「我慢」は自己防衛だが「忍耐」は自己成長です

「我慢」は自己防衛だが「忍耐」は自己成長です

世の中には簡単、たった10分で、これ1本でというような、キャッチコピーが飛び交っています。

何せ人は少しでも楽がしたいので、こういったキャッチコピーに心が揺さぶられるので、モノが売れたりもします。

実際僕も売り手としてセールスコピーに活用しますが、逆に買い手としてまんまと踊らされることもある。

現代はインターネットが普及したことで、ある程度の情報はネット検索で知ることができる時代です。僕もネットを使って、調べものをすることは多々あるが、少し調べものをしようと、ネットにアクセスすれば、簡単を謳った広告が表示されないことの方が少ない。

このような「お手軽」「簡単」を用いたキャッチコピーはよく見かけるのですが、「我慢」や「苦労」「忍耐」といったキャッチを見ることはまずありません。

「手軽にできるダイエット方法」はあっても、「我慢すればできるダイエット方法」はない。あるはずがない、我慢を強いられることにだれも飛びつくはずがないから。

ところがどうでしょうか。実際ダイエットをちゃんとするとなると、ある程度の我慢は必要だし、苦労もあり、忍耐が必要なこともあるはずです。

ダイエットだけではなく、どんなことでも耐え忍ばざるを得ないことの方がおおかったりしませんか?

「我慢はダメ」を推奨しすぎる現代社会

先ほども言いましたが、情報量が増えたネット全盛の今の時代、アクセスする度に「超簡単」「お手軽」「たったこれだけで」の広告、宣伝がアファーメーションのように僕たちの脳内に刷り込まれている気がします。

そのせいか、世の中は「我慢するはダメ」「やりたくないことはするべきじゃない」という考え方をする人が増えたように思えます。

これらの「お手軽」や「簡単」は需要があるからこそ、キャッチコピーとして多用されています。

だが、言い換えるなら、現代人は我慢や忍耐という考え方が薄れて、楽な方に流れているとも言える。

実際、この時代の流れを利用して「我慢はよくない、我慢は不幸になる」と主張して、ビジネスをしている人たちも多くいて、英語を例にとっても「簡単!1日10分で英語をマスターする」といった英語教材は数多くあります。英語に限らず、このようなキャッチコピーは世の中に溢れていますよね。

しかし、「簡単」に踊らされて飛びつくき、実際フタを開けてみると、簡単どころか、我慢や苦労を避けることができないのが現実だったりする。考えてみればそりゃそうです。そんなに簡単に英語がマスターできるはずがありませんんから。

英語教材だけでなく、生き方そのものも「我慢はやめて素直に生きる幸せの方法」「頑張らない幸せ」「我慢をやめれば出会える新しい世界」といったように、我慢や忍耐をやめることが推奨され、耐え忍ぶことはよくないものだと考える人たちが多くなったのではないでしょうか。

最近の新入社員はすぐに辞めてしまうとも言われています。忍耐力がなく、プライベート重視で、入社と同時に退職時期を想定して働き始める若者さえもいるとききます。

我慢や忍耐を放棄して、何も考えずに仕事を辞めた人は、どうやって生活をするのだろう?給料がなくなって、貧しい生活を余儀なくされたときは、その生活に対して我慢をしないのだろうか?

いずれにしても、耐え忍ばざるを得ないことは確かなのに、「我慢する必要はない」「忍耐力は不要」が推奨される世の中になっているのだろうか?

