不幸アピールは、ほどほどに。

不幸アピールは、ほどほどに。

「自分には悪いことばかりが起こる」

「自分は頑張っているのについてない」

「自分には運がない」

などと言えば、周りは、「それは大変だね」と、言ってくれます。人は他人に共感されることで、喜びを感じることができます。

だから、自分についてのネガティブな話題で、他人の気を引くことを覚えた人は、そのやり方を繰り返すようになるのです。

「自分が不幸だ」と言えば、周りは同情してくれます。

しかし、それは初めのうちだけ。

周りの人は、だんだんとその人の不幸話を聞かなくなります。

基本的に、ネガティブな話はつまらない。常につまらない話をしている人からは、だんだんと人が去って行く。

なぜなら、不幸な話が、あなたの「自慢話」にいつの間にかすり替わっているからです。

同情するのが手っ取り早い?

周りは、「あの人はネガティブなことしか言わないから、話していると疲れてしまう」「あの人とはなるべく関わりたくない」と考えるようになり、しまいには、「不幸自慢」をする人だと思ってしまうのです。

不幸な話をされると、最初は誰だって「同情」します。

「それは大変ですね」とか、「その気持ちわかります」とか、「そんな経験を乗り越えていてすごいね」とか、不幸な話に対し、否定することは一切なく、ほぼ間違いなくストレートに受け止め、肯定ではなく同情し、理解の意を示します。

なぜ、不幸な話をされたとき、人は必ずといっていいほど同情するのでしょうか?

不幸にさいなまれた人を傷つけてはいけない、どうにかして励まそう、慰めようとかして、「救う精神」が人には元々あり、それができなければ「理解」だけはしてあげようとします。

やさしい人ばかりですから、周りの人達は。

ですが、必ずしもそうとは限らないのは、うすうすあなたも感じているはずです。

「それは大変ですね」とか、「その気持ちわかります」とか、そう反応することが一番「手っ取り早いから」。ということもあるのです。

不幸なことに対して否定することなんて「してはいけない」ことだし、かといってが何か解決になるいいアドバイスができるわけじゃない、とりあえずは同情反応するしかないわけです。

つまり、不幸な話をされた相手が本心から共感しているかどうかは別だということ。

内心は、「そんなこといわれても」です。

一般に、不幸な話をされたところで、「そんなこといわれてもどうすりゃいいの」ってなり、とにかくその場の重たい空気感をどうにかしたいと思っています。

「大変ですね」「そんな経験を乗り越えていてすごいね」とかいって、不幸な話をしている人を慰めようとか、励まそうとか、一見してはいる。

だが本当は、その場でどうすればいいかわからないから、とりあえずの反応を示し、自分自身(不幸話をされた人)に置かされたその場の状況をのばれようとするだけだったりする。

不幸な話をされたときの重苦しい空気感から逃れたい自分(不幸話をされた人)をどうにかしようとするのです。

不幸な話自体に何のメリットもなく、むしろそんな話をされた自分(不幸話をされた人)が不幸だと思ってしまう事さえあるのだ。

誰もがこんな冷たい心情だとはかぎらないが、不幸な話をされて否定的な反応をする人は、まずいない。

失敗談や不幸な話題に興味があるのはなぜか

だけど人は、不幸な話とか辛いことを直接本人から話された時(そんなことをいわれても・・・)と困ってしまう事が多いのですが、本人ではなく、第三者や噂話の失敗談や他人の不幸なことには、「なになに?何の話?」とやたらめったらと興味があったりする。

なぜなら、同情反応を示す「めんどくささ」がいらないからだ。その場の空気が重くなることはないから。本人の口からいわれたわけじゃないから、不幸自慢をされたとは思われにくいからです。

人は上辺の同情はできるが、本心から共感することはできない。

じっさい、ツイッターのタイムラインで話題になることとか、バズることって「ネガティブな話題」がほとんどじゃないですか。

ネガティブな話題やニュースにすごく反応するじゃないですか。

そう考えると人は何だか「冷たい」ように思えるが、あくまでそういう一面もあるということであり、人の心理による悲しい性(さが)なのだ。

相手が「大変だったね」と言ってくれるだけで自分の苦労が理解されたような気になり、承認欲求が満たされはするのですが、それは効果が持続するものではないので、また承認欲求を満たそうとして不幸自慢を繰り返してしまいます。

