「自由の道を選ぶ」という事を考えてみた。

「自由の道を選ぶ」という事を考えてみた。

どうする?

自分で自分の答えを見つけていく「答えのない時代」になった・・・

困ったことに、人間は「何をするべきか」を決まっているわけじゃない。

かといって「何をしたいのか」をあらかじめ決めておくことはできない。

なぜって、それは「自分がどうなりたいか」という目的を達成するために、何が自分に適しているのか、何が最も楽しいと感じるのか、何が生きがいを感じるのか、どうすれば幸せになれるのか、など「選択」のしようがないくらいに可能性は無限大にあるから。

「何をしたいか」を見つける一番の方法は、「何がいいのか」を選び迷ってしまうじゃない。

でも、その手段って選べないくらいたくさんあって、どれも「やる」覚悟で決断し、すぐに実行する事から始めなくちゃいけなかったりする。時間は有限だっていうし。

「Showing Up!(ショウイング・アップ)」って大好きな言葉があるんだけど、「まず、そこに立て!」っていう意味。

元メジャーリーガーの田口壮選手が、むかーし昔に、こんなカッコいいセリフをいってました。

「アメリカでメジャーでプレーしたいのなら、まずはアメリカに渡る事を決めるだ」

おぉ、まさしく「Showing Up!(ショウイング・アップ)」

まずは、「その、地に立つ。」その一歩を踏み出すことをしない限りは、何も始まらないし、何も起きやしない。

むしろ、何も考えていないのと同じだ。と田口さんは(たぶん)そう言いたかったのだろう。きっとそうだ。

確かにそうだな。仕事をするには会社にいないといけないし、お風呂に入りたいと思ったら、浴室にいかないといけない。

当たり前すぎ過ぎることだけど、「なんだかそこに行きたくない」「行くべきなのかどうか迷ってる」ってことになると、なぜか「ショウイング・アップ」できないんだよなぁ。

僕たちは、「そこに立つ」勇気さえも持てずに、「何がいいのか?」を選び迷いづつけるだけで、フィールドに足を踏み入れることを躊躇してしまってはいないだろうか。

例えば、仕事。

「今のままでいいのだろうか?」やりたい事をやろうと思えば、いつでも仕事をやめてしまったり、転職したり、フリーとして独立とかできそうな、こんな時代は、「好きな事をすればいい」「転職することに度惑いなんていらない」。「やりたいことをするには起業するべきだ。」とか、「いつまで今の会社に働き続けてんの」って風潮が漂ってるよね。

かつてのバブル期を筆頭にこれまで日本は、今いる会社に、何が何でもしがみ付いておけば、「一生涯を、まるごと保証しますぞ」。誰かが用意した「レール」の上を、一心に走り続けさえいればいいっていうのがあったはずなんです。(昔のことです)

「何がいいのか」を選ぶ余地なく、みんなと同じ列車に乗って、外の変わり映えのない風景を毎日見ていればよかったわけだ。(昔々のことです)

終身雇用? 年功序列? 定期昇給制度?

かつての日本型雇用「3種の神器」はすでのカビてきたのか使えなくなったも同然だとされる。よね?(今のことです)

これからは、自分で自分のやりたいことを選択できる時代、しかし、そこに待ち伏せているのは「答えのない時代」であった。よね?

「何をすればいいのか」見つからない正解を、自分の力で探してゆかねばならない、そんな社会の真っただ中に僕たちはいるのだ。でしょ?

平均点がとれる「ふつうの人」ほど自由になりにくい

目の前には、誰かが用意した「レール」があって、みんなに遅れをとらないように、ひたすら課題をこなし続け、忙しい日々を送って、そんな感じで、気づいたら、大人になっていた。

常識人な大人になるために。平均点がとれる大人になるために。平均点以下の科目があると、すべての科目で平均点がとれるように言われ続けてきませんでしたか?

少なくとも、僕の学生時分は、長所を伸ばす教育方針ではなく、短所をなくすことに時間をかけ、平均的に優秀な人材を創り上げる教育、優秀なイエスマンを創り上げる教育を受けてきた記憶がよみがえるのである。

その記憶は確かなのか、確かでないのかもしれない。

だけど「支配」する人が扱いやすい「平均的な人」、そんな「ふつうの人」を目指して、今まで、数多くの宿題、テスト、受験、就職活動、昇進試験などを受けてきた。

遠いようで近いこの記憶はたぶん、確かだと思う。

誰かに認められるように、誰かに褒められるように、必死になって、誰かの人生を生きてきてしまった。

誰かって誰?

