「意思決定の早い人」が使う “ 技 ” はコレだ

「意思決定の早い人」が使う “ 技 ” はコレだ

どういうわけか、多ければ多いほど「良い」と思ってしまうらしい。

まぁ、聞いてください。

レストランの、メニューの数が20個の場合と、100個の場合では、たぶん100個の方が多すぎて選ぶのに時間がかかると思うんです。

100個もメニューがあるレストランに行くことないからピンとこない?

じゃぁ、レストランのメニューが20個くらいあって(やっぱりレストランの例えだけど)、ウェイトレスさんに「おすすめは何ですか?」って聞いた時、「全部です。」といわれると困りません?

「全部おすすめです。」っていうウェイトレスさんに接客されたことがないからピンとこない?

まぁ、そのまま続けて聞いてください。

何かを選ぶときって、選択肢が多すぎるよりも、少ない方が迷う時間も少なくなり、それだけ早く選ぶことができると思う。

もちろん、選ぶ楽しさってものあるかもしれないけど、緊急的に何かしらの問題が発覚した時とかは、出来る限り早く答えを出したいはず。

風邪とかひいて、病院で、お医者さんが、これを治すには、特効薬で早めに治すか、注射で一時的に症状を治めるか、安全に自然治癒にまかせるか、漢方の力でじっくり様子を見て治療するか、どうぞお好きな治療法をお選びください。

とか言われるとどう思います?

「それがわからないから、病院に来てんだよっ」ってなるじゃない。「とりあえず注射をうちましょう」って言われる方がよくないですか?

情報を網羅的に集めまくってどうするの?

どういうわけか、選択肢が多ければ多いほど「良い」と思ってしまうらしい。

どういうわけか、『情報』は多いほど、良いと思ってしまうらしい。

知識、知識、とにかくインプット。ありとあらゆる情報を網羅せよ。選択肢が多ければ多いほど、解決策の選択肢が多くなる。のか?

多くのビジネスパーソンは、日々是、トラブルとかハプニングが起きたりします。トラブルが起きない日なんて、ないんじゃないかってくらいに。

今まで経験のないトラブルが起きてしまった。さぁ、どうする?

まずは、冷静になることが大切だろうけど、素早い解決策を考え、すぐに対処できる、早い「意思決定」が要求されるでしょう?

世のなかには、「意思決定」の早い人がいて、すぐに問題解決の方法を考え、すぐに実行に移せる「スーパー」な人がいる。

いわゆる「答えをだすのが早い人」。なんかいかにも知識量が豊富で、すぐに「これ!」って答えが脳の引出しからでてくる「スーパー」なパーソン。

だけど、そんな人は稀で、僕みたいなフツー人は、すぐに「意思決定」ができなくて、何をどうしていいかわからず、解決方法が見つからずに、すぐに行動に移せなかったりする。

いわゆる、「答えをだすのがおそい人」。「これ!」って答えが脳の引出しからでてこないもんだから、どーしょどーしよって、「ない頭」でいろいろ迷っちゃうんですよね。

これ、よくある「シーン」だったりしません?

「意思決定のおそい人」が頼りにしちゃう技

そんな「答えをだすのがおっそい人」にも、イマドキは、優れた秘密兵器がありまして、ポッケの「携帯電話」をササッとだして、携帯電話のはずなのに、電話するつもりもないけど、調べものができてしまう「スマホ」という救世主があったりする。

そんでもってだ、その「スマホ」という秘密アイテムで「ググる(イマドキ言わないかもしれないけど)」とか「タグル」とかいう技をパパっと使うと、すぐに分からない事とかを調べる事ができちゃうわけ。

時間にすると、1分程度か、長くても3分くらいで、ズラーっといろんな「解答」らしき情報がカンタンに手に入ってしまう。

これ(スマホ)さえあれば、「答えをだすのがおそい人」も、「答えを出すのが早い人」もどきになれる。「スーパー」な人になれちゃうぞっ、てね。

ところがどっこい、そうでもない。「ググる」とか「タグる」必殺技をつかったはずなのに、どうしてだ?

スマホ検索して、ズラーっといろんな「解答」らしき情報がでてくるのですが、あまりにもその情報が多すぎて、どれが正解なのか、どれを信じればいいのか、結局「ベスト」が見つからないんですよ。

アレコレ調べても、選択肢が多すぎてどれを選べばいいのかがわからない。結局は、あーでもないこーでもないと、なかなか意思決定ができないのである。

スマホ検索の情報量が多いのは悪くないんだけど、やっかいなのは、「ググった内容の一部分がわからなくて、またその部分をググってしまう。」

検索した内容を検索する、その内容をまた検索する。しまいには「何をしらべてたんだっけ?」ってなる。

あるでしょう?こんな検索スパイラルにハマってしまうことって、あるでしょう?

おかしいなぁ。スマホをササッと出して、パパッと検索すれば、「答えを早く出せる」スーパーパーソンもどきを演じるつもりだったのに、どうもウマくいかないのはどうしてだ。

どこに違いがあるのだろう?

