なんてことない「凡人」のウケのいいPRって何?

なんてことない「凡人」のウケのいいPRって何?

あなたはプロフィールや、自己紹介をする時など、これが自分の経歴だ、といえることがあるとするなら、何を書き記すだろうか。

成功体験や輝かしい実績か、即戦力になる資格とかですかね。

確かにこういった実力を示す強みは説得力もあり、プロフィールの経歴欄にモレなく書き記すべきです。

こういった就職の面接など即戦力や再現性を重視する面接官などの「エリート」な人達相手にはウケがいいでしょう。

しかし、今ではいろんなところで自分のプロフィールや経歴を紹介する場が多くなった。

例えば、ブログやユーチューブ、SNSなどがその典型で、必ずしも輝かしい経歴を書く必要もなく、むしろ書けない人のほうが多いはずです。

というのも、僕を始め、なんてことない凡人は、すごい実績も、ひっくりかえりそうなすごい資格も、度胆を抜くような成功事例なんてないからね。

だから、「プロフィールになにをかけばいいのだろうか」と悩んでしまう人も多くいて、説得力のある自己紹介が書けない自分に自信をなくしてしまうこともあるのではないだろうか。

しかし、僕たち凡人が情報発信しようとしている市場は、転職市場の採用の場ではなく、即戦力や再現性を求める面接官相手でもない。

誰もが発信する媒体といえば、ブログやユーチューブなどの動画や、フェイスブックやラインなど庶民を相手とするものがほとんどでしょう?

それらを利用する人達というのは、ごく普通の人。

凡人の情報発信を凡人に提供したとき、「ウケ」がよくて、好印象を持たれる事といえばなんだろうか?

「共感」や「共有」です。

凡人の情報発信者が求めていることは、「共感性」で、いかに、共感性のあるコンテンツを発信できるかがカギとなる。

一方で、発信を受け取る一般庶民の凡人は、互いに「共有」することに価値を感じているはずです。

つまり、凡人どうしの情報で価値あるものは、「共感性」と「共有性」であって、非凡な実績や成功事例よりも、はるかに「ウケ」がよかったりする。

普通の人達が「共感」するのは、コンテンツだけでなく発信者の「プロフィール」の内容でも同じことが言えそうだ。

輝かしい実績や成功体験、経歴や資格といった説得力のあるプロフィールにはたして「共感性」はあるだろうか。他の誰かに共有しようと思うだろうか。

あるかもしれないが、僕が思うには、成功体験よりも「失敗体験」、輝かしい実績よりも「苦労したプロセス」、資格よりも「実務経験」など、説得力こそ劣るかもしれないが、「共感性」はかなりあると思う。

凡人ならではの「経験」プロフィール

気のせいか、成功者といわれる人ほど、成功体験は語らず、失敗体験を語る、実績よりもここに至るまでの苦労してきた過程を多く語っているようだ。

反対に、一般人の人のプロフィール欄を見ると、成功体験や実績、現在の年収など、キラメク功績がやけにちらついているような気がするが、どうでしょうか?

つまり、何がいいたいかというと、あなたに何の実績も、成功体験もなくとも、あなたの失敗体験や苦労した経験が、共感性のある強みとなるプロフィールになる。ということです。

あなたの苦労した経験は、それが辛く難しいものであるほど一般庶民にウケがよくて、共感できる魅力的なコンテンツになるのです。

ネット利用者のほとんどが、ごく普通の「一般人」であって、「面接官」ではないということです。

自分のプロフィールや自己紹介をするとき、即戦力も再現性も創造性などが採用されるわけではなく、「共感性」のあるコンテンツやプロフィール内容のほうがウケがいいように思えるが、どうでしょうか。

それに、面接官を相手にした転職市場で募集企業が知りたいのは、資格や実績だけでなく、「あなたは何をできる人か」ということに尽きるはずです。

募集している具体的なポジションにおいて、あなたは期待されている能力や経験値を満たしているのか、職場のでトラブルに対する向き合い方や即戦力として入社当日から「雑務」を率先する「仕事」をしてくれる人か、ということ。

実績や資格だけではなく、どういった心構えや、即戦力を求める企業が考える「できる」は、「あなたが過去に仕事の場面で実際に何を経験して、どのように解決してきたか」という血の通った情報ではないでしょうか。

「辛い経験」こそ強力な経歴になる

普通のビジネスパーソンは、誰しも輝かしい実績や、成功事例、活かせる資格を持ち合わせていることはないだろうが、苦労した経験や、共感性がありそうな「あるある事例」なら、一つや二つは持っているのではないでしょうか。

