「文脈」の及ぼす役割とその効果は

「文脈」の及ぼす役割とその効果は

内容が分からないのは、前後の繋がりがないから

まず、次のような「よくあるシーン」をみてみよう。

2人の友人が、ロビーの奥の席で会話をしています。2人の会話の中に入った時、最初は2人が何の話をしているか全くわかりません。言葉としてはわかるのですが、何について話しているのかわからないはずです。

それでも少しばかり聞いているうちに、あなたは2人の言葉の端々から、ああ、あの話だな、ということに思い当たります。

すると、とたんに彼らの話すすべてのことを把握できるようになる。ということはあるでしょう。

これは、2人の話している言葉の意味はすぐに分かるが、話の前後の内容がわからないため、「何について会話をしているのか」を把握できないためです。

つまり、話の文脈(前後の繋がり)がわからないと、何の会話をしているのかがさっぱり把握できないということです。

それでは、次の文章をみてみよう。ある文章の一部だけを抜粋したものです。

さて、どうでしょうか?何について書いてあるのかがサッパリわからないはずです。

調べなくてはいけない言葉や単語はないはず。でも、わからない。「何についての文章」なのかがわかりません。

ここで、この話は「凧揚げ」についての話、と示されると、とたんにすべてが氷解したのではないだろうか?

冒頭の「最初は歩くより走る方がいい」の意味は見当もつかなかったが、「ああ、凧を揚げるときに走るあのことなのか」と合点がいく。

「多すぎる人がこれをいっせいにやると面倒がおきうる」の意味は、人が多い場所で凧揚げをすると、挙げた凧が衝突したり、糸が絡み合ったり、上を向いて走っていると人とぶつかる危険性もあるので面倒。という状況が自然と浮んできます。

つまり、文章の一部だけを読んでみても何についての文章なのかが分かりませんが、「凧揚げ」についての話だと変わった途端、すべての内容が繋がり、「凧揚げ」という文脈が成立する。ということです。

文脈を読み取る「スキーマ」とは?

先の文章の場合、知らされたのは「凧揚げ」ということだけです。

「凧揚げ」という言葉に含まれている情報だけで、文章がわかるようになったと思われるが、じつはそうではありません。

凧に関する種々の知識があらかじめ記憶として存在し、その記憶の知識が使われて、わかることができたのです。

凧揚げをやったとこがない人、または、凧揚げの知識が全くない人には、風が弱いときには、走って揚げなければならないことを知らなければ、「最初は歩くより走る方がいい」という文章の理解はできません。

あることがらに関すて既に存在している、ひとかたまりの記憶の知識を、認知心理学で「スキーマ」といいます。

何の話か示唆されると、どの「スキーマ」を使えばよいかがわかるので、それを使って文章を処理していけるというわけです。

「何の話かがわからなければ、話がわからない」のは、脳内に保存されたひとかたまりの知識である「スキーマ」が発動しなかったから。ということです。

すなわち、脳内の既存の知識「スキーマ」が発動しない限りは、話や会話の “ 文脈を理解する事ができない ” ということ。

文脈を構成するのは背景(コンテクスト)

「何の話かわからないと、文章がわからない」といったように、「何の話」という言葉を使っていますが、これを認知心理学では、「文脈」と説きました。

先ほどカーウ君が調べてくれた文脈の意味は、広辞苑サイトで「文中での語の意味の続きぐあい。文章の中での文と文との続きぐあい。比喩的に、筋道・背景などの意にも使う」と説明書きされていました。

「文脈」には「文」の字が入っているが、文や文章の領域を超えて、モノの繋がりや配置など比喩的1)いいたい事柄を何かに例えることによって、効果を期待する表現にもう少し広い意味で使われています。

広辞苑の説明には、「文脈」は「文と文との続きぐあい」であるといったように、「モノ」と「モノ」との「続きぐあい」であるといえる。

ただ、「続きぐあい」を考えていくには、それらの「モノ」が「続く」ための、「背景・状況」が必要。

つまり、「モノとモノ」、「文と文」とが、続くことが可能なのは、前のモノと後ろのモノ、前の文章と後ろの文章とが、同じ「背景・状況」を共有しているからに他ならないということです。

ここで、あたらめて、文脈とは「物事・情報などが埋め込まれている背景・状況」だと理解ください。

その「背景や状況」により、「続きぐあい」が生じるということで、「文脈」が成立するのです。

文脈は別のいい方で、“ コンテクスト”(またはコンテキスト)といい、意味は「前後関係」で文脈と同じですが、前後関係のつながりで描写される背景や状況という意味を持ちます。

先ほどの「凧揚げ」文章で、訳がわからなかったのは、「何についての文脈」なのかがわからず「スキーマ」の発動がなかったからと説明しましたが、

言い換えると、「凧揚げという背景や状況(コンテキスト)」がわかり、既にある脳内の記憶(スキーマ)が発動され、すべてを理解した。といえるのです。

文脈の “ 魔力 ”

話や会話の「文脈」がはっきりすることで、使うべきスキーマを確定することが可能になる。然るに、文脈のはたらきは、実はもっと多彩で強力であることがわかりました。

ですが、文脈というのは、会話の内容を読み取る、文章の理解をするなど、受け手側に制約されたことではなく、むしろ発動側、つまり、話をする側、文章を書く側、商品を売る側にとって非常に大きな役割を果たします。

