「諦める」事が肝心であるその理由とは?

「諦める」事が肝心であるその理由とは?

「何事も諦めが肝心」なのか、それとも、「最後まで諦めないことが大切」なのだろうか?

人は「迷いながら」も続ける事が大切だと心に誓っている。

しかし、一方で「迷いながら」やめることも必要だと、心にうすうす感じているのではないでしょうか。

人は、何があっても「諦めないことが大切」という。

またある人は、「諦めが肝心だ」ともいいます。

私たちが何かを継続中、諦めるべきか否かを迷う事は度々ある。

特に、「諦めが肝心」という真理に心が揺さぶられる時は大抵は、めんどうだから、頑張るに疲れた、肉体的についていけない、経済的にできない。といったところです。

しかし、これらの諦めそうになる条件は、いってみれば誰にでもあることで、避けては通れないことなのです。

ここで多くの人は、諦めてしまう。ちゃんとした理由を説明できるからでしょう。

しかし、よく考えてみよう、なにも最終的な目標自体を完全に諦める必要はあるだろうか?

やり方が間違っている、別の方法があるかもしれないということ。ここでいう「諦める」というのは、目標を達成するための今の手段に固執し、「別の手段を探すことを諦めてしまった」という事ではないだろうか。

つまり、ゴールは諦めないことが大切だが、そのプロセスや手段は、「この方法しかない」などと決めつけないで、別の方法にトライする覚悟を決め、“ 信じていた今までのやり方を諦める(見切りをつける)事が大切 ”ということだ。

諦めることは、最適な手段を見つけること

漫画スラムダンクには「諦めたらそこで試合終了だよ」という名セリフがでてきますが、勝つことを諦めるのではなく、まだ勝つための方法が残されているということで、試合が終わってしまったわけではないという事です。

それは何か別の作戦があるかもしれないし、選手を交代することかもしれません。

試合に勝つ事を諦めないという事は、例えば、「A」という作戦で勝てないとみ切った時、潔く「A」作戦は諦め、「A」がダメなら「B」、「B」もダメなら「C」。というように、何度も何度も試合終了まで諦めることなく、挑戦し続けることです。

目標を達成するためには、諦めないことが大切だが、今やっている方法を最後まで貫き通すことが最善とは言い切れません。

今のやり方に見切りをつけ、時に諦めが肝心な場合もあるのです。

つまり、目標を達成するためには、諦めないことが大切だが、その手段は、今のやり方だけに固執しないで、諦めながら最も最適な方向へと進んでいく事です。

「さぁ、最後まで諦めないでやりきるぞ!」と、啖呵を切るも、なかなか成果を見いだせないことが多く、何をどのように行動したらいいかわからない、本当に今のやり方でいいのだろうかと迷う時が必ず訪れます。

この際、脳裏に走る言葉は「とにかく諦めないで続けなければ・・・」と、結果を出すため効果的なやり方で行動するというより、闇雲な行動になりがちです。

もちろん悪いことではありません。何でも始まりがあります。始まりの行動から多くのフィードバックを手にして、適切なやり方を模索することが必要な時期もあります。

ただし、効果的なやり方でない限り、望んでいる成果を手に入れにくいのも現実。なぜなら、「今までの効果的なやり方が、ずっと効果的だとは限らない」ということです。

また、状況が変われば、今までの成功パターンが全く役に立たないことも起こります。それを見極めるためにも、今のやり方を諦め、別のやり方に切り替えなくてはいけない。

目標を達成するためには最後まで諦めない事だが、その手段は次から次へと何度も諦めながらトライしなくては、そう簡単には目標に達する最適な道を切り開くことはできません。

潔く「諦める」は、見切りをつけ、正しい選択を見つけること

頑張る根気強い人は、「諦めないで最後まで続けよう」と誓い、迷った挙句そのまま闇雲に継続することを決心する。

根気力の足りない頑張る事が苦手な人は、迷いながらも「やめる理由」を正当化して、元の生活に戻ってしまう。

両者には、やめる、やめないの大きな違いはあるが、共通していること「正しい選択を見つけていない」という事です。

私たちが知る成功者は、共通して「諦めないこと」により、その偉業を成し遂げている事を目の当たりにしているため、諦めないことが成功のためのゆるぎない真理ではないのか。

しかし、私たちは知らないだけで、多くの成功者たちは、何度も何度も実は「諦めている」という。

なのに、目指すべきゴールを達成しているのはどうしてなのか?

