「概念化する」とは何か?─ コトの抽象化と定義 ─

「概念化する」とは何か?─ コトの抽象化と定義 ─

物事を抽象化するとは、「いくつかの事物に共通なものを抜き出し、それを一般化して考える」と解釈します。

一方で、似て非なるものに、「概念化する」という言葉がある。

あるコトに対し、抽象度を上げて考えよう。といっていることが、実は、「概念化して」考えよう。と捉えることもあります。

抽象と概念、その違いは、それとも似て非なるモノなのか?切り離すことができない関係性をもつのか?

概念化するとはどういうことなのか?

3つのリンゴがあったとします。

名称は左から、みんなが大好きな、ふじりんご・紅玉・ジョナゴールドです。

3つとも共通していることは、「リンゴ」だということです。確かに果物の「リンゴ」です。

では、これら3つのリンゴを以下のように形を変化させます。

ふじりんごはかぶりつき、紅玉はジャムにするためにすりおろし、ジョナゴールドはカットしました。

姿かたちがそれぞれハッキリと区別された異なるリンゴになりました。

しかし、あることの共通性を探っていけば、かじったリンゴも、すりおろしたリンゴも、カットしたリンゴも、結局は同じリンゴだということです。

このように見ていくと、モノやコトは、具体的で個別的なレベルから、共通性によってくくられていることがわかります。

かじった「そのリンゴ」は、具体的、個別的なものですが、一般レベル置き換えた時、「リンゴ」という一つの言葉でくくることができる。

つまり、「リンゴという概念レベルに捉えた」という解釈です。

そして、重要な事は、対象を概念化するには、かならず、抽象化することを前提とします


概念化する事の利点

モノばかりでなく、コトもまた個別・具体的なレベルから、一般的、抽象的なレベルにまたがって認識しています。

転校したヤン君という具体的な表現を概念化すると、転校生であろうが、勉強ができようが、スポーツが得意であろうが、一人の小学生であることにくくられる。

このように、私たちがものごとについて語るとき、具体的、個別的なレベルから、抽象度の高い一般的なレベルまで、さまざまなレベルを設定してものごとをとらえている。

「概念化」というのは、具体的な表現を抽象化し、モノやコトを俯瞰的な言葉にして捉えようすることです。

すなわち、一般性の高いレベルに立って、ものごとを認識していく方法のことをいいます。

概念化という方法のメリットは、共通性を高め、個別の細かな事情を切り捨てていくことにある。

個々の出来事の細部にこだわっていたのでは見えてこない現象の共通性を探るために、ものごとを概念化してとらえることが有効な手段となるのです。

もうひとつ。概念化が思考の働きにとって重要なのは、ある概念が与えられることによって、それまでは見過ごされていたことがらに照明が当てられるようになるところにある。

明かりの少ない場所、または暗闇では把握しにくかったモノやコトに強力なサーチライトで全体を照らすことで、よりはっきりと全体をとらえ、さらに、照明が当たる事で、「影(陰)」の部分までもがハッキリと見えてきます。

「影(陰)」の部分が見えるとは、例えば、先ほどの様々な形リンゴのイラストを見てみてみよう。

お店に売られた「新しいリンゴ」が欲しいという人にとっては、加工していない上側のリンゴを選択するでしょうが、仮にジャムを作りたい目的でリンゴが欲しい人にとっては、「すりおろしリンゴ」を選択するはずです。

さらに、リンゴの画を描きたい人にとっては、「かじったリンゴ」を選択するかもしれない。今すぐリンゴを食べたい人は、カットされたリンゴを選ぶ可能性は高い。

つまり、一見「影(陰)」の姿であったとしても、全体を俯瞰し、概念レベルで捉えた時、どれも一つのリンゴであることに変わりはない。

そこで、照明を当てられた概念レベルのそれぞれのリンゴは、具体的に個性があり、ある人にとっては「影(陰)」の姿であったとしても、別のある人にとっては、サーチライトで照らされることで求めていた姿のリンゴを発見できる。ということです。

概念化する2つの効果

さて、この新しい概念に照らし出されることで、それ以前であれば当然と見なされていた「常識」にも疑問が持たれるようになりました。

概念の導入は、それまで見過ごされていたことに光を当てて、新しい現象の発見に寄与します。

そうした概念のはたらきは、次の二つに区別できる。

ひとつは、今までは一緒にくくられていたことがらを、新しい概念によって区別し、その違いを示すことで新しい現象に光を当てるという効果

もうひとつは、区別することとは反対に、それまでバラバラだった事柄に、新しい共通性を見つけてくくり直すということです。

このように概念はサーチライトとして、具体的なさまざまな事柄を照らし出し、分けたり、くくったりする。

ということは、概念が照らし出した先には、個別のそれぞれの事柄があるということ。個々の具体的な事柄をここでは「小さな箱」と呼ぶことにしよう。

たとえば、「家族」という概念があります。

この概念で照らし出されるのは、ひとつひとつの具体的な家族の「小さな箱」です。

おそらく、あなたが一番よく知っているのは「自分の家族」という個別、具体的な「小さな箱」だろう。

妻や夫、子供がいる、あるいはおばあちゃんやおじいちゃんと過ごす家族の「小さな箱」かもしれません。「家族」という概念によって照らし出された個別の「小さな箱」です。

それでは、「家族」という概念でくくられる、より一般的な事柄について、どれくらいのことを知っているでしょうか。

いや、そもそも「家族」とはいったい何なのか。実際には、家族をどのように「定義」するかによって、家族という概念でとらえることのできる範囲は違ってくる。

親元を離れて下宿でひとり暮らしを始めた学生のは、彼ひとりの「単身世帯」を指すのか、それとも故郷の親たちと子どもである彼を含めて「家族」というのか?