答えをすぐに出せる人はどうしてすぐに「意思決定」ができるのだろうか。

「意思決定の早い人」が使いこなす技

実は、その違いは明確で、意思決定がすごく早い人は、スマホという秘密兵器はほぼ使わずに、ググる(検索)って問題解決の方法を網羅的に探そうとはしない。

正確に言うと、ググるのは「あとから」で、ググるまえに、“ ある技 ”を使っている。

その技を、どうやら「仮説(かせつ)」というらしい。

仮説(かせつ)とは、今ある限られた情報だけで問題の本質や解決策をイメージし、現時点で最も妥当だと思える結論を導き出す仮の答えを表したものです。

あくまで「仮」の答え、つまり、ベストな正解ではなく、ベターな最適解。

「たぶん、こうすればいいだろ」というように、決して正解ではないが、最も正解に近そうな「正解もどき」を先にだしてしまうのです。

そして、その仮説(正解もどき)が本当に、正しいのか正しくないのかを「やってみることで」確かめる。

この、やりながら確かめる事を「検証(けんしょう)」というらしい。

トラブルが起きました。真っ先に「たぶんこうじゃね?」って結論をだして、その「たぶんこうじゃね?」を確かめるために、検証をすぐに開始する。

ほら、まるで「すぐに答えをだせる、意思決定のはやい、スーパーな人」になってるじゃない。

だけど、いろいろ疑問も浮上してくるわけ。

まず、「そんな、あてずっぽうな正解もどきの結論」をすぐにだして、行動にうつしてしまっていいのか?

その正解もどきが、本当にだだしい対処ならいいのだけれど、実はまちがっていた、なんてリスクはないのだろうか。

そう思いますよね。

結論をだして「ベターな正解もどき」を定める利点

ですが、よーく考えてもらいたいのですが、問題解決って、どれだけ正しい正解を導き出すかを第一にすると、とにかくそのベストな正解を、ありとあらゆる情報から探し出さなくてはいけません。

経験のあるトラブルで、すでに解決方法がわかっていることならいいのですが、今まで経験したことのないトラブルが起きた場合、網羅的に調べたり、あらゆる事象を分析しつくしたりしてから「GOサイン」をだすとなると、どうなるか?

すぐに対処しなくてはいけないトラブルになかなか手を付けられずに、あんまりモタモタしていると、「タイムオーバー」になる問題もあるわけです。

今日、たまたまですが、この執筆中、「台風」が接近中なのですが、さもいう「緊急の対処」を要するのである。

風邪はゴーゴーだし、今夜が「ヤマ」だと、お天気ねーさんは叫んでいるしで、今さらどうすればいいかをググってる場合じゃない。

自宅待機とか、不要な外出は避けるとか普遍的な対処を調べる事は大切なのですが、個人ごとの対処ってあるじゃない。

例えば、僕の部屋の窓には、夏の日差しを遮る 「簾(すだれ)」 を掛けているのですが、そのお気に入りの「簾(すだれ)」を台風の日にそのままにしていると、「バッタンバッタン」って(非難させろーって、すだれが)言ってくるんですよ。

それに、「ハズレてどっかに飛んだりするとヤバい」という仮の答えをすぐに想定して、あれこれ考える前にすぐに対処しなくちゃいけない。

だから、昨日のうちに、簾(すだれ)は取り外して、クルッと丸めて、部屋の中に非難させてるのです。

たまたま「台風接近中」なので、例えてしまったのですが、要は、「トラブル」はアレコレ迷い、悩んで何もしないよりかは、すぐに対処することが大切なのです。

仕事中や、日常生活の普段から遭遇する、経験のないトラブルとかパプニングが起きたら、正しい正解を見つけるために、網羅的に情報収集するのではなく、限られた情報をもとに、仮説を出して、最適な「意思決定」をすべきなのです。

「情報」という爆裂な台風にまきこまれてしまっては、解決どころかさらに悪化してしまう事の方がリスクが大きかったりする。

意思決定のおそい人は、知識量がすくないんじゃなくて、「アレやコレやとひたすらに漏れなく調べつくさないといけない!」という勘違いをしてしまってるのです。

いわゆる「情報コレクター」とかいうやつです。便利なスマホ検索も、「情報過多」に陥ってしまうようなを使い方になってしまうと、肝心の「ベターな最適解」を見つける事ができないのです。

ですが、これだけ情報量が溢れかえっている時代の渦中にいると、スマホ検索をはじめ、フェイスブックの誰かのジョイフルなタイムラインとか、ツイッターのぜんぜん「つぶやいてない」やんってな投稿とか、インスタ画像の「映え映え攻撃」とか、ラインの「スタンプかわいいでしょ」ってな@を浴びてしまうのは、やむを得ないのかもしれない。(SNSをディスってるわけじゃないのですが)なんだか溢れすぎかな情報?って感じたりする今日この頃。けどこれも時代感でしゃーないといえばしゃーない。

いや、そうとも限らないぞ。だってそもそも情報が溢れているとはいえど、その情報を取りにいっているのは「自分」なのだ。わざわざ情報台風の渦に巻き込まれにいってるのは「こっち側」の勝手な都合なのである。

じゃぁ、今すぐスマホを手放して、一切の情報を「断」しましょう。ということではありません。

「ベターな最適解になりそうな重要な情報 “ のみ” に絞って検索しましょう」ということです。

どうすれば、ベターな最適解になりそうな重要な情報のみに絞って検索できるのでしょうか?

