「没頭」する状態をつくることは誰にもできる

何かをしようとする時、結果どうなるか、周りの反応はどうなのか、正しいのか正しくないのか。
わからない、誰も知らないし、そもそも答えすぐには見つからない。
どのようになっても後悔しないという思いを決め、その時々に応じ、自分のやれることを全てやり尽くす。
いまはだた、余計なことを考えず、愚痴や不満などを口にしないでやり続けることを尽くすことを心に決め、「優雅」に時を過ごしてゆけ。
あとのことは、「運命」にまかせ、やれることに没頭すればいい。
「人事を尽くして天命を待つ」
多くの人は、「未来」に希望を抱きすぎる。いえ、目の前の「期待」を抱きすぎてしまう。
明日、もしくは、数時間後、数分後の「期待」を抱きすぎてしまう。わずかな未来の希望を抱き、すぐの結果を願う。
自分に対しても、他人に与えられたことに対しても。
そこからの行動は、妨げとなるフィルターを通した行動になってしまう。
目の前の期待が願いにとどかないとなると、あなたの行いの「気分」は下がる。
気分が下がると、やる気が起きない、行動にフィルターがかかってしまいがちになる。
そのフィルターは大抵、他人の評価や反応がいいか、もしくはよくないかで、あなたにフィルターがかけられてしまいます。
逆に、目の前の期待が願い以上によかった場合、あなたの行いの「気分」は上がる。
気分が上がれば、やる気も起きる。
しかし、やはり行動にフィルターはかかってしまうのである。
そのフィルターは、他人の評価や反応に対し、「願い以上の期待をキープしなくてはならない」という、使命感にさらされてしまいかねない。
しんどいねぇ。目の前の期待を抱きすぎると、気分は上がったり下がったり、変にやる気を損ねたり、ついうぬぼれそうになってしまったり。
しんどいねぇ。つかれるねぇ。
人はすぐに悩んだり落ち込んだりしてしまう。
それは、「すぐの期待」に自分の気分が上がったり下がったりして疲れ果ててしまうからではないだろうか。
自分にやる気がないとか、行動力や継続力がないとかは、結局、他人の期待値を伝に、心の気分をコントロールされてしまっているからではないか。
全てがそうとは言い切れないが、ほとんどが「他律」が優位となり、「自律」が害されているように思う。
フロー状態
人事を尽くすということは、「没頭」。
心が外界にキョロキョロしたりはしない状態で、フロー状態ともいう。
つまり、周りが見えなくなるくらい、それに打ち込むということ。
フローの状態に入れる人は、目の前の期待なんて、期待しない。
フローの状態になったとき、他人にコントロールされないこと、他人に自分の気分が害されない状態でいるということ。
フローの状態とは、行いに対し「没頭」している状態ではあるが、いったい「どんな時」におこるのだろうか?
ハーバード大学医学部のハーバート・ベンソン教授の研究の結果によると、「ストレス」のあとに「リラックス」することで、いわゆる没頭、「フロー状態」を経験するとされています。
フローの状態をつくるには、「ストレス」と「リラックス」の両方が欠かせません。
たとえば締め切り前などは「やべぇ、時間がねー!」と強いストレスがかかります。
しかし、そのままでは慌てふためくだけで、目の前の作業に「没頭」することはできない。
そこで必要になるのが、「まぁ、別に間に合わなくても殺されるわけじゃねーし」というある種の「あきらめ」。
つまり、強いストレスを感じたあと、一気にリラックスすると「スーっ」と作業にのめり込むことができる。
実際、あたなもそんな経験はないでしょうか?
知ってますか? 人が最もストレスを発散させる方法は、じつは「あきらめる」ことなんです。
しかし、誰もこのストレス発散方法を薦めたりはしない。
なぜなら、あきらめることは「よくないこと」だからです。
「もういいや」とか、「やーめた、もうあきらめよ」とか、いわゆる怠惰、いわゆるダメな考え方の象徴とされること。
あきらかに、悪い意味でのあきらめではあるが、じつはこの投げやり的な「あきらめてしまう」は、張り詰めたストレスから解放され、一気にリラックスできるのである。
あなたも、さまざまな事に日々、がんばっている。
しかし、その「がんばり」が張り詰めすぎてしまうと、強いストレスがかかります。
そこであなたは、ストレスに負けないために、さらに「がんばり」を選択する。
「あきらめ」という選択肢は到底ないはずです。
そりゃそうです。あきらめるというのは、やめてしまうことであり、やめてしまうと希望も願いもかなうはずがない。
しかし、その希望や願い、目標とは別に、「ストレス発散」を優先するならば、「あきらめてしまう」ことが最も有効な対処法なのです。
なんだか「むごい」ものだ。
ストレスを掛けながらがんばりを選択肢、希望や願いを優先させるか。
ストレスから解放させるために「あきらめる」事を優先させるか。
この真実は、ほとんどの人が知らないかもしれない。というより、言われてみればそうだと気づくかもしれない。
「あきらめ」というフェイントをかける
だが、そうともいいきれない。
強いストレスから解放されるには、「あきらめること」が有効だといいました。
「もういいや」とか「別にええわ」とか、投げやり的な悪い意味での「あきらめ」をする決断を選択することが最もリラックスできるといいました。
だが、その「あきらめ」によってリラックスした状態になったとき、人は、「フローの状態」を発揮する。
「強いストレス(=強い感情)」を感じたあと、「一気にリラックス」すると、人は「フロー」状態になれる。
つまり、没頭できる脳の状態になり、高い集中力を発揮できる状態になれるというのだ。
「やーめた。もういいや」というあきらめは、じつはフェイントで、そこから、高い集中力をもって、作業に没頭できるのです。
どうでしょうか。
もし仮にあなたが、本当に、あきらめてしまった時、本当にあきらめてしまってはいないだろうか。
じつは、その状態が最も挽回できるタイミングであることも知らずに、完全に行動を辞退してしまうのではないだろうか?
「もういいや。あきらめよ」
─── といいつつも~、やってみるのだ。
そこから信じられないくらい、作業に没頭できるはずです。なんせリラックスしてますから。
僕は、職場でこのフロー状態を何度も経験します。
人員がすくないがために、課せられた作業量があまりにも多くすぎるとき、最初はがんばってみたりします。
だけど、そのがんばりも先が見えないとなると、すぐに尽きてしまうので、とりあえず「がんばり」をあきらめます。
「急いでもしゃーない。」「マイペースでやろー」って。一気に緊張感がとれ、リラックス状態になります。
するとどうでしょう。おもいもよらないほどスイスイと作業がはかどるのです。
僕だけじゃない、あなたもこんな「フロー状態」をじつは何度も経験しているはずです。
集中するとは、周りの眼や意見にコントロールされないで没頭すること。
他人の意見を待つのではなく、「天命」を待つ。運命にまかせることです。
「人事を尽くして天命を待つ」
自らが、フロー状態をつくり、行動に没頭することではじめて、運命というモノは何かを与えてくれるのだと思う。
心が外界をキョロキョロした状態で、他人の評価を待ちつづけるか、
それとも、フロー状態で没頭し、結果は天命にまかせるか。
どちらを選択するかは自分次第です。
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