多様化社会に新たな価値を。

多様化社会に新たな価値を。

ある日、A君はおばあちゃんがタブレットを買いたいということなので、家電量販店に同行しました。

おばあちゃんはタブレットが欲しいのですが、まったく商品知識がないため、孫(A君)に選んでもらっています。

A君は、「本や新聞もタブレットで読む?字の大きさが変えられて便利だよ」など、おばあちゃんに店頭見本のタブレットを持たせ説明します。

「ずいぶん小さいのね」とおばあさんがつぶやくと、A君は別の棚からちょっと大きめのタブレットを渡して「これくらい大きいのがいい?重くない?」などといいながら、好みの商品を探っていきます。

せいぜい30分くらいでしょうか。その間、A君はタブレットのスペックや通信方式など、難しい話は一切出てきません。

最終的にA君は「じゃあ、これがいいと思うよ。バッテリーの持ちもいいし」などといいつつ、ひとつのタブレットを勧め、おばあんちゃんは「じゃあそれにしよう」と言って、買物は終了しました。

さて、両者の間には、値段に関する会話もありません。

なぜならA君は、おばあちゃんが自分にくれるお小遣いの額や、日々の生活振りから判断し、おばあちゃんの懐具合をよく理解しているからです。

A君は、おばあちゃんが家にあるパソコンもほとんどいらうことがないため、インターネットを使わないことを知っています。新聞の字が読みズラそうにしていることも知っています。

また、祖母は庭の花を熱心に育てているので、写真をとって保存できたら喜ぶだろうとも想像しているのです。

つまりA君は、おばあちゃんのニーズを最初から理解しており、店頭では、「おばあちゃんが使うならなにができるか?」について確認しただけなのです。

「選ぶ価値」と「選んでもらえる価値」

さて、この2人の家電量販店でのエピソードをあなたはどう感じますか?

「お年寄りに親切な孫(A君)だなぁ。」でしょうか?確かにA君は、おばあちゃんにこれまで色々とかわいがってもらい、おばあちゃんの事が大好きです。

そして、おばあちゃんのニーズならなんでも知っています。

そこで、仮にA君がお店の定員だったとしたらどうでしょうか?同じような会話が成立するでしょうか?

おそらく成立しません。なぜなら、お店の定員は、A君ほどの、おばあちゃんに関する事を何も知らないからです。

一方、おばあちゃんは、A君ではなく、お店の定員にタブレットの説明をされたとき、迷わず買ったでしょうか?

お店の定員が、「新聞は読まれますか?このタブレットは字を大きくする事もできますよ。」とか、「写真も簡単にとる事ができます。お孫さんや・・・」など、お年寄りのニーズであろうことをプッシュしたところで、果たしておばあちゃんに説得力はあるだろうか?

おそらく、おばあちゃんは、A君が説明してくれるのと、タブレットに関する知識をよく把握している定員さんが説明して下さるのとでは、A君の説明に強い信頼を感じ、選んでもらったタブレットを迷わず買うでしょう。

なぜなら、おばあちゃんは、「孫といっしょにタブレットを買いにきた」という価値にお金を払っているからです。

買い物客がモノを買う時、商品のどこに価値があるか?また、商品を買う事で、どんなことができるか(ベネフィット)?顧客のニーズにあっているか?

など、これまでのマーケット感覚とは異なる「価値」があるということです。

A君と、おばあちゃんのような買い物シーンが、頻繁に発生するとはいえません。いくら高齢化がすすんでも、必ず孫と同伴して、買い物をするとは限りません。

ですが、重要なのは、商品を通じて、フェイクとなっているマーケットがあちこちに見え隠れしているという事です。

世の中には「自分で選ぶのが大好き」な人と、「選ぶのは面倒。誰かに選んでほしい」という人がいます。同じモノを買うときでも、両者が求める価値はまったく異なっています。

前者は比較サイトやレビュー情報に価値を感じ、後者は「選んでくれる人」に価値を感じる。特に、多すぎるほどのモノやサービスが溢れている現代では、「誰かに選んでもらうという価値」は、今後ますます重要になりそうです。

「誰かに選んでもらうことの価値」の大きさは、商品によって違いがあります。商品数が多すぎるうえ、価値のばらつきが大きく、適切なモノを選ぶことが極めて難しい書籍は、選んでもらう価値が非常に大きな商品です。

たとえば、転職すべきかどうか迷ったときに読む本、転職の後、転職に失敗したと感じたときに読む本、定年が近づいてきたら読む本など、いくらでも独自の視点で「読者のために、適切な本を選んであげる価値」は提供でる。