我慢や忍耐がよくないと考えてしまうと、自分を責めることしなくなる。それが習慣化してしまうと、いつしか我慢も忍耐もできない人間になってしまう。

なにせ、人は誰でもいとも簡単に甘い誘惑に負けやすいがために、我慢や忍耐を忘れた人は、その結果が自分の望むものでなければ、自分には非がないと主張して、他人に責任を押し付けてしまい、自己正当化してしまいます。

だけど、冷静になって、考えれば分かるが、僕たちは幼い頃から、いろいろなことに挑戦して、努力してきたから、現在の姿があるはずです。

何かに失敗しても、それを改めることで、成長を遂げてきたはずです。

学校に行くのが面倒でも、ちゃんと通い続けてきた、先生や先輩にどやされながらも、どうにか耐え忍んできた経験が免疫となっているからこそ、社会にでてもそれなりの忍耐が通用している。

つまり、僕たちは、幼い頃に「我慢や忍耐」をしたからこそ、何気ない日常を過ごせている。我慢のし過ぎはよくないかもしれないが、それなりに耐え忍ぶ精神力があって初めて、普通に生活ができている。

このような背景があるのにも関わらず、このまま我慢と正反対のものが溢れる時代が、加速し、我慢という考え方が薄れてしまうといったいどうなるのか、懸念ばかりが募ってしまします。

「我慢」と「忍耐」

しかし、僕もそうですが、やはり昔の人は「我慢」をしすぎていたとこもあったかもしれません。

脳科学的にも、我慢のしすぎはよくないとされてます。まず何よりも、ストレスが溜まる。ストレスが溜まると、ホルモンの分泌などを通して体の調子を整える脳の回路が不調になり、健康に悪影響が及ぶらしい。

それに、我慢にも限界があり、その限界を超えてしまうと、心も体もやられてしまうのは避けなくてはいけない。

そういういきさつがあるがために、「我慢はよくない」という考え方が浸透しているのかもしれません。

僕も、我慢することは避けられないと思いますが、やはり我慢のし過ぎはよくないと思ってます。

なぜなら、我慢というのは、他者や外部の攻撃から身を守り耐え忍ぶことであり、必死こいて我慢しても、自分にとってプラスになりにくいからです。

つまり、「我慢」は自分がマイナスになってしまいそうになるのを防ぐための防衛手段ともいえます。

ですが、「忍耐」はちがいます。

忍耐とは、自分の目的に対し、自分に課したことを耐え忍ぶことであり、そこを必死こいて耐えれば、自分にとってプラスになります。

つまり、忍耐は自分が成長するための挑戦に対し乗り越えるべき辛抱であって、自己成功の効果が見込める手段ともいえる。

「我慢」と「忍耐」は、耐え忍ぶという同じ意味ではあるが、捉え方によっては似て非なる言葉です。

この2つの言葉を辞書で調べると、我慢は「感情や欲望のままに行動するのを抑え耐え忍ぶこと」と記されており、忍耐は「苦しみ・辛さ・怒りなどを、耐え忍ぶこと」と記されてます。

この違いはわかりますか?

「我慢」は他人を含めた外部の理不尽なことや不都合なことでも受け入れて許すことを意味しています。自分の考え方を押し殺し、他人の言われるがままに受け入れることなので、なんだか窮屈さを感じるし、ストレスがたまりそうです。

反対に、「忍耐」は、自分の目的に対して、苦難や困難があっても、耐え忍ぶことを意味している。我慢をすることで、人生は窮屈になる。反対に、我慢をしなければ、無駄なストレスから、解放される。忍耐をすれば、人生の目的に近付ける。反対に忍耐をしなければ、成し遂げたいことがあっても、それは開花することなく、蕾のまま終わってしまうことになりかねない。

このように「我慢」と「忍耐」という同じ耐え忍ぶ意味を持つ言葉を違う意味として定義することで、我慢しすぎないで無駄なストレスから解放される。そして、忍耐力をつけることで自分の人生を開花させることができる。

もう少しわかりやすくいってみると、我慢はマイナスをゼロにする行為で、自己成長にはなりにくいが、忍耐はゼロをプラスにする行為なので、自己成長の見込みがある。

我慢は、他者を含めた外部のいいなりになることだが、忍耐は、自分が課したことに耐えることである。

我慢は他人事だが、忍耐は自分事です。

要は、我慢は人生を窮屈にする。忍耐は人生を充実させる。というとらえ方ができるということです。

我慢と忍耐という言葉をネガティブに捉えている人もいるが、この2つの言葉とうまく付き合うことで、自分らしい人生を歩める。人生を謳歌させることもできるのではないだろうか。