親?それとも、会社の上司?友人?

おかし~な~??

そこで、どうして「自分」のため。っていえない自分がいるのだろう??

教育された「平均点がとれるフツーの人」になったのにもかからわず、周りを見渡せば、ほとんどの人が「平均点がとれるフツーの人」。

日本中が不景気になった、会社企業の経営悪化は顕著となり、真っ先に行うのが、コスト削減。やはり一番のコストは人件費。

誰かがリストラの対象となる、そんな時もあった。

誰かそのリストラの対象になるの? 能力のない人? 仕事ができない人? 40歳を過ぎても管理職になれない人? 上司に嫌われている人?

どうやらそうではないらしい、一番リストラの対象になる人は、いくらでも変わりがいる「平均点がとれるフツーの人」だったりするのだ。

さいわいにも僕は、かろうじてリストラ対象にならずにすんだのだけど、辞めさせられた人たちのほとんどは、まじめにコツコツ働き続けてきたフツーの人だった。

「平均点がとれるフツーの人」とはつまり、普通に仕事が出来て勤務態度も真面目な社員は、いくらでも変わりがいるというのだ。

長所を伸ばさず、短所をなくすことに時間をかけてきた「ふつうの人」は、誰に認められたくて、誰に褒めてもらいたくて、誰の人生を生きてきたのだろうか。

言えないはず・・そんな人生が「自分のため」だとは言えないはず。

だけど、それは考え方によっては「チャンス」なのかもしれないぞ。

今一度、「自分はどうなりたいか」という目的をはっきりとさせ、そのゴールに向かって、「自分のため」に生きるスタートを切るチャンスでもあるかもしれない。

そこでどうする?何を選択することが正しいのかをひたすら迷い続けるだけで終わるか、それとも、とにかくやってみる事で、チャレンジしてみるか。

「安定」だが「束縛」、「自由」だが「責任」、迷いづつけるジレンマ

今の会社をやめるべきか、転職するべきか、それともフリーランスとして独立するべきなのか。そんな悩みを抱える人は多くいます。

「もっとやりたい事があるから」「今の会社がブラックだから」「やりくりするだけの収入が今後見込めそうにないから」など、ある程度理由があっての転職ないし、フリーランスへの道を新たに選択しようとする人は多々います。

しかし、そんな理由があるにもかかわらず、その一歩が踏み出せない「迷わせるジレンマ」があるようだ。

会社勤務には会社勤務のメリットもあればデメリットもある。フリーになる事にもメリットはあるが、やはりデメリットもある。

会社勤務の「安定」と「束縛」のジレンマ

会社勤務は「安定」だが、「束縛」という一面もある。

会社で働く理由に、「束縛」されたいなんて誰も思わない、仕事を与えられることの方が「ラク」だという人もいるかもしれないが、普通は束縛されたいとは思わない。

それよりも会社で働きづつける理由にあるのは「安定」。終身雇用制度がないといえど、毎月安定した収入、有給制度など、会社に滞在しておけば、倒産でもしない限りはとりあえずの「安定」はできるだろうと思い、否が応でも在籍する。

フリーランスの「自由」と「自己責任」のジレンマ

一方で、フリーランスは、「自由」だが、「自己責任」という一面もある。

フリーランスになる理由に、「自己責任」を負いたいがために、フリーになることを決める事はないはずです。

やりたいことがあるから、会社勤めがイヤになったから、などが主な理由ではありませんか?

だから、「自由」。自由になり、自分のやりたい事を実現したいからフリーランスの道を選ぶ。むしろそうせざるを得ない立場にある人も多かれいるだろう。

会社で「束縛」されるのはイヤだ、かといってフリーランスになって「自己責任」を負うのもイヤだ。

だから会社で「安定」するか、フリーランスで「自由」になるか、この二者選択のジレンマが、悩ましき理由だったりするのではないだろうか。

会社で働いていると、「いかにサボれるか」ばっか考えてしまいそうになるけど、おそらくフリーランスの人は、「いかにサボってしまわないようにするか」という真逆の心構えでいるのだろう。

それだけ、会社は「束縛」で、フリーランスは「自己責任」だということなのだ。

保証されづらくなった会社勤務の「安定」

冒頭で、終身雇用、年功序列、定期昇給制度は崩壊したも同然だといいました。

必ずしも「安定」を保証される確信は持てない会社企業が増えてしまった事は否めない。

安定が保証されない会社に滞在し続ける理由がみつからない。かといって、勤め先を変えようにも、すぐに勤め先が見るかるわけでない。

勤め先を変えれば変えるほど、仕事内容の選択の自由は狭められ、「やりたいコト」よりも、とりあえずの「安定」を優先的に考えてしまう(そこを優先せざるをえない)。

しかし、慣れない会社で働き始めるということは、人間関係の悩み、やりたいくないことでもやらざるを得ない苦痛、ストレスなど、様々なリスクは避けられないことは覚悟の上。