すでに就職して経済的に親から独立してもなお、ひとり暮らしをしている場合はどうか?単身赴任中の父親は、実家に残した妻や子どもたちと同じ家族に属しているといえるのか?

このような境界上の例を「家族」に含めるかどうかは、家族という概念をどのように定義するかにかかっているのです。

おそらくだが、下宿で一人暮らしの学生も、単身赴任中の父親も、「家族である」という、概念でとらえるはずです。

概念の「定義」をハッキリさせることが大切

このように「概念とは?」ということに目を向けると、概念と「小さな箱」とを結びつけるのは「概念の定義」によることがわかります。

目の前にある具体的な「小さな箱」が、ある概念でとらえられる事柄に含まれるかどうかは、定義によるからです。

しかし、私たちは通常、概念のレベルで考えているときでも、その概念がどのように定義されているのかに、あまり目を向けないことが多い。なんとなくわかったつもりで、概念を使ってしまうのです。

とくに、「個性」とか「創造性」とか「合理性」といった難解な概念は、何となくわかったつもりになるものの、明確な定義づけなしに使われることが多い概念だ。

いい換えれば、「小さな箱」との対応をつけるときに、どの「小さな箱」に当てはまるかの判断があいまいになりがちだということ。

「あなたには創造性があるのかないのか」と聞かれても、そこでいう「創造性」が何を指しているのか。天才的な発明をできる才能か、それともちょっとしたことに気づいて「改善」ができるだけの能力か?

相手がどのような定義で概念を使っているのかによって、答えも違ってくるでしょう。「創造性を育てる」などという場合には、それがどんな内容であるのかによって、実際に行われることも違ってくるはず。

概念のレベルでものを考えようとする場合、それがどのような内容を示すのかを明らかにしておかないと、それこそただの抽象論に終わってしまうことが少なくありません。

通常の生活の中では、どんな意味で、どんな概念を使っているのかなどには、あまり関心を向けないもの。

普通は、個々の「小さな箱」に囲まれて生活しているからです。自分の身の回りの「小さな箱」について考えることだけに意識が向いてしまっているからだろう。

具体論にフォーカスしすぎる懸念

具体的な「小さな箱」だけに目を向けてしまうと、どういう偏見がうまれるだろうか?

かじったリンゴはリンゴとはいえない。単身赴任中の父親は家族じゃない、などとおかしな偏見をいう事になってしまう。

さすがに、このように思う人はいないかもしれないが、例えば、有名大学を卒業した学生は優秀だ、専門家でない限りは専門的な事にかかわってはいけない、○○という資格を持っているからその分野に長けたプロフェッショナルだ。という世間的な常識のくくり、まはた個人的な「小さな箱」に捉われてしまう。

本当は、それぞれを「人間」という概念を定義化すれば、一人の人間にすぎないはずです。

それを、具体的な「小さな箱」で一人の人間を確定してしまうと、一つの側面(光の部分)ばかりに目がいき、サーチライトで照らさない限り出現しない影の部分(秘めた可能性)を見つけることができなくなってしまう。

そんな、単眼思考ではなく、複眼的な思考を身につけるためには、概念のレベルで問題を考えていくことが重要となります。

なぜなら、個別の「小さな箱」の中だけで考えているかぎり、その「小さな箱」を越え、出る問題の広がりには目が向かないからです。

当面の問題だけを追っていると、その問題が自分にとって身近でなじみがある分だけ、問題を当たり前としてみなしてしまう事が多くなるからだ。

展開型と概念化の2つの思考を使い分ける

具体的な「小さな箱」を取り上げ、その疑問に対し、「なぜ?」を問いかけ、深堀りし展開していく思考法もあります。

「なぜ?」の問い立ての方向と展開

だが、具体的な個々の「小さな箱」のレベルでものごとを問題にする場合と、抽象度の高い、より一般的なレベルで考えていくこととは明らかに違う。

そして、概念化という方法を用いることは、概念がサーチライトとして照らし出しているひとつひとつの具体的な「小さな箱」のレベルと、概念としてとらえることのできる、より抽象度の高いレベルの二つを使い分けることです。

先ほどの家族の場合でいえば、目の前の家族の問題(「小さな箱」)を考えているとき、より抽象度の高い「家族」という概念レベルに議論を移行させることで、単身赴任中だとか、親とは犬猿な仲であるとか、雑多な情報を切り捨て、すっきりと問題を捉える事を可能とする。

あるいは、別の家族の「小さな箱」と比較することで、家族一般が抱えている問題へと近づくこともできるかもしれません。

概念かするという照明をあてることによって、 「小さな箱」 のレベルにとどまり見過ごされてしまう問題に対し、新たな発見が可能になるのです。

問いを抽象化し概念的にするための3つのポイント

さて、それでは実際には、どうすれば概念と「小さな箱」の関係を使い分けて、問いを抽象化できるのでしょうか。

ここでは、個別の「小さな箱」から概念へと抽象度を上げていく3つのポイントを確認しておこう。

疑問意識を「なぜの問い」を立てるとき、モノやコトの抽象度を上げ、
概念のレベルに昇華し思考することは、一段高いところから問題を見直すということになります。

そうすることで、個別の具体ボックスの中でとどまっていては見えない、他の「小さな箱」とのつながりや、他の「小さな箱」を入れて考えることで気づかずにいた他の原因にまで目が行くようになるであろう。