それは、最終的なゴールという「目的」を達成するための「手段」を変えているにすぐないからです。

成功者たちの「何事も諦めが肝心」というその真理は、「目的を諦める」ではなく、「見切りをつけて手段を変える」という解釈だ。

私たちが知る「諦める」は成功者にとって「見切りをつける」こと。

一般の人の「諦める」
→ ゴールを目指すのをやめる

成功者の「諦める」
→ 今の方法論に見切りをつけ、手段を変える決断を下す

諦めるということは手段を“ 明らかにする ”ということであり、決して目的達成を“ やめる ”事ではありません。

つまり、「諦めが肝心」ということは、「目的」を達成するための「手段を変える事」であり、それは最終ゴールまで何度も繰り返されます。

何度繰り返したとしても、それはゴールまでの大きな「プロセス」の一つにすぎないということ。

さて、いまいちピンとこないかもしれません。

それでは、ここでいう、「ゴールまでのプロセス」とはどんなものなのかをもう少し説明しよう。

まずは、下図をご覧ください。

今、続けていることは、一つの「手段A」は、「目的B」を達成するためです。

だが、その「目的B」は、「手段A」により達成される事であり、その先にある「目的B」を達成するには、「手段B」に切り替えなくてはいけないのです。

そして、すぐ先にある「目的」も、さらに先にある「目的」のための「手段」に過ぎないのです。

一つの「手段 → 目的」は、最終的なゴールのための、「プロセス」の一つだということ。この「手段 → 目的」は人により異なります。

2度、3度、または、それ以上の繰り返しを経て、やっとの思いでゴールを達成する。

まれに、たった一つの「手段 → 目的」でゴールに辿りつく人もいるかもしれないが、自分はそういった人は知りません。

つまり、見切りをつけて手段を変えるという決断は、ゴールを目指すのをやめたわけではなく、実は、つながった大きな「プロセス」。上位概念までの「過程」の内にすぎないという事です。

「諦めが肝心」といわれるのは、常に「手段」は変えないといけない、見切りをつけて方法論を変える決断を下さないといけないという事を意味しています。

たった一つの手段に固執して、考えなしにただ漠然とひたすら続けていては、いつまでたってもゴールには辿りつけません。

たった一つの手段だけでゴールに辿り着けられるほど甘くはない。

何度の何度も軌道修正を強いられ、そのたびに手段を変える決断を下さなければならない。

その時初めて、「諦めが肝心」といえる。

ここでいう  「諦め」とは、手段を変えるという「見切りをつける」こと、「物事を前に進める」ということを “ 明らかにする ”   という解釈です。

諦めは「決断」の速さが決めて

さて、ここで一つ、腑に落ちないことがある。

諦めが肝心だという事は「やめる」ことではない。というのは何となく理解した。

だが、その諦める時の決断、つまり、手段を変更するときのタイミングやその決めてはどう判断すればいいか?という大きな悩み。

その手段を変えたとしてもゴールに辿りつけると確信があっても、人により「手段」は異なるため、そうたやすくはできないもの。自分が決断したことは必ずしも正解である確信はないからだ。

しかし、良く考えてみよう。世界中どこを探しても、正しい決断を下せる人はいない。そんな簡単に一発で正しい選択を見つけることなんてできません。

ケンタッキーフライドチキンの創業者であるカーネル・サンダースは、多くの苦境を乗りこえ、65歳にしてようやく「KFC」を起業した。

成功者はとにかく、見切りをつけ、手段を切り替えるその「決断」が早い。それは、時間は有限だという事を理解し、決断を遅めることが好機を逃す事だという事を知っているからです。

