独創性がある人はどこからオリジナリティーを見つけ出すのか

独創性がある人はどこからオリジナリティーを見つけ出すのか

独創性とか、オリジナリティーとか、個性があるとか言ったりするよね。

独自の考えで新しい物事を創り出すという意味で、なんかこう、フワッとアイデアが浮かんでくるようなイメージがある。

デザイナー、IT系、科学者、画家、写真家といったクリエイティブな職に携わる方たちに特価した能力のようにも思えたりする。

独創性がある人って、好奇心旺盛でユーモアなセンスにあふれていて、今までにない目新しいことを一瞬で閃くことがあり、仕事の面だけでなく普段からエキセントリックな行動ができる、というイメージがあります。

こうきくと、なんだか独創的とかオリジナルとかは、何か手の届かないところにあるというか、幻想的なモノのように感じてしまう。

個性を活かそう、オリジナルをだせ、周りとは違ったことをやろう、もっともっと「個性」を大切にして自分をだしていこう、ってここ最近ではよく言われてる気がします。

おそらくだが、誰かに言われたからとか、みんながそうしてるからとか、他人に依存し束縛されているようでは、どうあっても独創性なんてものは生まれない。

自分が本当に大切にしていることや、本気で好きだと思う物事に没頭しているときでないと、他人とは違った独創的なオリジナルやアイデアはだせないのかもしれない。

だけど、みんながみんな、自分の好きなことをやれてるかっていうと、そうではない。

会社とか組織の中で働いていると、いかようにも与えられた範囲内でしか動けないことが多く、そこでオリジナルをだすというのは、かなり難しい。

変に個性がですぎると、孤立するだけだし、オリジナルを出そうとすると、弾かれてしまう事もあったりする。

独創性というのは、ただ単に、人と違うことをするというものではなく、元々ある既存の事の中にあるように思う。

どん底だと思ったらもっと掘れ

今、自分がいるところの下、足元を掘って掘って突き抜けたところにこそ、独創的なものがあるのかもしれない。

たとえば、織田信長の草履を豊臣秀吉が懐に入れて温めておいたっていう話は聞いたとこあるよね。

たしか、秀吉の「気遣い」が信長は「コイツやるな」と称賛し買われたというエピソードだったと記憶してます。

なんだか、このくらいの気遣いならだれにでもできそうだし、それに近い心遣いができる人は多くいるかもしれません。

しかし、秀吉は本当に「気遣い」を意識した行為だったのだろうか?たとえばそれは、出世のためか、信長にたいする「ごますり」でしかなかったようにも想像できてしまいます。

もしそうなら、上司(信長)に気に入られた部下(秀吉)だったから、ひいきにされた、というちょっと残念なエピソードになってしまう。

おそらく、秀吉は初めから天下をとろうと考えていたわけではなく、信長に気に入られようというだけではなかっただろうし、秀吉も、草履を温めておいてくれたことが、単なる気遣いだと受け止めたわけではなかったのだろう。

この逸話に信憑性があるかどうかはわからないけど、ここに「独創性」という本質はあるように思うんです。

秀吉の「草履取り」という仕事はおそらくその当時、そんなたいした仕事でなく、むしろ「たかが草履取りの分際で」的な立場にあったんでしょう。

しかし、秀吉はだたの草履取りをしただけでなく、懐に入れて温めていた。これをきっかけにどんどん出世していくわけです。

その場で与えられた普通の仕事をさらに深く掘って掘って、新しい知恵ややり方を生み出した。これが独創性だと思う。

信長も、秀吉の独創性に気づき、「コイツはなんか違う」って思ったんじゃないかなと想像できるのである。

もちろんこの解釈は、僕の想像であり、僕がそうであってほしいということにすぎませんが、ただ、秀吉が「上司にゴマをする部下であってほしくはない」ということ。

よく、「どん底だと思ったらもっと掘れ」とかいったりしますが、仮に、草履取りの立場にあった当時の秀吉が、どん底だったとしたならば、与えられたことを深堀し、そこから独創的なオリジナルを醸し出したんだと信じたいのだ。

つまり、独創性とか、オリジナリティーとか、新しい創造的なことは、そこにない所から探すだけでなく、今いる足元をもっと掘ったとこにもあるのだと思う。

売れてる商品だから独創性がないというのではなく、なぜその商品が売れているのか、何でみんなは買うのか、ということを、とことん掘って掘って考えることで、かつてない新しい独創的な商品が生み出されるのではないだろうか。

雇われの立場にある会社員の人でも、与えられた仕事の中でも、もっと深く掘ってみる事で、独創的なアイデアを見つけること十分可能だし、他者とは違う差別化を図ることだってできるんだと思います。

でなくては、今の時代、生き残れそうにないから、ぶっちゃけ。

「ここ掘れワンワン」のスキルを

限られたことの中からオリジナルを探すには、与えられた仕事を「やらされている」という気持ちになってしまうと、それはただの「草履取り」の仕事でしかない。

草履を温めて信長に気に入られようという気持ちではなく、草履という履き物をどうすればもっと、快適な履き物になるか、といった独創的な思考を意識することも大切なのでしょう。

結局、独創性というのは、与えられたことをどこまで考えられるかが重要で、特別なことではないと思う。

陶芸品とかは、見た目の芸術品として価値を感じる人もいれば、器として機能面を価値とする人もいる。

僕の場合は、見た目の芸術的な事を理解できないので、やっぱり器として使いやすいとか、こわれにくいとかを優先してしまいます。

こんな、えらそうなこというと、陶芸家の方にボコられそうですが、じっさい陶芸品ひとつをとっても、さまざまな価値を感じる人はいるということ。

だから、与えられ仕事を与えられたようにこなすだけでなく、もっと足元を深く、もっと深く掘りまくることで、独創的な何かを見つけることも不可能ではないはずだ。

与えられた仕事を、与えられたとおりにやってだけだと、しまいには「つまらない」ってなり、やめちゃう人もたくさんいます。

だけど、その考え方では、他のことをしてもやっぱり同じことを繰り返すだけだし、どこにいっても独自性を発揮するのは難しく、オリジナルなんてものが本当に幻想だと思ってしまいかねません。

つまらない、って思ってやめちゃう前に、まずは、今いる足元をもっと掘ってみるのもどうだろうか。

結局、独創性がある人とない人の違いは、「やめる人と、やめない人」の違いなのかもしれませんね。