きちんとドアを「開けたら閉める」ができない人の心理とは?

きちんとドアを「開けたら閉める」ができない人の心理とは?

「ドアを開けたら閉めなさい!」

あなたも子供の頃に、親に怒られた経験はないでしょうか?

そして、親になった今、子供に同じように何度も注意してはいないだろうか?

「開けたら閉める」。こんな当たり前のようなことがなぜ、何度言ってもできなのでしょうか?

子供だけではなく、大人さえもろくにできない人もいます。実は、結構います。

今回は、「開けたら閉める」ができない心理について紐解き、人の習慣化を定着させるための方法について説明します。

「開けたら閉める」ができない理由

さて、「開けたら閉める」は住まいの不文律。

ドアを開ける行為も閉める行為も動作に違いはほとんどありません。

なぜ、「閉める」だけができないのでしょうか?

結論からいいますと、「開ける」にはメリットがあるが、「閉める」にはメリットがないからです。

もう少し詳しく説明しましょう。

まず、人がドアを開けるのはそもそも何のためでしょうか。それは、ドアの先が、部屋だろうと外だろうと、とにかく「ドアの先の空間に立ち入りたい」からです。

つまり「ドアを開ける」という行為は「その先に行ける」という目的を果たすため否が応でも開けなくてはいけない。この時、頭の中では、ドアを開けるという意識はなく、「行きたい場所に行く」という意識しかありません。

最短で行きたい場所に辿りつくには、「歩く→ ドアを開ける → 辿りつく」ですね。

つまり、ドアを閉めるという行動がなくても目的を果たすため、いってみれば、閉める行為は「ムダ」なこと。人は、メリットのある行動は簡単に習慣化します。だから私たちは当たり前のようにドアを開けるのです。

一方、ドアを閉めるという行動には基本的にはメリットが生じません。

ドアを閉めようが閉めまいが目的の場所に辿りついている。ドアを閉めるメリットが見当たらないのです。メリットがない行動は習慣化しない。

ですので、行動の原理で考えればむしろ「開けたら閉める」という行動はできなくて自然ともいえるのです。

ですが、「ドアを閉めない」理由が分かったとしても、やはり「開けたら閉める」は最低限のマナーです。

一人で暮らしている方ならドアを開けっ放しにしても誰にも迷惑がかかりませんが、同居人がいる場合、ドアを閉めないと様々なデメリットがある。

例えば、室内の空調が流れ出てしまう、突風でバタンとしまって子供がいるとケガをしかねない、話し声が漏れるなど。

ドアを開ける行為は、本人にメリットがあり、閉める行為はメリットがない。

ドアを開ける行為は、周りの人にはメリットがないが、閉める行為はメリットがある。

つまり、ドアを閉めることは、「人に迷惑をかけないため」でもあります。

ドアを「開けたら閉める」ができるようにするためには?

では、どうすればドアを閉めることができるようになるのでしょうか?

簡単です。「ドアを閉めることにメリットを提示すればいい」。人間は、メリットのある行動は簡単に習慣化できるからです。

ドアをちゃんと閉めることが習慣になっている人は、ドアを閉める行動にメリットがあると過去に学習してきたから。

反対に考えれば、開けても閉めない人は、ドアを閉める行動にメリットがなかったか、デメリットが生じた経験があると考えられます。

どのようなメリットかは様々だと思いますが、一般的な例を挙げてみよう。

例えば、子供がドアを開けたまましておくと、先生や親御さんに、「開けたら閉めなさい!」と注意されます。

子どもが大人に注意されるのはとても嫌なもの。だから、その後は注意されないようにドアを開けたら閉めるようになり、大人になっても開けたら閉めるが習慣する可能性が高いのです。

つまり、子供はドアを閉めるという行動によって「叱られない」というメリットが発生する状況であれば、ドアを閉める行動に意味が生じるということです。

叱られた経験があるということは、子どもの頃に「ドアが開いたまま」という状態と「叱られる」という嫌悪的な刺激が同じ状況に存在していたということを意味します。

行動分析学ではこの様な状況を「対提示(ついていじ)」という。嫌悪刺激と対提示された刺激や状況は、嫌悪刺激になることがあるため、「ドアが開いたまま」という状態そのものが嫌悪刺激になる。

なので、人に注意されなくても、ドアが開いているという嫌悪刺激を解消するためにドアを閉める習慣が身についているのです。

行動習慣が「性格」をつくる

「開けたら閉めない」人の事をダラしない「性格」だと捉えがちですが、正しくも有り正しくもない。なぜなら、性格から行動が生まれるのではなく、行動から性格が生まれるからです。

行動の原因が「性格」だと考えると、その性格の理由を行動に求め、その行動の原因を再び性格に求めることになります。

Aの原因をBに求め、Bの原因をAに求める、いわゆる循環論。 循環論は真の原因にならないため、そこから抜け出すことができません。

行動の原因を性格に求めると循環論に陥るので真の原因がわからなくなります。行動の原因をその人の性格にあると考えて個人を非難することを「個人攻撃の罠」という。

この罠にかかると相手を責めるばかりで何の解決にもなりません。かえって、人格を否定するような行動ばかり取って事態を悪化させるかもしれません。

生まれ持った性格が行動の原因でないと考えるならば、行動は変えることができる。

行動の原因はその人の心ではなく、行動を取り巻く「環境」にあります。子供の場合は、周りが教える、大人の場合は仕組みをつくるなど、行動のクセを身につけることが必要。

性格とは、いってみればその人の「クセ」です。人の性格をなかなか変えられないのは「クセ」になっているから。よりよいクセを身につけるには、より良い習慣の繰り返しです。