今では、街の小さな「本屋さん」もいつの間にか見かけることが少なくなりました。欲しい本がすぐ手に入るネット書店や、インターネットからダウンロードして、携帯電話やスマホ、パソコンなどで閲覧できる電子書籍の普及により街の書店の需要は減少傾向に。

そんななか、「あるサービス」で全国から注文が殺到している「街の本屋さん」があるという。

北海道は砂川市に実在する店主の岩田徹さんが営む本屋さんは、「いわた書店」。

「一万円選書」といって店主の岩田さんが、「あなたが今、読むべき本を選んで差し上げます」という、依頼者におすすめの本を約1万円分を選んで送ってくれる、いうなれば「本のコンシェルジュ」といったサービスをされています。

年齢・家族構成・読書歴など、人となりがわかるような簡単なアンケートに答えると、一万円分でその人に合ったおすすめの本を岩田さん自らが選んでくれるというものです。

本は出会い。心惹かれる書籍に出会えることは稀有なことですが、「本のコンシェルジュ」という新たなサービスを利用してみるもの素敵な事です。

街の本屋さんが次々と消えゆく昨今、この独自のサービスは、毎年4月と10月に募集し、一度に7000件以上の応募が殺到するとされいます。

店頭には多種多様なジャンルの本が並ぶが、岩田さんが大切にしていることはただ一つ。

「一人でも多くの人に本の面白さをわかってもらいたい」

インターネットが「正解」を知るためのものだとしたら、本は「自分が何も知らないこと」を知るためのものだと明言。

近年、街の本屋さんは本を「販売」する以前に、まずは「利用」していただくための考察を第一にするべきなのかもしれません。

つまり、いわた書店は、本ではなく、「本を選んであげること」を商品にしたほうがいい。そう気がつく新たな価値あるマーケット感覚にきづいたこそ、地方の小さな書店も生き残ることができているという好例なのです。

「伝統的な価値」と「非伝統的な価値」

ネットの世界では、次々と「新たな価値」が見いだされています。

ソーシャルブックマークというサービスは、ネット上のコンテンツに関して、「みんなが意見を言い合う場所に価値がある」ことを顕在化させました。

これは、個別のブログやニュース記事に対して、不特定多数の人がコメントを残せる仕組みで、読者は、他者が残したコメントを一覧表で読むことができる。この「普通の人の気軽なコメント」を集めたページには、元ネタとなるブログやニュース以上にアクセスが集まります。

「何が起こったか」というニュースそのものより、「その記事に対して他の人はどう感じたのか」をチェックしたり、自分も一言コメントを寄せたりすることのほうが楽しい(価値があると)と判断されているのです。

実際、この価値をサービス化させたのが、コメントを画面上に流す動画でしられる「ニコニコ動画」です。

「もっとたくさんの人に自分の一言コメントを聞いてほしい。他の人のコメントも聞いてみたい。そこに価値がある」と気がついたニコニコ動画はそれをサービス化し、今や200万人以上の有料会員を抱えるサービスとなった。

通常「市場で取引される価値」という言葉から思い浮かぶのは、食料品や衣料、家電、スマホやパソコンなどのハードな製品と、もしくはホテルやレストランなどで得られるサービスです。これらは、ずっと昔から市場で取引されてきた「伝統的な価値」。

ところが今では、従来は価値があると認められていなかった、ある出来事に対すること云々よりも、その出来事に反応する世間の人達の、一言コメントのような「非伝統的な価値」が生まれつつある。

一方、コメントは、意味不明な事を書いていたり、誹謗中傷も多く、コメントをしているかと思えば、どさくさに紛れて勧誘している事もあります。

新たな価値は、いい面もあれば、欠点も当然あります。これからそういった部分も少しずつ改善されていくのでしょうが、生まれたばかりの価値はまだ未熟な部分があるので、「世間で今、流行っているから」ということだけで、むやみやたらと飛びつかないように気を付けたいものです。

ただ、ここでいえることは、既存の市場を取り合う競争では、勝つ人がいればその分を負ける人がいるというゼロサムゲームにしかならないが、新たな価値を見いだすことができれば、新たな市場、そして大きな経済価値が生まれる。

まだ取引されていない潜在的な価値に気がつき、市場化する——多くの人がマーケット感覚を持つことで、個人はもちろん、世の中もどんどん豊かになっていくのだろう。