不幸なことは悲しいことを人に話したり、相談することは大切です。

しかし、そういったネガティブな話は、基本、人は好みません。

だから、いつもネガティブなことばかり言っていると、自分の周りから人が消えていきます。しまいには、ネガティブな話がタダの不幸自慢だと思われ、あきれられてしまうと、「誰も反応しなくなる」ことさえあります。

すると、ますます「自分に関心を引きたい」と思うようになります。しかし、「他人の関心を引くため」にできる唯一の方法は、「いかに自分がかわいそうか」を話すということだけです。

だから、「孤立したくない、もっとみんなに相手にしてほしい」と思えば思うほど、「どれだけ自分が不幸か」という話がエスカレートしてしまうのです。

しかし、先ほども言いましたが、人はネガティブな人を好きになりません。ネガティブなことばかり言う人は避けられる。

だから、その人の周りからは、ますます同情してくれる人がいなくなってしまい、結果、「自分はこれだけつらい思いをしているのに、これだけ苦しんでいるのに、誰もこの気持ちを分かってくれない」と、周りに対する「承認欲求」が強くなるか、最悪「敵意」を持つようになる。

不幸話のアピールは自分の強さにならない

大切なのは、「いつでもネガティブな人の周りからは、人が消えていく」ということに気づくことです。

やたらと不幸話をアピールしても、同情してくれているとは限らないということ。

不幸話をした人が癒されるように思えるが、実際は、不幸話を聞いた人の、心の安心を手助けするための「都合のいい話」なのだ。

自分をどれだけ不幸に見せても、周りの人が幸せにしてくれるわけではない。

不幸話をして、相手の承認を得ようとしてしまうのは、それがあなたにとっての「武器」なのだと、勘違いをしているのかもしれません。

「自分はこんなにつらい経験がある」という、あなたが唯一アピールできてしまう、「自慢」になってしまっているのかもしれません。

それは辛いことです。残念なことです。

あなたにはもっとポシティブな経験もあるはずだし、他人にはない優れたつよみもあるはずなのに、あえて不幸をアピールしてしまうのはどうしてなのか。

なぜ、ツイッターで流れるタイムラインには「ネガティブなこと」が多いのだろうか?

話題になるニュースにネガティブなことが多いのはなぜなんだろうか?

その方が、人はより反応するからだ。

ネガティブな話題で自分の心の安定を保とうとするからではないだろうか。

だけど、よく考えてみて下さい。

不幸な話題に反応し安心感をえる。しかし、自分が不幸なことに遭遇し、それれを誰かに話しても、話した相手の心の安定を保つための、「都合のいい話」だとしかうけとめてもらえないか、もしくは「不幸自慢」だと揶揄されてしまう。

誰も不幸から逃れられない、マイナスのスパイラルが永遠と続くだけ。

辛い経験や不幸な話は、あなたの強みでもなければ武器でもない。アピールするものでもない。

あなた自身が、その劣等感から解放されるためには、ありのままの自分をまずは受け入れることです。

その劣等感を自分自身の武器なのだと受け入れ、今後の生きるエネルギーとして変換させることが大切です。

辛いことをエネルギーにすることは、一人ではできない事の方が多いため、そのために「相談する」という手段があるのです。

辛い経験や不幸なことを、他人のためになる「都合のいい話」としてアピールする必要なありません。

ネガティブなことばかりを口にして、自分をわざわざ「不幸自慢」にしてはいけない。

僕は、自分の辛いこととかはほとんど外では口にしません。

なぜなら、自分よりも、もっともっと、辛い経験をしている人は万といること知っているから。

よく人に、精神的に強いですねっていわれるけど、むしろメチャクチャ弱いんです。人一倍、劣等感が強いし、何度も心はポキポキと折れまくってるんです。家の中では、ネガティブ発言ばかりしてます。毎日、毎日。あきもせず。

だからこそ、そんなハッキリとした、弱すぎる自分を「より受け入れやすい」のかもしれませんがね。