休日の「あっという間に終わってしまう」感覚はなぜ?

休日の「あっという間に終わってしまう」感覚はなぜ?

 

休日はなぜか時間が経つのが早い。めったにない連休もあっという間に終わってしまう・・・

一方で、平坦な仕事をしているときは時間が経つのが遅く感じる。

記憶された時間のサンプル

地球上の時の流れは誰に対しても平等に一定。

しかし、人は時間を長く感じるときもあれば、短く感じることもある。

これは「時間知覚」といって、人が感じる時間の長さは様々な要因によって実際よりも長く、もしくは短く感じ、主観的時間の長さが異なることをいう。

時計が1秒1秒を刻んでいくのを見るときは、人は「客観的時間」の世界にいる。

客観的時間とは、時計やストップウォッチなど、誰もが納得できる時の刻みをいいます。

そこでは、「1分は必ず60秒」と決まっている。

しかし、脳の中では、1分というのは「相対的な時間」です。

相対的時間とは、過去の経験によって記憶された時間のサンプルをたよりに脳が判断している時の刻みをいいます。

それは、人間はきわめて「自分だけが感じる時間を計っている」からです。

時間を長く感じる時

世には時間を効率的に使うための時間術たる方法は沢山あります。

例えば、コマギレ時間を有効に使う、午前中にやるべきことを集中して行う・・・など。

確かにこれらの方法を得とくすれば1日を24時間以上にする感覚を得られるかもしれない。

ですが、これは時間知覚でいう客観的時間に縛られた考え方であって、「時間をつくる」には有効です。

今回の取り組みは、同じ時間を過ごしても「長く感じるための感覚」をテーマとします。

つまり、脳が感じる時の刻みをコントロールして、「時間の感じ方」変える。

時間を長く感じる要因を知り、それを応用すれば、あっという間に終わってしまう休日も有意義になるという考えです。

では、時間が長く感じるのはどういった時なのか?

それは、「 新しい情報を受け取るとき 」です。

説明します。

月曜の朝起きて、会社に出社し、気付くともう外も真っ暗で退社の時間。

あっという間に1日が過ぎ、気付くと金曜の夜。

「今週も1週間早かったな~」

子供の頃は1年がとてつもなく長く感じたのに、大人になったら1年が驚くほど早く感じる。

そんな経験はないだろうか?

子供の頃の時間感覚と大人が感じる時間感覚の違いは、インプット量にある。

同じ時間でも多くの出来事が起こったときの方が、出来事が少なかったときよりも時間を長く感じるためです。

大人になると時間に追われることが多くなる。

仕事で成果・結果を出すことが求められ、アウトプットを続けることが多くなるからだ。

よってインプットの機会も少なくなってしまいがちになる。

逆に子どもの頃は、経験する多くの出来事が新鮮に映り、様々なことを吸収することができる。

こうした子供のときの記憶は、大人になっても長い時間に感じられることが多い。

時間を長く感じるためのカギ

時間を出来るだけ長く感じるためにはどうすればいいか?

結論からいうと、それは、「 新しい経験をすること 」です。

「発見が多いと、時間が経つのが遅く感じる」

休日をダラダラと家の中で過ごした1日はあっという間い時間が過ぎるが、どこか日帰り旅行をして過ごした1日は長く感じたという経験はないでしょうか?

つまり、新しい経験は、新しい情報が脳に入っているという事です。

人の脳は、新しい情報を受け取る時、人間がわかりやすい形に情報を変換しなければいけません。

よく知っている情報を処理する場合は情報変換のプロセスにあまり時間がかかりませんが、新しい情報を認識した場合には情報を変換するのに時間がかかってしまいます。

このプロセスにかかる時間が時間感覚に大きく影響しているとのことで、脳があまりよく知らない新しい情報を処理している場合、人間は時間を長く感じてしまいます。

1日を長く感じるためには、単調な繰り返しを減らし、変化に富んだ刺激的な生活を送ること。

そうすることで、少しでも人生が長く、豊かに感じられるようになるのです。

さて、時間を長く感じるためのには、「新しい経験」がカギです。

新しい経験が時間を長くするメカニズム

社会という世の中の動き、時代の流れにのることを「時流にのる」という。

誰もが持っている何かしようという意欲と志は浪漫的な「自流」を創る。

有意義で楽しい時間を味わうために、自力で時の流れを遅くすることはできるのか?