それに、勤め先を変えると、大抵は、これまで勤めていた会社での収入を確保できる可能性は低く、会社勤めの特権でもある「安定」は、さらに不安定になる可能性は非常に高い。

勤め先を変えるということは、ある意味、これまでの「安定」を手放す事だといっても過言ではないのだ。

では、残されるは、やはりフリーランスの道なのか?

何もかも自分でやらなくてはいけない「自己責任」の負担や、一人になる「孤独感」という大きなリスクもある。

だが何よりも、これまでの「安定」を破棄する決断を下さねばならない。

家族持ちの人はもちろんのこと、今日明日の生活を切り盛りしていくだけの最低限の安定を、あっさりと手放せるはずはない。

家族の事を考えると、自分一人の問題で済まされないため、身勝手な決断を下すわけにはゆかない。

「自由になり、やりたいことがしたい」でも、「安定」であることはもっと大切。それでもやりたい事ができない不満感、そんなジレンマに陥る人は後を絶たないようだ。

最も望んでいる事は、フリーランスで自由にやりたい事を仕事にして、安定した収入が毎月入ってくることです。

そんなことは、願ってもないことで誰だってそうありたい。だが、それが最も難しい道のりだったりするのが、実際です。

「やりたいことをすればいい」「やりたくないことを無理にする必要なんてない」という人は多くいるが、それは、やりたい事がちゃんと明確にあって、既に成功した人が言うセリフなのだ。

わかっている。わかっているつもりです。そんな成功した人も、決して楽に成功したわけではなく、無一文からスタートし(むしろ借金をかかえながらも)、血の滲むような苦労と努力を乗り換えてきたことは、わかっているつもり。

だけど、誰もが同じ環境で、同じ立場にいて、同じだけの能力、同じだけの勇気と気力を兼ねそなえているわけではない。

体に病を抱えている人もいれば、生まれつきハンディを抱えている人もいるわけで、今すぐ決断を下そうにも下せない「一筋縄ではいかない」状態に晒されている人もいるのだ。

それに、インターネットの普及により、様々な働き方が多様化し、いろんな働き方を選択できる時代になったかもしれないが、「平均点がとれる普通の人」にしてみれば、悩みの種が増えてしまった事でもある。

いろんな働き方ができるという事は、どの働き方を選べばいいのかわからないことでもある。情報過多の社会になったが所以の「生きづらさ」ではないか。

自分で自分だけの答えを見つけていく、「答えのない」時代の渦中に放り込まれた「平均点がとれる普通の人」は、自分の得意分野な何なのか、得意分野があっても、何を選択すればいいのか、何が向いていて何が向いていないのかがわからない。

そんな「生きづらい人達」が大半を占めているのが、今の日本の現状ではないか。

だからこそ、一人ひとりが、自分が「どうなりたいのか」という目的を持つべき。

なんでもできそうな多様化社会で、「何をするべきか」という、答えの見つからず、迷ったままでいても、そこに正解は(なかなか)見つからない。

「何がいいのか」を選び迷い続けることではなく、どれも「とにかくやる」覚悟で決断し、すぐに実行する事から始めなくてはならない。

まずは、「その場に立つ。」そのフィールドに自分の足で、一歩を踏み出すことをしない限りは、何も始まらないし、何も起きやしない。

自分は「どうありたいのか」。その目的をしっかり持つことが第一です。目的地の定まっていない旅は永遠に彷徨い迷い続けることになってしまうから。

だから、まずは、「自分はどういうなりたいのか」という最終ゴールを決める事が最優先の課題です。

そして、その定めたゴールに向かうための「何をするべきか」という選択は、 “ 迷うことなくとにかくやってみる ” しかなくて、どれが最適なのかを選んでいるくらいなら、すぐに実行に移さない限り、それが自分に合っているかどうかさえ分からず、何も変わらない現実に留まることとなる。

あらゆる選択を「片っ端からやってやるぞ」というくらいの覚悟を持ち、あらゆる手段を駆使し、失敗、また失敗を繰り返す。そうすることで、徐々に最適を絞り込んでいく。

そんな時間はない? そんな遠回りな事をやってる時間なんてない?