例えば、ごく普通のサラリーマンをしていると、自分には何の原因も落ち度もない、不可抗力で天災のようなトラブルに巻き込まれることは避けられない運命です。

渦中にいるときはなぜこんな辛い目に遭わなければならないのかとぼやきたくもなるし、心が折れそうになることだってあると思います。

組織や人間関係で問題が発生することだって(ホントはいやだけど)よくある話。

しかし、そういう日々の辛い経験の一つ一つが将来の「飯のタネ」になるのです。

当然の如く、降りかかる危機への対処能力は、下っ端として現場でオロオロしているレベルから一歩ずつ「経験」で鍛えられ、その経験が自分の血肉に変わっていくプロセスこそキャリアアップにつながる。

そう考えることができれば、仕事でドツボにはまってしまったときも前向きに頑張れるかもしれません。

ひいては、こういった、ありきたりな苦労経験は、「将来の売り物」「職務経歴書のコンテンツ」となり、「共感性」を求める一般庶民の「信用」になると思います。

即戦力や再現性のあるプロフィールは、面接官にこそ「信用」されはするだろうが、ブログやユーチューブ、SNSといった凡人が集う場で発信するプロフィールは、共感性のあることに「信用」を得ることができる。

「楽な方法を考えること」と「楽な道を選ぶこと」は別物

ただ、こういった辛い経験を「ウリ」とするならば、それなりの仕事に対する向き合い方はやはりあるでしょう。

たとえば、ビジネスパーソンたる者、業務の「効率化」は常に追求しなければならない永遠のテーマだったりする。

実際、現場のカイゼンや大きなイノベーションは「少しでも楽ができないか」という発想から生まれることが少なくありません。

しかし勘違いをしてはいけないのは、「効率を求める(楽な方法を考える)こと」と「精神的な楽さを求める(楽な道を選ぶ)こと」は全くの別物だということ。

前者のように効率を求め、ムダを省き、時間を生み出そうというとき、精神はフル回転し、思考の密度が高まる「生産効率」です。

そして、楽にできたことによって余った時間とエネルギーは別の有意義な活動(新たな学習や教養を高める余暇活動など)に向けられるでしょう。

一方で後者は「精神の回転数と思考の密度を下げる」行為です。

行動や思考を極力節約し、怠惰を貪る態度は、あなたの能力を蝕み、ビジネスパーソン、そして人間としての成長を阻害かねない。

楽をしているつもりが時間はまったく節約できていない。「ダラダラ残業」など典型的な例といえる。

仕事の「効率化」を、「楽な方法を考える」ことと「楽な道を選ぶ」ことを混同している(僕の職場にもそういう人が)多いように感じますが、もちろん両者は似て非なるもの。

当然のことですが、いつも「楽な道を選んでいる人」は結果として苦労した経験をしたとしても、楽な道を選んだ結果の「自業自得の悪い苦労」であって、楽な方法を考える「生産性を上げるために努力した良い苦労」ではありません。

人に任せるのは自分がやってから

ところで、「楽な方法を考える(効率を追求する)」ことを大切なこととして勧めながら、一方で僕は、あえて「効率を求めすぎない」ことも必要だと思います。

逆説的なことをいってますが、というのも、効率を追求することに「全てを自分でやろうとするな、人に任せられることは任せよう」、という効率的仕事術のキモとされてはいるが、最初から任せてしまうのはどうかと思う。

なぜなら、どんな細かい仕事も、自分の手を動かして全て自分でやってみることが大切で、それをスキップしてしまうと、何が大変で何が問題なのか、どういうところに手間がかかって、どこが難しくて、何が間違えやすいのか、実務の要所要諦を理解することなく人にまかせるようになってしまうからです。

一通り自分でやって失敗も経験している人は、他の人に任せるときにも要点を外さないので相手も気持ちよくやってくれるだろうし、質のよい仕事をしてくれるはずです。

回り道に見える面倒な仕事も、全て省略せずに経験してみることは、長い目で見れば近道になる。

自分に何の実績も成功体験もないというが、苦労体験という共感性のある優れた実績があるはずです。

「苦労は買ってでもしろ」昔の人はうまいことを言ったものです。苦労した人間と苦労しない人間とでは時間あたりで感じるやりがいにはかなりの差があると思います。

少しでも早く成長して少しでも早く社会に認められたいと願うならば、ぜひとも苦労を買いたいもの。

経営トップは少なくとも人生のどこかで「苦労を買ってきた」人達だろうし、その手に入れた苦労こそが、強みのプロフィールとして記されているのだろう。

僕たち凡人に肩書きはありません。だけど、「共感性」のある、ありふれた体験による経歴はあるはずです。そこに自分の「信条」が隠されている。

その凡人の信条にこそ、凡人からの信用をえて、「共有」、つまりはシェアされ口コミを広め、アクセスが生まれるのではなかろうか。