「コップの中の水理論」から見出す盲点

「コップの中の半分の水」というエピソード話を一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。
コップの中には半分の水が入っています
「まだ、半分も残っている」と思うか、それとも
「もう、半分しか残っていない」と思うか。
というお話です。
この「コップの中の半分の水」理論から説かれるものは、ポシティブに捉えるか、ネガティブに捉えるかの違いだというもの。
「まだ、半分も残っている!ありがたい!」と思える人は、プラス思考で楽観的、事象をいいようにとらえる事ができるポシティブな人。
一方、「もう、半分しか残ってない・・残念・・」と思ってしまう人は、マイナス思考で悲観的、事象を悪いように捉えてしまうネガティブな人。

つまり、物事の事象をネガティブに捉えないで、ポシティブに捉えましょう。という教えを説いたものです。
実は、この「コップの中の半分の水」理論には、様々な意見があります。
ある人はこう言う。「コップの中の水をまだ半分もある。そう思いなさい。」というのは、強制的な刷り込みにすぎず、本人にとってそれは無理強いされられたとになり、本心からポシティブになったわけではない。
またある人はこう言います。「コップの中に水が半分もある、半分しかないという、どちらかの捉え方をしてしまうのは不自然だ。」「コップの中の水は半分。」その事象を素直に受け止める事が必要で、考え方はそこから始めるものだ。
そして、こんな考え方の方もいます。「まだ、半分も残っている」と思っているため、そのまま飲んでしまわないで安心感を得ようとします。「もう、半分しか残っていない」と思っている人は、その半分の水を大事にしておき安心感を得ようとする。
いかがでしょう。人によって捉え方は実に千差万別。環境、その時の感情など、シチュエーションよって考え方が異なるのは、それだけ人は良くも悪くも捉える事ができるという事です。
ただ、上記のような様々な捉え方をしてはいますが、ある共通点があります。
そして、私たちの考え方や捉え方に「偏り」や「盲点」を生じてしまうのは、まさに「ココ」にあるのです。
つまり、「半分の水」をまだ半分、もう半分という捉え方だけではなく、別の観点をもちましょう。と言うのが今回の紐解きだ。
とりあえず「コップの中の水理論」を説いてみます?
ではまず、「コップの中の水」理論に準えた私なりの考え方と捉え方を述べたいと思います。
「与えられた条件下はそのままで、どうにかして用途を見出すことができる。」
まず、コップの中の水の量が半分とはいっても、そのコップの大きさにより水の量は違ってきます。「おちょこ」に入った水の量と、「ジョッキグラス」に入った水の量ではかなりの差があります。
単なる詭弁でしょうか?そう、タダの詭弁にすぎないのです。中に入っている水の量が半分だろうが、一杯だろうがその事実を変える事はできません。
コップの中の水の量が、どれだけ入っているかは問題にせず、その水の量で最大限の役割を見極め、積極的に用途を見出すことにコミットさせようという考えです。
そして、プラスに考えるとか、マイナスに考えるとかは関係なく、事象をそのままインプットして、その事象にレバレッジをかけてアウトプットさせることに挑戦する。
要は、限られた条件下のみで思考しましょう。ということです。
冷蔵庫にある食材だけでどうにか美味しい料理を作る事や、残りの小遣いだけで給料日まで何とかやりくりをする。
など、与えられた条件をどう捉え、どう扱うかを考えることこそ、本当に意味での「ポシティブ思考」ではないだろうか。
いかがでしょう。タダの詭弁にすぎないと思われますか?