確かに時間のかかることです。長期スパン覚悟で継続を要することは避けられない。

だけど、じゃぁどうする? 最適な進むべき道がすでに用意されているだろうか?

用意されている人はそれでいい。ちゃんと、身の振り場所が用意されているラッキーな人も実際にはいる。そんな人はそのフィールドで目的に向かって頑張って頂きたい。

でも、身の振る場所など、どこにも用意されていない人は、どうする?

時間がない。そう言ってるにもかかわらず、選択を迷い、肝心のはじめの一歩さえも踏み出す決断を下せず、結局は「ムダな時間」を過してしまってはいないだろうか?

悩むなとはいわない。ですが、やり始めてから失敗したり、たまにうまくいったりなど、やってみることで明確にする事の方が、よっぽど生産的だとは思いませんか?

当たり前ですが、「未来は白紙」。何も描かれていない白紙の状態なのが未来です。白紙の状態だからこそ、自分で自由に描くことができるのです。

その真っ白で何も書かれていない未来の紙っきれに、自由に書くことができるのなら、何を描きますか?

それは、最終的な目的。定めたゴールが、タイトルとして描かれている。

そのストーリーに、何を選択していいかを迷いつづけ、結局何も描けずに白紙のままにしておきますか?

なにも書かれていない白紙の状態で、ゴール達成できるはずはありません。

じゃなくて、何をしたら失敗した、だからこの選択は間違いだった。次に望んだのは、こんなこと、あんなんこと。という、ゴールに少しづつでも近づくための、あらゆるプロセスを描かなくてはいけないのではないですか?

やってみる。できることなら、今すぐやる。

信じよう、失敗は当然、バカにされることは想定内、迷惑三昧は当たり前。

うーん、何なんだ、この「精神論」は。

でも最後は「がんばる」ことを覚悟し、決断することが唯一無事の人間のパワーを生み出すのだ。

「自由になる」とは何か?

自由、それは「なんでもしていい」という意味ではない。

自由=FREE(フリー)とは違う。

言葉からして、「自分に理由がある」と書いて、自由。

自分に理由があるから、自由なのか?

自分に理由があるって、どう解釈するのか。

それは多分、自分が納得した上で、行動や選択を自分で決めることができる自由がある。ということなのだろう。

その反面、その行動や選択に、自分が責任を持つ。

これが僕たちが持っている自由なんだ。

自由とは、自分で決められる権利と、それに伴う責任を同時に持つことなんだと思います。

僕たちは「自由」になりたい。「何でも選ぶことができる」という自由は、決してやりたい事を選ぶことができる自由とは限らない。

なぜなら、何がやりたい事なのかが分からず、全然自由に選べないからだ。こんなに選択肢が多すぎては。

だから、自分で責任を持って、何でもやってみて、どれがいいかをひたすら見つかるまで、実践を繰り返すこと。

なんだが、自由ってめんどくさいなぁ。結局は何でも網羅的に試してみろってことでしょ。

イヤイヤ、そうでもないんだ。

選択肢は確かに多い、めちゃんこ多い。万とある。だけど、その万とある選択肢の中から、最も最適な選択をする事ができるのだ。

それは、目的というゴールを未来の真っ白な白紙に「仮説」という技を使えば、その仮説に基づいた適切な手段を選ぼうとする「脳の働き」が作動するようになっているのである。

すごいなぁ、人間の脳って。ちゃんと目的があれば、ちゃんとその目的に向かいための道のりを進もうとする。

知らない目的地だから、思わぬ事故や渋滞に巻き込まれることもあるかもしれないが、どうにかこうにか辿りつけるじゃない。そういうものなんだよ。

あなたはあなたの人生の「CEO(最高責任者)」。

あなたの人生の最高責任者は誰?

親? 会社? 友人?

それとも、あなた自身?

自分の人生が楽しくてうれしいのは誰?

自分の人生が苦しくて辛くなるのは誰?

僕たちは、楽しくて幸せになる自由を手に入れる事は、自分に「責任」を持ち「実践」することなのかもしれません。

そして、それがやりたい事を見つけるための、「自由な選択」なのだろう。

何かに惑わされてしまった情報収集、仮面をかぶったままのウソの自分、誰かのための人生を生きる、そんな退屈極まりない人生にバイバイして、自分の自由を取り戻す決断をしよう。

すれば、必ず、あなたの家族、知人に「自由をおすそわけ」することもできるでしょう。

それもいいかもね。自由を共有するために無茶な挑戦を繰り返した成功者ってのも。そんなかっこ悪い目的もありかもね。