セールスを行うヒントになりそうです。

一つ確かな事は、売り手が提供するモノやサービスの「価値(=価値感)」、つまり流行ものやトレンド品は変化が激しいが、

買い手が大切に思っている「価値観」はそう簡単には変わるものではない。

内面的な「価値観」をもとに、人は選り好みをして、モノ・サービスを購入しているといえる。
価値観を生かしたマーケットの追求はこれからさらに必要になるかもしれない。