そう、単なる詭弁。いかにも優れているかのような考え方を「かっこつけた言葉」にしてみただけ。一見正しい捉え方で優れた考え方のように思えるが、よくよく考えてみると、そんなに簡単にはいかないのが現実。
だったら、「まだ、半分も残っている」と良いように捉える方がシンプルだ。
結局は、私の考え方も、千差万別の思考の一角にすぎないということです。すこしばかり「ごまかしのきく詭弁」でしかないということです。
だが、私たちの考え方や捉え方にはある共通していることがあります。それは「水の量」にフォーカスすることが前提で、考え方や思考に制限を設けしまっていることです。
「発想」を生み出す捉えかた
ある著名人は、コップの中の水理論を次のように説きました。
コップに「半分入っている」と「半分空である」とは、量的には同じである。
だが、意味はまったく違う。とるべき行動も違う。世の中の認識が「半分入っている」から「半分空である」に変わるとき、イノベーション(発想)の機会が生まれる。
フォーカスしたのは、コップの中の水は「もう半分」または、「まだ半分」という「水の量」が問題ではなく、まだ、半分の水が入る「空間」がある。
つまり、目に見えた「水」にだけ注目するのではなく、気づきにくいコップの中の半分の「空間」に目を向けよう。という捉え方です。
この解釈をあなたはどう受け止めますか?
「まだ何も入っていない空間には、さまざまなアイデアや空想を入ることができる」そう思ったのではないでしょうか。おそらくですが、この方もそう捉えられたのではないかと思われます。
今度はちゃんと、私なりの捉え方を述べたいと思います。
水の量はすぐにわかる「光」の部分で、水が入っていない空間は、誰もが気づきにくい「影」の部分であり、その陰の部分にフォーカスすることにより、イノベーションは生まれる。
ここでいうイノベーションとは、いいアイデアとか発想という括りではなく、「刷り込まれた常識を覆す逆説的な発想」という意味です。
「ネガティブ」な考え方が癖になっている人こそ、より「ポシティブ」に考えやすいという逆説的な考え方をいいます。
「コップの中に半分も水はある」それは、いわゆる油断を招くこともある。なので、残された空間に新たなアイデアを埋めようとする努力を怠る可能性もあるかもしれない。
だが、「コップの中にもう半分しかない」と捉えてしまう今の現状は、まだコップの中に入った半分の水の量でしかない、残りの空間には、まだ半分の未来と可能性の余地があるという気づくチャンスがある。
つまり、前者は過去の栄光に捉われがちになってしまうが、後者は未来に栄光を掴む可能性がまだまだ十分にあるやる気の根源となるのだ。
コップの中の水にばかりフォーカスしていては、新たな発想は生れにくい。この優れた視点を説いた方は、「マネジメントの父」とも呼ばれる、経営学の第一人者であり、社会思想家の「ピーター・ドラッカー」氏だ。
世界中に支持者を持つ一方で、難解と言われることも多いドラッカー論ですが、残された著書を紐解くことによって、長年にわたり世界的企業の第一線で指導を続けた氏の真髄に触れることができるはず。
これを機に氏の著書に親しんでいただき、彼の英知をご自身の仕事に取り入れてみるのもいいかもしれません。
そして、人は、偏った物の見方になりがちで、「良いように考えましょう、ポシティブに捉えましょう」という無理強いを刷り込みがちになっているようだ。
「どう捉えるか」に制限を設けてしまうこと自体が、すでにネガティブ思考になっている。それは、大人になるほどに制限は増え、見えるものも見えなくなってしまっているのではないだろうか。
では、どうすればこの制限を解除することができるのだろうか。
それは、コップの空間の部分にこれから入れるべき発想を促す思考と行動。それは、未来の夢実現の可能性をこの空間に埋めることを決めることだ。
そのためには、「目的」がなければ決められない。なにが自分のプラスになり、マイナスになるのかは、目的とする「ゴール」があって初めて、コップに空間がまだ半分ある事に気づき、そしてその空間に埋めるべき行動が決まるのだ。
つまり、コップの中に水が入っていない空の部分、それはあなたの影になっている部分にこそ、未来のゴールに到達する多くのイノベーションがあるということです。
時に、ネガティブな考え方になってもいい、今の実力、手持ちの知識がどのくらいあるかなんてのは、結局意識しなくていいのだ。
ただ、目的に向かうことを考え、そして、今日やるべきことに全力を注げばいいのだ。
これも詭弁かもしれない。詭弁ですか?
そう、詭弁です。
「コップの中の空間理論」という空論にすぎない、可能性を秘めた「ポシティブ」な影の詭弁です。
最後まで読んで頂き、ありがとうございます。
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