過去の「努力」にこだわる成功は失敗の故(もと)

過去の「努力」にこだわる成功は失敗の故(もと)

努力は必ず報われる

努力に勝る才能はなし

努力は裏切らない

努力は美しい

・・・

努力する、頑張る、一生懸命する。

これほどまでに、多くの人々に影響を与えてきた言葉はないでしょう。

これまで重ねてきたあなたの「努力」はすばらしい。

努力をしたからといって必ず報われるとは限らないといえども、努力を積み上げることをやめないあなたはまさに「努力家」。

仮に、何かしらの成功体験をモノにした方は、「努力」は絶対に必要不可欠なことだと「気づけた」ことが最大の経験値でしょう。

しかし、これまでやってきたあなたの「努力」、今すぐ忘れて「捨てる」くらいの勇気はありますか?

頑張って努力してきたこと忘れろ?

と思うだろうが、その頑張ってきたこと、努力してきたことにこだわり過ぎると、かえって今後の成長の足かせになってしまうこともあるのです。

とはいっても、努力なんてしんどいことしないで今後は努力なしでいこー。という「脱・努力論」なんてことではなく、「努力の成果が生み出した過去の栄ある成功事例」というワンパターンにこだわり過ぎないようにしよう。というお話です。

現在から未来に対する努力は裏切らないが、過去の努力はあなたの持ちようによっては裏切る事もあるのです。

失敗は成功の元(もと)、成功は失敗の故(もと)

努力とは、「こうなりたい」「こう変わりたい」という願望を叶えるために、こつこつと願望の達成のために励むことをさします。

苦しくて挫折しそうになっても、諦めずに希望を持って続けることが努力と言えます。

血のにじむような努力を重ね、栄えある賞を獲った、芸術関係のコンクールで最優秀賞に選ばれるとか、試合で勝利したとか、試験に合格した。

それまでの努力が一気に報われるといった光景は、自分にとっての根強い自信となる。

ですが、それまでの努力にはこだわらず、それを捨ててしまうような気持ちにならないといけない。

なぜなら、過去の努力にこだわりすぎてしまうと、今後の努力に対して自分で勝手に「取引」をしてしまうからだ。

「これだけ努力をしたのだから、次もきっとうまくいくだろう。」という、努力に期待し、成功するという取引をしてしまう。

努力を重ね、他者から助けを被り、やっとの思いで成功した事実は、「その時の状況に応じた過去の成功事例」だという認識をもたなくてはいけない。

時代の変化に伴い、状況が変わるに従い、過去の成功例が通用しないことはよくあること。

人は成功した体験を持っていると、「次もできるかもしれない。きっとできる」と信じられる。その信念が、強い推進力を生み出す。

しかし、ときにはその成功体験がマイナスの弊害を生むこともある。成功体験にとらわれ、「こうすれば必ず成功する」と思い込み、状況の変化についていけなくなる場合だ。その意味では、成功は失敗のもとになる。

状況が変わったときには、成功体験にとらわれず、適切な変更が必要。

成功体験すると、それが正しい道だと思いがち。しかし、成功したやり方を継続してよいのは、同じ状況が続いているときだ。

周囲の状況が変われば、過去に成功したやり方でも通じなくなることがある。そのときには、きちんと分析しながら、そのやり方を捨てて新しい方法に「勇気をもって変えていく」ことが必要です。

成功体験が失敗体験になる?

「これだけのことをやってきたんだ。我ながら本当に努力をしたな……」という思いがあまりにも強いと、「自分だけの力で成功した」と錯覚してしまう。

これは、いわゆる「慢心」というもの。

あなたが成功したのは、あなただけの努力だけとは限りません。周りの人の協力があってこそだというのを気づかなくてはいけない。

「成功したのはあの人のあのやり方を知ったことがキッカケだった」

「この人の~がなくては成功はなかったな」

など、振り返れば必ずどこかで他人の「助」がキッカケになっているものです。その時は気付かなくても自分は何のためらいものなく素直にその「助」を受け入れていたのです。

だが、成功事例に捉われ「慢心」してしまうと、これまで素直に受け入れていた「助」がキッカケを否定的なことだと自己判断してしまうのだ。

あなたも経験あるはずです。「これまでこうしてきたから」という過去の事例を、 “ 今後の基準 ”にしてしまうことが。

今よりもさらに努力を重ね、より成長したいのであれば、努力による成功事例は、あくまで一つの「パターン」であり、その「パターン」に固執しすぎてはうまくいくこともうまくいかなくなってしまいます。