この夢想の願いも脳科学的に捉えれば、非現実的ではない。

子どものときは、時間が長く感じるのは「新しい経験」が多いからだと説きました。

新しい場所に訪れる、新しい人に合う、新しいことを始めて見るなど経験のない感覚や、ありふれた毎日とは異なる非日常体験は、時の流れが遅く感じる。

それは、脳が新しい情報を認識した場合には情報を変換するのに時間がかかるためだとされる。

しかし、ここに少し疑問がある。

なぜ、脳が新しい情報を処理するのに時間がかかると時の流れは遅く感じてしまうのか?

この疑問に関しては次の考察に納得がいく。

人が感じる時間間隔は、「記憶された時間感覚」に基づいている。

ではもう少しわかりやすく説明してみよう。

刺激の少ない体験は、脳がすぐに「消化」できるので「記憶」に残りにくい。

記憶に残らない体験は時間の流れという感覚さえも残さない。

つまり、いつもと同じことをやっていると、後で振り返った時に、まるでその行動をとらなかったかのように時間が縮んでしまうのです。

例えば、昨夜の夕飯に何を食べたか思い出せないことがあります。

これは、「昨夜の夕飯」という刺激の少ない経験は記憶に残りにくいため、あたかも時間そのものがなかったかのように感じる。

大人になると、この「昨夜の夕飯」のような刺激の少ない経験が多くなりがちです。

そのため、振り返ると記憶に残りにくい、短縮された時間を感じ取ってしまう。

では、最近で一番楽しかった日のことを思い出してみてください。

例えば私の場合、お正月にみんなでワイワイいいながら、つついたお節や鍋は鮮明に覚えている。

旅行やイベントなどの非日常体験を過ごしたその日の記憶はまるで昨日のことのような感覚があるが、
その翌日から今日までの2週間の時間感覚は短く、あっという間に過ぎ去ってしまってはいないでしょうか?

記憶をたどってみて下さい。

ダラダラと過ごした休日の事を鮮明に覚えているだろうか?

次の日になると、「昨日、なにしてたっけな~・・・?」ではないだろうか。

然るに、新しい経験や非日常体験をすごした時を振り返ってみると、まるで今日までの数日間まで長く過ごした感覚を覚えています。

毎日が刺激的で新しい経験の多い幼少期はその時にすごした記憶とともに時間感覚も残されるため、今でも振り返ると長い時を過ごしたかのように感じるのはこのためです。

本気で取り組む姿勢が大切です

さて、時間を長く感じる感覚は、記憶に残りやすい刺激的な体験に基づくことがわかりました。

結論からいうと、これは、「うまくやることより全力でする」ことが「充実」という最高の時間感覚になると思う。

「うまくやろう」とすると、失敗しない案ばかりを探してしまう。

だが、失敗しない案なんてものは、すぐに見つかるものではなく、無駄な時間ばかりを過ごしてしまう。

ならば、「全力でやろう」とすれば、「今できること」に本気で取り組み集中できる。

今できることが、たとえ名案でなくともそこには「充実感」がある。

一生懸命やる、とことん楽しむ、熱心に行なう、真摯に取り組む、真面目にやる、真剣に向き合う。

思い通りにならないことを真剣にやればやるほど充実感が生まれる。

本気で、全力でやればやるほど感動が生まれる。

充実感と感動がある日々は楽しい。

楽しいばかりか、やがて成果は最大となる。

さぁ、あなたに刻まれる時間は「有限」かもしれない。

だが、あなたの時間の過ごし方は「無限」だ。

今日も楽しもう。浪漫的な時を──。