間違った完璧主義と目指すべき完璧主義

間違った完璧主義と目指すべき完璧主義

Microsoft Windows(マイクロソフト ウィンドウズ)は、マイクロソフトが開発・販売するオペレーティングシステム (OS) の製品です。

現在パソコンといったら、ほとんどの人がWindows(ウィンドウズ)を搭載したパソコンをイメージするでしょう。

もちろん、MacユーザーやLinuxユーザーの人には異論もあるでしょうが、市場シェアからみれば、パソコン = Windows(ウィンドウズ)という図式ができあがっているのが現在の状況です。

世界ナンバー1のパソコンになったMicrosoft Windows(マイクロソフト ウィンドウズ)は、果たして「完璧」な製品なのでしょうか?

少なくとも完璧とは思えない(えらそうなことを言ってますが)が、それ以上に満足はしていると思える人の方が圧倒的に多いはずです。

でないと、PC市場において世界ナンバーワンシェアの座を保ち続ける結果なんて出ませんからね。

ウィンドウズは、1996年の発売当初、完璧にでき上がったわけではない(じつは、ほとんど未完成だった)にもかかわらず、発売に踏み切ったという話があります。

しかし、タイミングやその後の商品戦略を考え発売に踏み切り、その後インターネット上でメンテナンスをしていくという手法を取ったそうです。

その結果、どうなったかは、冒頭で申しましたと通り、世界一のPCシャアを獲得した、皆さんもご存知の通りです。

ようするに、自分たちの商品やサービスに対してユーザーの期待値が上回った時には、たとえそれが不完全であったとしても顧客満足は得られるということ。

完璧な人間もいなければ完璧な商品もない、完璧なサービスも存在しない。

自分に完璧を求めることほど残念なことはない

そもそも、完璧とはいうが、何が完璧なのか、その基準なんてものはどこにもないはずなのに、限りなく100点を目指そうとやっけになる人もいる。

限りなく「完璧を目指そう」とする気持ちは大切なことなのですが、中には、「完璧でなくてはならない」という、100点以外は0点だと思い込んでしまう「完璧主義」という人がいます。

きつめの言い方になってしまいますが、完璧でなくてはならない、というのは、とんだ勘違いで、そう思い込んでしまっている人は「ちょっぴり残念」な人だったりします。

じつは、完璧主義な人は、自分自身でちゃんと気づいていることが多く、何事にも全力で頑張りすぎるため、人一倍余分に疲れ果ててしまっているようです。

どんなことでも、最初に考えていた通りには進まないし、想定通りの結果を生むことも、ほぼありません。

計画を精緻に組み立てても、予定していなかったことが必ずといって良いほど起こります。

冒頭でも言いましたが、Windows(ウインドウズ)などのOSやアプリケーション等のソフトウェアは、リリース後、脆弱性などの修正、機能面の更新を日々繰り返してます。

そして数年程度で「1.0から2.0」といった具合に、根本的なバージョンアップをしてますよね。

ソフトウェアは新しい環境に合わせ、改善したり、機能を追加したりすることを予定してリリースされている。

つまり、開発者は「ソフトに完璧はありえない」ということを前提に仕事を行っているといえます。

あの完璧主義のスティーブ・ジョブズ氏が作ったiPhoneも発売当初から完璧であるはずがなく、今も尚、アップデートし続けています。

野球も10回バッターボックスに入って3回ヒットを打てば、一流の証拠である3割打者。10割バッターなど存在しない。

さて、あなたは完璧を求めて「ちゃんとできないかも?」という恐れから、立ちすくんでいることはないだろうか?

あらゆることは、「未完成のままでも走り始める」からこそ、その「未」の改善点が見えてくるもの。

人は完璧にしてから物事を取り組もうとすると、苦痛になったり、失敗の恐れは増幅します。

完璧でなくてはならないと思いんでしまうと、完璧でないから行動しないという姿勢となり、何もできないことになります。

それにより、足もすくみ、結局タイミングを逸したり、やらないで終わったりしてしまいます。

他人に完璧を求める完璧主義ほど迷惑なことはない

自分が思いこんでいる完璧レベルの基準は、自分だけでなく、相手にもその基準にあわせようとする。

職場の上下関係や親子関係・夫婦関係・友人関係など全てにいえることですが、他人に完璧を求めるとその人の悪いところばかりが目に付いてしまい、相手も窮屈になり、苦しめてしまうことになります。

例えば、上司のレベルでは成果が「8」でも「6」でも、部下にとっての成果は「10」の場合がある。

部下のレベルはひとによりけりで、「10」言って「10」通じる人、「6」通じる人、「3」しか通じない人など、いろいろな場合があるのです。

その部下のレベルを嗅ぎ取り、解るまで言い続け、自分自身の100%ではなく、部下にとって100%の仕事を求めようとする。

自分の「普通」と相手の「普通」は違う。

相手の視線で物事を捉えてやらないと、他人の100%を無理やり求められたとしても、そう簡単なことではなく、たまったもんじゃないわけ、ハッキリ言って「迷惑」。自分でやれって話。

他人に完璧を求めようとするのは、自己満足したいだけで、それは迷惑行為です。

自分に完璧を求めようとうするのは、やっぱり自己満足したいだけで、結局は迷惑な行為になってしまいます。

自分を苦しめ、他人にも迷惑をかけてしまう。完璧という無知の領域を目指しても、誰も辿りつくことはできないということ。

「間違った完璧主義」と「正しい完璧主義」

ですが、僕は完璧主義を完全否定しているわけではありません。

というのも、完璧主義にも、「間違った完璧主義」と、「正しい完璧主義」があると思う。

前者の「間違った完璧主義」というのは、ここまでお話ししたとおり、他人レベルの100%を成し遂げようとやっけになってしまうことだったり、本来他人が満足するレベル以上を目指そうとすることです。

要は、誰も求めていない完璧を求めようとして、自分も他人も苦しめる結果になってしまう完璧主義です。

一方、「正しい完璧主義」というのは、“ その時のベスト ”を目指す人です。

完璧に近づくために最善を尽くしたかどうかは、自分こそがよく知っています。

つまり、今現在、自分ができる事にベストを尽くそうとする「心構え」が大切で、100%を目指そうと自己満足を得ようとするのではなく、たとえ、50%の出来だったとしても心構えが100%であるということです。

成果という100点が完璧ではなく、心構えと自分が今できる行動レベルでベストを尽くそうとするその行為が完璧かどうか、なのです。

自分が思いこんでしまっている完璧は、結局は自己満足の「結果」や「成果」ばかりを求めているだけで、行為そのものに意識が向いていない。

他人が求める完璧を目指そうとする事は、結局は、「評価」とか「承認欲求」など、認めてほしいことが「目的」で、今の自分の行為そのものに意識が向いていない。

「どれだけできたか」よりも、「どうやったか」です。

完璧を目指すのなら、一生かけてその完璧(成果)に達したらいいじゃないですか。だから今は、ベストを尽くすことを意識しよう。

そして、細部の完璧を目指すことよりも、まずは終わらせることを目指すべきです。

100%の未完成品と、50%の完成品とでは、どちらか完璧だと思いますか?

ここが理解でれば、完璧でなくてはいけないその呪縛から解放されるはずです。