私達は、「正しい選択は何か?」と悩んでいるその時間を無駄にしていることがすでに、間違った選択をしている。

もう一度確認しておこう。「手段を変える」「見切りをつける」「諦める」ということは、“ 明らかにする”ということです。

「手段を変える」事に、正解・不正解はなく、危険な畦道になったので、自転車を降りて歩きに変える事。

そのまま自転車で走る続けると、こけて怪我して目的地に辿りつけないまま病院直行になる。

「見切りをつける」事に、正解・不正解はなく、登山中、大雨が降ってきたので直ちに下山する事。

そのまま登り続けると、足を滑らせ転落の危険性があり、とりかえしのつかない大参事となる。

諦める事に、正解・不正解はなく、工事中で通行止めなので、遠回りをすること。まさか、通行止めを無視して工事現場を爆走したりはしないでしょう。

つまり、誰だって必ず障害物や壁に遭遇する。人の歩みとはそういうものであり当然なこと。

その時、たった一つの「手段」に固執し、貫こうとしても、そうはさせてくれない。目的とするゴールにすんなりと辿りつけない仕組みになっている。

そんな時、諦めが肝心なのです。そして、すぐに決断し、実行することが大切。自分が、「こっちだ」と直ちに決断し、進むべき方向性をすぐに“ 明らかにする”ことです。

中途半端に悩む「諦め」ではなく、「物事の真相を明らかにした上で諦めたこと」は、堅固な屋台骨として人生を支え、心おだやかなに人生を歩く上で堅牢な杖になります。

これまでの「諦め」という概念をあらため、 「逃げるように諦める」のではなく、状況を明らかにする、あなたが決断した「勇気ある撤退」なのだ。

諦めることで、諦めたくないことが見えてくる

「努力をすれば報われる」というのは真実ではあるのですが、同時に努力だけではどうにもできないことがあることも真実なのです。努力だけではどうにもできないことを、諦めるというのは悪いことではない。むしろ、諦めることが必要なのではないだろうか。

「諦める」というのは良い印象ではないのですが、諦めることで新しい道が開かれることがあります。諦めることで、今まで見えなかったこと、気づけなかったことが、見えてきて、気づけるようになり、新しいことに挑戦できるようになる。

努力だけではどうにもできないことは、諦めることで新しい世界が見えてくるようになるということです。

どんな人にも、得意なこと、苦手なことがあります。最初から何が得意なのか、苦手なのかが分かればいいのですが、残念ながら最初から分からない。実際に行動してみて、努力をしてみて、得意なのか、苦手なのかが分かります。

当たり前のことなのですが、どんな人であっても全てのものは得られません。

シンプルに考えれば、得られることだけを、得る努力をしていけばいいということです。何が得られるかは人それぞれで違うので、自分で得られることを悟っていくしかありません。

「全てのものは得られない」ということを知っておくことで、得られそうなことだけに、絞ることができる。できる限り得られそうなことを絞っていくことで、効率よく努力をすることができるのです。

何度も諦めトライしていく事で、ようやく、本当にあきらめたくないことが見えてくるのでしょう。

私たちは時間の限界を越えることができないので、効率化を求めていくことが必要なのです。そして、効率よくできるように工夫をしていくことが必要なのだろう。

諦めることは恥ではない

「途中で諦める」というと、「気合が足りない」「根性が足りない」「意志が弱い」と言われそうなので、恥だと思ってしまう人がいますが、諦めることは恥ではありません。

むしろ、「勇気」があるということ。人は同じことだけを繰り返していた方が楽なので、諦めて他の道に進むというのは「勇気」がないとできません。

人は今まで続けていたことには、それが良いか、悪いかではなく、「執着」を持つようになる。今までの習慣、今までの風習というのを無意識に大事にして、続けようとしてしまうようです。

より大きな目的のためにも、諦めて手放すことが必要だ。たとえ、途中のようなことであっても、諦めていくことが必要なのですが、現実は諦めないというよりも「執着」の方が強いのではないだろうか。

諦めることの方が実は大変です。古いものを手放して、新しいものを受け入れないといけないので、勇気が必要なのだ。

諦めることに対して、恥だと考えないことで、諦める勇気が出てきます。日本人というのは、恥というのに他の民族よりも敏感なので、恥をかくことに必要以上に恐れを感じてしまうのかもしれません。

世間体とか、他の人の目を気にしすぎてしまう傾向が強いので、自分で自分の視野を狭くしてしまってはいないだろうか。

私の場合、人は自分には興味関心はなく、途中で諦めようが、挫折しようが眼中にないものだと心得ています。

恥だと思っているのは自分だけであって、真実は誰にも見られていないし、どうにも思われていないということ。なので、途中で諦めることに対して、全く恥だと思う事は一切感じません。

「諦める」と「執着」の違い

「諦めない」というのは、未来に対して諦めないということ。夢や目標というのは未来に実現することなので、未来に対して諦めないことです。

執着というのは、過去に対しての執着です。今さらどうにもできない過去に執着することで、前に進めなくなる。未来に対して諦めないためには、過去に対しての執着は手放すべきだろう。

過去というのは、今さらどうにもできないので、執着しても全く意味がないのです。どんな人であっても、未来に向かって生きているので、過去の手放していかないと、過去に縛られてしまいます。

何を成していくにも、「集中力」というのが大きなカギになっていきます。集中ができるようになるためには、集中ができるように工夫していく必要がある。すなわち、「諦めること」に迷いを断ち切り、何度もトライすることを決断し、今するべきことに集中できる状態を保つことがたいせつなのだろう。