それでは、次の文章を読んでください。

さて、この文章が何の話かと聞かれたら、「男の朝の支度」などと解釈したかもしれません。

文章の前後のつながりぐあいから、「男の朝の支度」という文脈だと判断し、既存の記憶から共通の背景・状況が浮かび、すかさず「スキーマ」が発動することで、何についてかいてある文章なのかがわかったはずです。

ですが、これは「男の朝の支度」という文脈ですが、「失業者の男の朝」という文脈でもう一度読んでみて下さい。

どうでしょうか。「失業者の男の朝」という文脈で読んでみると、その背景や状況は一変し、発動するスキーマが違う事に気付くはずです。

たとえば、好印象をもたれるように、いつもはしない地味なネクタイなどの身支度をし、求人欄を見て電話で問い合わせ、面接に行くのだといった内容がよみとれます。

失業中のため、子どもたちをキャンプに出すのも無理のような気がします。

つまり、“ 何についての文脈なのか ” によって、状況や背景は異なり、発動されるスキーマの選択が違うので、読み手にとっての読解、または伝わり方が違うという事です。

ABCという前後の流れの中にあるとアルファベットの「B」になるが、数字の流れの中にあると、「13」になる。

このように、文脈とは、周囲の状況や環境によって意味合いなどが変化するということです。

マーケティングに生かす「文脈効果」

文脈の交換によって、新しい意味が引き出せるということは、その文脈を使わなければ、私たちにはその意味が見えなかっただろうということです。

それはつまり、何の文脈かによって、読み手の伝わり方は大きく異なるといえます。

例えば、せースルライティングのキャッチコピーの文脈、文脈効果を活かした販売方法など、商品の価値を上げることも可能といえる。

商品を単体で見せるのではなく、商品の前後の時間軸や周りの環境も含めて、その伝わる効果が高まることを「文脈効果」といいます。

例えば、自動販売機で買うコーラも、環境やシチュエーションを変えると、その価値も違ってきます。

高級レストランでキレイなグラスにレモンが添えらたコーラは、同じ中身でもまるで特別なコーラに一変する。

甲子園名物焼きそばも、現地で食べるのと、それを家に持って帰って食べるのとでは、不思議と美味しさは別物に。

キャッチコピーで文脈効果を生かすには、商品を購入した後の、ベネフィットイメージの背景や状況を描写し、いかに、訴求に近いスキーマを発動させる事ができるかがカギとなります。

「文脈の欠如」が示す懸念

文脈を構成しようとするのは「相手にきちんと伝えようという意思」の表れだと思います。

何かを伝えようとするとき、説明するとき、意志表現などにおいて、「文脈」の役割は、一種のコニュにケーション能力に準えるといっても過言ではないだろうか。

しかし、今に始まったことではないが、「何の話をしているのかわからない話」や「何についての文章なのか理解できない」ことににしばし遭遇します。

言葉自体の流行言葉が分からないというのも一つの理由ではあるが、気になるのは、前後の繋がりがない、つまり文脈を意識しないで発言する、書き込むなどの現象がここ最近甚だしく多くなったように思える。

その顕著なのが、「主語の省略」。

勤める会社内でも、「なぁ、これどうすんだ?」「おい、聞いてるじゃないか!」

誰に対していってる発言なのだろうか?

本人は、誰に対していっているのかはわかっても、主語が省略されているため、誰に聞いているのかが伝わっていないのです。

結局、こちらから「誰にいってるの?」「○○さん?それとも私?」

このような経験はあるともいます。

日本語はもともと「主語を省略しても内容が伝わる」という特性を持っている。しかし、最近は「主語を省略する」傾向が一層加速しているようだ。

また、情報発信で使用される「ツイッター」。確かにツイッターは「つぶやく」ためのツールではあるが、今では貴重な情報収集ツールであることは否めません。

しかし、中には、全く伝わらない書き込みが最近よく見るようになった気がします。

なるほど、あるメディアの有識者が、「ツイッターは暇つぶしで投稿している人が増えた」といっていましたが、確かに私もそう感じる。

情報収集でツイッターを活かすには、もはやハッシュタグではまともな情報取得ができないという現象が起きているようだ。

暇つぶしのつぶやきにリツイートしても、結局は、暇つぶしにしか読まれないし、「このツイートうける~」程度だ。

話が脱線してしまったが、昨今の会話は投稿でみられる「文脈の欠如」は、多くの訪日外国人が見込まれる「東京オリンピック」を手前にして、文化の国「日本」の文脈は伝わるのだろうか?

ニッポンのスキーマを知らない外国人が読み取る文脈は、祖国のスキーマを発動する。

そこで、日本の文脈と他国との文脈との「違い」が歴然となり、本来伝える、日本のまごころ、おもてなし、美しい日本語を伝えきれないだけでなく、古来より受け継いだ文化そのものを失いかねない懸念もあるようだ。

せめて、モノローグの文脈だけでも強い意識を持つべきだだろう。

References   [ + ]

1. いいたい事柄を何かに例えることによって、効果を期待する表現