「1を聞いて10を知る」のか「10を聞いて1を知る」のか

自分なりの「仮説思考」を使ってみよう。

仮説思考ってきくと、いかにも「秀」って人がこなすイメージがあり、いかにも「論」ってイメージでとっつきにくかったりする。

実際僕も、「ザ・仮説思考」ってな本を読み漁ったことあるけど(そんなタイトルの本はありません)、やっぱり実用化するには相当の訓練が必要で、普段からそれに携わる職にいる人向けだなって思ったわけ。

だから、もっと手軽に簡単に考えて、自分なりの「なんちゃって」でもいいんじゃないかと思う。

だって、仮説って正解でなくてもいいわけで、要は、仮の答えを自分なりにだし、それを検証することに意味がある。だから、程度の低い仮説でもええやんん。って、まともな仮説思考を巧みにこなす「秀」な方にお叱りを受けそうですが、まぁ、ええか。

先に「仮の答え」を出します。ベストな成果でなくとも、少ない情報を頼りに、とにかく仮説をもって答えを出してしまう。

そして、「その仮の答え」を実行するための手段を調べるのです。

「A」という答えを、仮の答えだとしたら「Aの解決方法」という具合に調べるといいでしょう。

すると、「A」という仮の答えだけの情報のみに絞ることができる。

この理屈、わかりますか?

「A」という答えを始めに定めてしまう利点は、「Aの解決方法」という絞り込んだ情報収集が可能になるのです。その「Aの解決方法」は、「ベターな最適解になりそうな重要な情報」ではないですか?

初めに「A」という狙いを定めないで、網羅的にググって調べ倒してしまうと、その検索結果には「A」「B」「C」・・・限りなく溢れんばかりの解決方法を目の当りにしてしまうのです。

するとどうなるか。「Aの解決方法」「Bの解決方法」「Cの解決方法」・・・これら全てを一つ一つを根気よく検証しなくてはいけない。

地道に根気よくやってやろうって意気込むのはいいのですが、それだけ時間がかかりますよね。一つ一つをいちいち検証してると「タイムオーバー」になりますよね。

たった1人の、たった1つの仮説は、たった一つの、ベターな最適解にすぎないかもしれない。しかし、10人が集まってディペート会議をすると、10人の仮説は、10個の最適解となるわけ。

たった1人の人間が、10個の情報をググったとする。同じく10人がディペート会議をすると、100個の情報から、ベターの最適解を見つけなくてはいけない。ごくろうさまです。

さぁ、あなたは、「1を聞いて10を知る」仮説思考を持った10人で会議をするか、それとも網羅的に調べまくった10人の集まりで会議をして「10を聞いて1を知る」のか?

どうです?「10人のなんちゃって仮説のディペート会議」ってのは。弱い野球チームが、まぐれで全国制覇しちゃった「緑山高校」みたいで楽しそうじゃん。

結論、いいます。

「意思決定の早い人」とは、“ 仮説思考 ”という必殺技を使う事で、目的(仮の答え)をしっかりと定め、必要とする情報のみを収集する。そのため、効率よく短時間で問題解決ができる人をいう。

「意思決定の遅い人」とは、一から「ググる」という必殺技を使う事で、目的を定めもせずに、ありとあらゆる情報を網羅し、選ぶことに時間をかけてしまったり、全てを検証しようとします。

そのため、問題解決に時間がかかるか、情報の渦に晒されるだけの「情報コレクター」となってしまい、何も解決できないでいる人をいう。

「考えないでとにかく動け」とか、「動きながら考えろ」とか「とにかく行動しろ」とかいうじゃない。

これって、ただ単に動けばいいってことじゃなくて、「仮説をもって、すぐに検証しろ」っていうことだったりするのだろう。

行動しろ、行動しろは、ベストな行動でなくて、ベターな最適解を検証しろ、ってことなんだろう。

情報化社会の渦中にさらされることなく、自分にとっての重要な情報だけをインプットするには、自分にとってのゴール、仮説という「目的」を定めること。

すれば、何をググればいいのかが絞られてくるだろうし、SNSの必要としないタイムライン情報をスルーっとかわすことだってできるはず。

どうでしょうか。「仮説思考」、少しは必要かなっておもってもらえたでしょうか?

結局は「仮説思考」をなんなく使えるようになるには訓練ありきなのでしょうが、僕が思うに、これからの時代、プログラミングを必須科目になると同時に、「仮説思考」も義務教育の一環として取り入れられるのではないかと思ったりもしている。

もっともっともっと、情報量は今以上に増え続けるわけで、その「情報爆発」にどう対処するべきか?

こんにちの台風のように、「情報の渦」にまきこまれないようにするにはどう対処すべきか。

あなたならどうします?