それに、成功体験は、必ずしも努力したからとは限らない、時の運ということもあるだろう。相手に勝利したとしても、相手の調子が悪かったかもしれない、賞を獲得したとしても、参加者のレベルが全体的に低かったのかもしれない。

努力は勝率を上げるが必ずしも今後の成功する保証なんてない。

努力を信じて目標まで到達したとしても、その時点で努力はもはや過去のものであり、信じられる対象ではなくなっていることに気づかなければいけない。

忘れてはいけないことは、周りの協力してくれた人に対する「感謝」であり、過去の自分の努力、栄ある成功体験は心の奥底にしまっておこう。

努力とは結果ではなく、振り返った時の過程

努力することが苦ではない人もいれば、努力するのは苦手だという人もいます。努力できない人にとっては、「どうしたら努力が続けられるのか」という大きな悩みがあるでしょう。

努力が続く人と、そうでない人の違いは、努力とは結果ではなく、「振り返った時の過程」だと理解しているかどうかの違いなのです。

例えば「トップの成績を取りたい」という目標があった場合、もしトップになれなくても、努力してトップに近づいていく過程を重視するという特徴があります。

トップになるかならないかではなく、なるための努力によって自分に力がつくことに気づけるかどうかが、努力できる人とできない人との違いです。

努力ができる人は、「努力は人を裏切らない」という信念があるのが特徴で、ある目標のための努力であっても、努力の過程で得られる満足感を味わおうという考え方を持っています。

努力したことで必ず何らかの結果を手にしたいと思う人は、結果が出なかった時に「あんなに努力したのに…もういいや」という気持ちになりがちです。

しかし、努力ができる人は、努力したからといって報われるかどうかは分からないことを知っていますから、見返りを求めません。

努力することそのものに価値があると信じていて、努力は人を裏切らないと思っているため、前向きに努力を続けられるのです。

努力は「フツー」である

過去の勲章を首にぶら下げたままではいけない。その勲章は、成功した「コト」の証にすぎません。

努力して成功した、というコトの記憶はどーでもよくて、「なぜ成功したのか」「どうしてがんばれたのか」という “ 努力のモト ”をシッカリと心の記憶にとどめておくべきなのです。

すれば、今後どんな壁にぶち当たったとしても、その“ 努力のモト ”が心強い「バックボーン」となるのだ。

あなたがこれからすることは、なにか?

目的をもってひたむきに行動するのみです。努力に期待をしても無駄、努力に取引をしても保証はない。

努力ができる人は、なぜその努力をするのかについて納得できているので、「特別なことをしているという感覚がない」のです。

時には辛いと感じることがあっても、「努力とは苦しいこともあるもの」と分かっているため、ごく自然に努力を続けることができると言える。

たとえ全身全霊を傾けた努力であっても、うまくいく保証はない。それでも努力は成功の確率を上げてくれます。

正しい努力の方向は「目的意識」

大事なのは、「正しい方向に努力しているか」ということです。努力の方向を間違えれば、いくら努力をしても勝率は上がらない。

「正しい方向」とは、過去の経験ではなく、未来の成功のための努力の方向。成功するために必要な努力を選択すること。

努力する「正しい方向」をつかんだ上で、すべての力を出しきって圧倒的な努力をする。そうすれば成功する確率は格段に高くなるだろう。

正しい努力とは、「努力のセンス」ともいう。センスとは、 “ 的外れになってしまっていることに気づけること ” をいいます。

その「的外れ」に気づく能力をつけるためには、「目的意識」をもって取り組むことが重要になってきます。目的意識がないまま取り組んだとしても、目的から外れる、つまり、的外れの努力になってしまう。

努力できる人が羨ましいと思っている人は、努力してでも手に入れたい夢や願望がなかったり、あってもぼんやりしています。

努力している人を見て「すごいな、自分もああなりたい」と思ったとしても、目的や目標がないと自分のことに置き換えられないのです。

「正しい努力」できるようになるためには、はっきりとした目標を持つことが不可欠と言えるでしょう。

※「努力のセンス」について、下記のページでもご紹介していますのでどうぞご購読ください。

「成果を出せる人」と「成果を出せない人」の大きな違い